第232話:「日和見:1」

 タウゼント帝国軍の第一陣として、サーベト帝国軍の包囲下にあるヴェーゼンシュタットの近くにまで到着したエドゥアルドたちだったが、後続の到着まで戦端を開くなという命令もあり、遠巻きにサーベト帝国軍の様子を探ることしかできなかった。


 そしてその状況は、後続のタウゼント帝国軍が到着しても変わらなかった。

 タウゼント帝国軍は皇帝が招集できた全軍、10万が集結しても、ヴェーゼンシュタットを包囲するサーベト帝国軍に攻撃を加えてズィンゲンガルテン公国を救おうとはしなかったのだ。


 なにもしなかったわけではない。

 タウゼント帝国軍はサーベト帝国軍が攻撃をしかけてきた場合に備えて野戦築城を行い、長期間の睨み合いも可能なように準備を進めた。

 それと同時に、補給の手配を万全なものとし、帝国諸侯同士で調整し、各諸侯の領地から贈られてくる物資が滞らずに届くようにした。


 大軍で長期間1か所に留まるというのは、難しいことだった。

 軍隊というのは大量の物資をひたすら消耗する集団であり、その物資を得る方法がなくなれば、その場を去るか、そのまま立ち枯れするかしなければならなくなってしまうからだ。


 その、補給の困難さを、エドゥアルドはアルエット共和国との戦役で骨身に染みて知っている。

 あの時は危うく、みなが飢えかけたのだ。


 しかし、幸か不幸か、今回の戦争は、タウゼント帝国の国内でのことだった。

 タウゼント帝国軍は国内の正確な地図を当然有していたから、いくつもの補給線を設定することができたし、その補給線からは十分な量の物資が届けられ、後方の守備隊も十分に配置できている。

 加えて、アルエット共和国での手痛い経験から各諸侯は積極的に補給物資の運搬の調整に応じたから、今度の帝国軍ではそもそも数が10万しかいないということもあって、補給の混乱は起こりそうになかった。


 こういった状況だから、長期戦になってもまったく問題はなさそうだった。


 問題はないのだが、しかし、エドゥアルドは(これでいいのか)と思ってしまう。


 タウゼント帝国軍に補給の不安が小さい一方で、サーベト帝国軍には補給の不安が大きいはずだった。

 敵は長距離を侵攻してきており、その補給線は長く、補給を継続するために必要な資源も膨大なものとなるだろう。


 しかし、タウゼント帝国軍が長期戦の備えを始めても、サーベト帝国軍には焦った様子がなかった。


 というのはおそらく、侵攻を開始した時期によるものだろう。

 サーベト帝国軍が侵攻を開始したのはちょうど麦の収穫が終わった時期であり、容赦なく略奪を実施したおかげで、サーベト帝国軍の糧秣(りょうまつ)には十分な余力があるようだった。


 だからサーベト帝国軍は悠々とヴェーゼンシュタットへの包囲を継続しているのだろう。


 この際、もっとも窮地にあるのは、強固な拠点に籠城しているはずのズィンゲンガルテン公国軍だった。


 なにしろ、ヴェーゼンシュタットは、都市まるまるひとつが包囲されているのだ。

 そこには兵士だけでなく、大勢の民衆が暮らしている。

 しかもその数は、サーベト帝国軍が大々的に略奪を実施したことから、周辺地域から追われた難民などによって、平時の人口よりもかなり多くなっている。


 あるいは、そうなることこそ、サーベト帝国軍の戦略であるのかもしれなかった。

 人の口の数が増えれば当然食料などの消費も早くなり、ヴェーゼンシュタットが都市で元々多くの物資の備蓄があったのだとしても、その備蓄が底をつくまでの期間は短くなる。


 自軍への補給も兼ね、徹底的に略奪を行うことで、ズィンゲンガルテン公国の民衆をヴェーゼンシュタットへと追い立てたのかもしれない。


 エドゥアルドには、サーベト帝国軍のやり方は、巧妙なものに思えた。

 多くの民衆をヴェーゼンシュタットに追い込むことによって籠城軍には物資の消耗を強い、その一方で、包囲軍を粉砕するだけの兵力を確保できないタウゼント帝国軍に対しては、後詰め決戦を意図して待ち構えておく。


 タウゼント帝国軍がしかけてくれば決戦してこれを打ち破るし、警戒して攻めてこないのならば、ヴェーゼンシュタットを兵糧攻めにして攻略してしまう。

 状況が変化しても、結局サーベト帝国に勝利が転がり込んでくるようになっているのだ。


 主導権を握られている。

 エドゥアルドはそのことを歯がゆく思ったが、しかし、ノルトハーフェン公国軍の単独ではサーベト帝国軍を打ち破れるほどの力はなく、どうすることもできなかった。


 タウゼント帝国軍は、長期戦のための備えをあらかた終わらせても、日和見を続けた。

 そして、帝国諸侯は連日にわたって軍議を開催したが、結局、この状況を積極的に変化させようという意見が出てくることはなかった。


 敵の方が多数であり、しかも、こちらの攻撃に対して十分対応できるだけの防備を整えている。

 このまま攻撃を開始しても、サーベト帝国軍は築いた陣地を頼りに反撃してきて、タウゼント帝国軍は実質的に、優勢な籠城軍に対して強攻をしかけるような形になってしまう。


 勝率は、かなり低いと言わざるを得ない。

 そんな状況では、積極的に攻撃をしかけようという諸侯はあらわれない。


 それに、以前、タウゼント帝国軍の将校として全軍の取りまとめ役を任されていたアントンを、アルエット共和国での敗戦の責任を負わせる形で退任させて以来、タウゼント帝国軍にはアントンに代わって全軍を統括できるほどの人材がいないようだった。


 新たに帝国陸軍大将として任命され、皇帝を補佐し、タウゼント帝国軍を統括するための人物はいるのだが、その新任の帝国陸軍大将は、どうやら権威をかなり気にする性格であるらしかった。

 彼は常に諸侯の顔色をうかがい、当たり障りのないよう、常に自身の意見を曖昧なものとしていた。


 こういった人事の影響もあって、タウゼント帝国軍の軍議ではなにも決まらず、無為に時間だけが過ぎ去っていく。


 もっともこれは、新任の帝国陸軍大将だけの責任、というわけでもなかった。

 そもそもタウゼント帝国では、皇帝とは絶対的な権力者ではなく、あくまで皇帝選挙によって選ばれた[貴族の代表者]でしかないのだ。


 その権力は大きいが、しかし、なんでもできるというわけではない。

 もしかしたら将来、皇帝になるかもしれないという被選帝侯が5人もおり、その被選帝侯も、諸侯からの支持がなければ皇帝につくことなどできない。


 タウゼント帝国を千年以上にもわたって存続させてきた制度そのものが、今となってはタウゼント帝国の足枷となってしまっていた。

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