第238話:「アリツィア王女:2」

 突然の、オルリック王国軍の来援。

 皇帝の陣営へとアリツィアを案内する道すがらエドゥアルドがアリツィアに事情をたずねてみると、それはどうやら、前オストヴィーゼ公爵、クラウスの手引きによるものであるらしかった。


 クラウスは公爵としての地位を退いて以来、主に外交面でユリウスを補佐して来た。

 それは、エドゥアルドに統治されたノルトハーフェン公国で始まった富国強兵政策に触発され、オストヴィーゼ公国でも同様の発展を遂げるべく、その条件を整えるためだった。


 新しい治世は、若い、将来有望な指導者である息子、ユリウスに任せる。

 そしてクラウス自身は、ユリウスのサポート役に全力をつくしていた。


 強い軍隊を養うために必要となる様々な要件の中で大きな部分を占めているのは、経済力だ。

 それは特に、火器が発達し、その性能の良否が戦力に大きく影響して来るような現在の状況では、重要な要素となっている。

 経済力がなければ、優秀な兵器を多数そろえることはできないからだ。


 では、経済力を養うのにもっとも必要なものとは、なにか。


 それは、平和だった。


 もし平和でなければ、人々は自らの生活に必須の物品や、暮らしを豊かにしていくための物資の生産に集中することができない。

 労働力となるべき大勢の若者が兵士に取られるし、民衆はその労力を、軍隊の維持のために使用し、経済発展のために使用できるリソースは目減りする。


 戦争を始めとする、非平和的な状況が一時的に経済を活性化するというのは、事実だった。

 軍隊を動かすためには大量の物資が必要で、その大量の物資を調達するためには多額の資金が動くからだ。


 だが、長期的に見れば、多額の軍事費は必ずしも経済発展には寄与しない。

 軍隊が必要とする物資は、その多くがただ消費されるものであって、たとえば、人々の生活をより豊かに、便利にするような物品の生産量を増加させる役には立たないからだ。


 それに、平和な状態では、物流が円滑に進む。


 現在の人間社会は多くの資源を使用して成り立っているが、その資源は様々な地域に偏在しており、公国として、1つの国家として成立していても、その1国の内だけで必要となるすべての資源をまかなうことはできない。

 だからこそ、交易をして、必要となる資源を取引し、不足を補い合っている。


 その物流も、平和でなければ滞る。

 輸送のリソースが単純に軍隊の行動のために多くとられるし、そもそも関係が悪化した隣国からは、どんなに欲しい資源があろうとも、それを安定的に入手することができなくなる。


 そうなれば結局、経済の停滞を招き、非平和な状態が長く継続すれば、経済に対する不利益の影響が大きくにじみ出てくることになる。


 だからクラウスは、自国の周辺諸侯、国家との外交関係の改善に注力した。

 そしてその対象には、オルリック王国も含まれていたのだ。


 かつてクラウスはオルリック王国の傘下の諸侯との領土問題を、謀略(ぼうりゃく)によって解決したとまことしやかにささやかれている人物ではあったが、その手腕によってそのわだかまりをなんとか解消したらしい。

 そしてクラウスは、今回の戦役にあたってオルリック王国と交渉し、ユリウスがオストヴィーゼ公国軍の主力を率いて参陣できるように調整しただけではなく、戦力で劣勢なタウゼント帝国軍のために援軍まで差し向けさせたのだ。


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 有翼重騎兵(フサリア)2000騎に、歩兵2万。


 オルリック王国軍の到着はエドゥアルドたちにとっては驚きであったが、タウゼント帝国の中枢にはすでに、クラウスから書簡が届けられ、知らされていたようだった。


 その連絡がエドゥアルドたちのところにまで届いていなかったのは、ノルトハーフェン公国軍の配置換えによってエドゥアルドたちが忙しかったというのもあるが、どうやら、帝国軍司令部の情報処理能力の不足が主因であるようだった。


 相変わらず、新任の帝国陸軍大将は、諸侯の顔色をうかがうのに忙しい様子だ。

 そうやってすべての諸侯にいい顔をしようとしたのがたたってか、帝国陸軍大将の下には連日、多くの諸侯がそれぞれの要求や意見を引っ提げて訪れるようになっており、帝国陸軍大将は大層、胃を痛めているらしい。


 そうして、諸侯への対応で手いっぱいであったために、オルリック王国軍の到着を、おそらくはまっさきに出迎えるのであろうノルトハーフェン公国軍に連絡し忘れていたのだ。


(まぁ、嫌がらせよりはマシ、ではあるが……)


 エドゥアルドとしては、呆れる他はないことだった。


 アリツィア王女の皇帝への挨拶については、まったく問題なく進んだ。

 皇帝の側はオルリック王国軍の到着を知っていたのだから、そのつもりで準備をしてあったのだ。


 王女ということで、アリツィアの所作も、完璧なものだった。

 皇帝、カール11世を前にして、アリツィアは優雅な仕草で挨拶をして見せ、その美しさも相まって、同席した者たちを強く感心させていた。


 そしてオルリック王の名代として軍を率いてきたというアリツィアの皇帝への挨拶を聞いているうちに、エドゥアルドは、オルリック王国が援軍にやって来た理由が、クラウスの尽力によるものだけではないことを知った。


「アリツィア王女よ、遠路はるばるの来援、朕は深く感謝しておる」


 それは、カール11世がそう言ってアリツィアに感謝の気持ちをあらわした時の、その受け答えにそれとなくあった。


「同じ神を信じる方々を救うためです。


 異教徒どもに虐げられる同胞を、どうして放っておくことができましょうか」


 そのアリツィア王女の言葉に、エドゥアルドは驚いていた。


 宗教。

 その概念が、エドゥアルドには希薄だったからだ。

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