第235話:「揺れ」

 タウゼント帝国軍とサーベト帝国軍との対峙は、無為に続いた。

 両軍ともお互いの陣地を守り、なにかを積極的にしかけるようなこともなく、遠巻きにして眺めているだけ。


 幾度か、サーベト帝国軍は小規模な攻撃をズィンゲンガルテン公国軍が国民と共に籠城しているヴェーゼンシュタットにかけたことはあったが、それでもタウゼント帝国軍は動かなかった。

 エドゥアルドなどはただちに出撃してサーベト帝国軍を攻撃し、ズィンゲンガルテン公国軍の負担を少しでも減らすために戦うべきだと主張したが、その都度、エドゥアルドの声はヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトと彼に同調する諸侯の声にかき消されてしまった。


 あの程度の挑発行動で、ヴェーゼンシュタットが陥落することはない。

 ベネディクトはそう言ってエドゥアルドの言葉に反対し、実際、そのようになった。


 サーベト帝国軍がタウゼント帝国軍を挑発し、後詰め決戦を発生させようとしていることは、エドゥアルドだって知っている。

 しかし、多くの民衆が包囲下に置かれている現状を、ただ傍観していることは、若く純粋な正義感を持つエドゥアルドには納得できないことだった。


 それに、戦えば相応の成果を上げられるという確信もある。

 ノルトハーフェン公国軍は砲兵火力を増強されており、その威力があれば、旧式装備の多いサーベト帝国軍の一部を破り突破口を開くことは、決して無理なことではないのだ。


 そうして突破口を開いてヴェーゼンシュタットに補給を実施できれば、タウゼント帝国軍は持久戦でサーベト帝国に勝てるということを示すことができる。

 サーベト帝国も、勝機がないと判断すればそれで撤退し、この戦役も終結するのだ。


 そう説明しても、やはり、ベネディクトは攻撃には反対する。

 ヴィルヘルムが指摘したとおり、ベネディクトは、今回のズィンゲンガルテン公爵・フランツの苦境を、帝国諸侯の中でのパワーバランスを自身に有利な形にするために利用しようという思惑を持っている様子だった。


 ヴェーゼンシュタットは、簡単には陥落しない。

 そういう確信があるからこそ、ベネディクトは落ち着いて、ギリギリまでズィンゲンガルテン公国軍が消耗し、その力を弱めるのを待っている。


 その見立ては、おそらくは正しい。

 ヴェーゼンシュタットは帝国南部の守りの要として多大な時間と労力をかけて作られた要塞都市であって、簡単には攻略できないからこそ、サーベト帝国軍も後詰め決戦などを意図しているのだ。


 やがて、サーベト帝国軍が鋳造していた巨大な大砲が完成し、ヴェーゼンシュタットへの攻撃も行われた。


 その威力は、大きさから想像された通り、絶大なものだ。

 発砲の際には轟音が響き渡り、発砲の衝撃波で土埃が巻き起こり、距離が離れているはずのエドゥアルドの鼓膜さえも揺らしたほどだ。

そして、砲口から放たれ飛翔した巨大な砲丸はヴェーゼンシュタットの城壁を直撃し、そこを守備していた将兵を巻き込みながら城壁を大きく損傷させていた。


 その強烈な威力と存在感に、帝国軍の陣中には、どよどよとした驚きと動揺が広がった。


 しかし、連続発射はできない様子だった。

 その巨大さゆえに移動は不可能で、現地で鋳造するしかない巨砲は、専門の設備の整った工場で作られる大砲よりも品質が悪く、1発撃つと亀裂などが入り、修復しなければ2発目を撃てなくなるようだった。


 それでも、その威力は大きなもので、響いた轟音はタウゼント帝国軍を威圧した。

 どうやらサーベト帝国軍は、実際の破壊力だけではなく、タウゼント帝国軍をけん制する意味で、パフォーマンスとして巨大な大砲を使用しているようだった。


 エドゥアルドは、気に入らなかった。

 タウゼント帝国軍がなかなか攻めてこないことをいいことに、自身の強さを見せつけるようなパフォーマンスをするサーベト帝国も、政治的な思惑によって友軍の救出を渋る帝国諸侯も、不愉快だった。


 タウゼント帝国軍は動かなかったし、サーベト帝国軍も、巨大な大砲の修復を開始した以外は目立った動きを見せない。


 そんな停滞した状況を打ち破ったのは、対陣が長引き、もうすぐ秋の気配が深まってきそうな季節になった時だった。


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 進軍する際は第一陣として、先陣として進んできたノルトハーフェン公国軍だったが、今、その野営地は、後方へと下げられていた。

 というのは、度々交戦を主張するエドゥアルドに対し、ベネディクト公爵などの諸侯が「先走らぬように」と皇帝に根回しをし、勝手に動きにくい後方へとノルトハーフェン公国軍を下げたのだ。


「僕は、あんなオトナたちにはなりたくないものだ」


 エドゥアルドは新しく設営し直した天幕の中でイスに腰かけ、ルーシェのいれたコーヒーを飲みながら、恨みがましい視線を諸侯の野営地がある方向へと向けていた。


 ルーシェのコーヒーが、相変わらず抜群に美味しいのが、エドゥアルドにとっての救いとなっていた。

 喫茶店で勉強させてもらったというルーシェのコーヒーは、一段と美味しさを増し、また、エドゥアルドの気分に合わせて味を変化させるバリエーションも増えており、毎日飲んでもまったく飽きの来ないものにまでなっている。


「オトナたちにはいろいろな思惑があるのだろうが、だからといって、民衆もいるというのに、それを救おうともしない。

 それが、為政者として正しい行いだとは、僕にはどうしてもわからない」

「私は、エドゥアルドさまが正しいって、そう思います! 」


 そんなエドゥアルドの愚痴を、ルーシェは全力で肯定する。

 スラム街出身のルーシェはいつだって民衆の側に立ってものごとを考えているから、籠城戦に巻き込まれている民衆を救わなければならないと考えているエドゥアルドのことを、他の諸侯とは違うエドゥアルドを尊敬するような気持なのだろう。


「ところで、コーヒーのお代わりはいかがでございますか? エドゥアルドさま」

「ああ、もらおう」


 満面の笑みでエドゥアルドの側にいてくれるルーシェの姿に癒されていたエドゥアルドは、ルーシェの勧めにうなずいて空になったばかりのコーヒーカップを差し出す。


 ルーシェがにこにことしながらついでくれるコーヒーの色と香りを楽しみながら、エドゥアルドはふと、(最近、飲み過ぎかな)とちらりと思い、心配になったが、正直ルーシェのコーヒーを飲まないと諸侯の態度へのイライラがぶり返して来そうなので、これは仕方のないことなのだと言い訳をして納得することにした。


 ルーシェがコーヒーをつぎ終わり、エドゥアルドの好みの味つけを終え、コーヒーカップに手をのばそうとしたエドゥアルドはそこでふと、コーヒーの水面がわずかに波打っていることに気づく。


 ルーシェがコーヒーを整え終えたばかりだからだと思ったのだが、揺れは、段々と大きくなっていく。

 そして、エドゥアルドの耳にも、馬蹄の轟がはっきりと聞こえてくる。


「まさか、敵が!? 」


 エドゥアルドは一瞬、最悪の事態を想定して表情を険しくし、サーベルを手に取って立ち上がろうとする。


 しかしすぐに、エドゥアルドの表情は気の抜けた、呆気にとられたようなものへと変わっていた。


「援軍、援軍だ!

 オルリック王国軍が、我がタウゼント帝国の援軍として、やって来たぞ! 」


 天幕の外で、兵士たちがそう言って喜ぶ歓声が聞こえて来たからだった。

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