第239話:「アリツィア王女:3」

 タウゼント帝国とオルリック王国とは、決して、常に友好的な関係にあったわけではない。

 それぞれの思惑によって対立したことが何度もあったし、現在だって、具体的な形で同盟の条約を結んでいたわけでもない。


 それでもオルリック王国がタウゼント帝国のために派兵したのは、「同じ神を信じる者たちを救うため」であった。


 サーベト帝国は、タウゼント帝国とは大きく異なる文化を持った存在だ。

 その人々は話す言葉も、好む食べ物も、生活習慣も、大きく異なる。


 そしてそれは、宗教もそうだ。


 異教徒から、同じ信仰を持つ人々を守るために。


 アリツィア王女から出てきたその言葉は、エドゥアルドにとって驚きで、衝撃ですらあった。


 宗教というものは、大きな力を持っている。

 それは、タウゼント帝国の皇帝が現在でも、戴冠式の際には必ず帝都の大聖堂におもむき、聖職者に帝冠を授与されるという伝統を引き継いでいることからも明らかだ。


 しかし、すべては神の思し召し、と信じられていた時代から、科学的な思考法や手法が取り入れられた現代になると、宗教の影響力は縮小している。

 今でも宗教というものは見過ごせない力を持った存在だったが、かつてほどの影響力は失われて久しく、エドゥアルドも宗教というものをあまり意識せずに生きてきたのだ。


 だからこそ、その宗教の存在をエドゥアルドに思い起こさせたアリツィアの言葉は、衝撃的なものだった。


 もっとも、それがなにか悪いことだ、というわけでもない。

 エドゥアルドも一応、アリツィアが言うところの[同胞]に含まれており、2人の間にはなんの対立するところもないからだ。


 それどころか、アリツィアはむしろ、エドゥアルドにとってはより直接的な味方であるのかもしれなかった。


「ところで、皇帝陛下。


 異教徒どもへの総攻撃は、いったい、いつごろ始まるのでございましょうか? 」


 アリツィアはどうやら、エドゥアルドと同じように、サーベト帝国軍に対して戦いを挑むことに積極的であるらしいからだ。


「私(わたくし)から申し上げるのもおかしなことかもしれませぬが、我が有翼重騎兵(フサリア)は、精強でございます。

 ひとたび、突撃をお命じくださいますのなら、必ずや、異教徒どもの陣営を突き破って御覧に入れましょう。


 我が父、オルリック王からは、今後の両国の友好の礎を築いてまいれと、そのように命じられてもおります。

 ですから、こうして私(わたくし)を筆頭として、軍を派遣しております。


 この際、ぜひとも我らに先陣の栄誉をたまわり、我がオルリック王国軍に対し、異教徒の軍隊を打ち破り、同胞を救えと、そうお命じいただければと思っております」


 宗教という部分を除けば、アリツィアは包囲下にある民衆を救いたいという、エドゥアルドと共通する願いを持っているようだった。


 そのアリツィアからの言葉に、エドゥアルドはほんの少しだけ期待して、皇帝の次の言葉を待った。


 今までは自分の若さ、そしてタウゼント帝国軍がサーベト帝国軍よりも少数であるために攻撃が許可されなかったが、今はこうしてオルリック王国軍が救援に来てくれているのだ。

 合計で2万2千という数ではあるものの、この援軍によってタウゼント帝国軍の士気は大きく上昇している。


 今攻撃を開始すれば、タウゼント帝国軍の将兵は、通常の状態よりも勇敢に戦うことができるだろう。

 そしてその[勢い]があれば、戦いに勝利を呼び込める可能性は高くなる。


 それに、エドゥアルドとさほど変わらない年齢とはいえ、アリツィア王女は他国の王族だ。

 その言葉は、簡単には無視できないはずだった。


「アリツィア王女よ。

 一刻も早く我が民を救わんとする申し出、朕はありがたく思う。


 しかしながら、今はその時ではないのだ。

 攻撃は、しばし待たれよ」


 だが、皇帝はそう言って、アリツィアの要望をはぐらかそうとする。


(やはり、ダメなのか……)


 エドゥアルドは、落胆せざるを得なかった。

 カール11世はやはり、国内の諸侯のパワーバランスについての考慮を優先したからだ。


 アリツィアは一瞬、いぶかしむような顔をする。

 異教徒から同胞を守るのだと意気込んで参陣して来たのに、攻撃をするなと言われて、肩透かしを食らったように思ったのだろう。


「それでは、いつになれば、我らに攻撃をお命じ下されるのでしょうか? 」

「それは、諸侯とも話し合って決めねばならぬことだ。


 明日、あらためて軍議を開く。

 その席にアリツィア王女もお招きするゆえ、現在の状況の詳細と合わせて、その件について話し合わせていただこう」

「……。


 かしこまりました」


 アリツィアは皇帝の言葉に、やや沈黙してから、深々と頭を下げていた。


 どうやら彼女も、タウゼント帝国軍の消極的な姿勢について、これまでのやりとりで理解できたようだった。

 っしてそれが理解できた以上、ここで食い下がって攻撃を主張するのは、無駄なことでしかない。


 アリツィア王女の皇帝への挨拶は、それで終わりとなった。

 ひとまずオルリック王国軍はノルトハーフェン公国軍の野営の近く、すなわち前線から遠い場所に野営地を築き、戦に備えるようにと決められ、アリツィア王女は自軍の野営地の準備を指揮するために戻らなければならなかった。

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