第227話:「政争の落とし子:2」

 皇帝、カール11世は、ヴィルヘルム・プロフェートの素性を知っているようだった。

 だからこそ、このような異例の形で、ヴィルヘルムとの謁見(えっけん)をしているのだ。


「エドゥアルド公爵は、フェヒター準男爵を許したそうだな」


 そして嘆息し終えたカール11世は、天井を仰ぎ見たまま、そう言った。

 どうやら皇帝は、様々な思惑が錯綜(さくそう)した結果、結局詳細が明かされることなくうやむやになり、真相は知る人ぞ知るものとなったノルトハーフェン公国での陰謀についても、知っている様子だった。


「そなた、そのエドゥアルド公爵のやりようを見て、どう思った? 」

「お甘いことと、存じます」


 カール11世からの問いかけに対し、ヴィルヘルムは率直に答え、そのあまりのストレートさにカール11世は「ほっほっほ、そうか、甘いか」と、声をたてて笑った。


「しかしながら、ヴィルヘルムよ。

 それは、そなた自身も望んで、そうなるように仕向けたことなのであろう?


 ……やはり、そなたの父のことが、あるからなのであろう? 」


 それからカール11世はそう言ってヴィルヘルムに問いかけたが、これにはヴィルヘルムは沈黙を保った。

 自身の胸の内側で渦巻く感情の奔流(ほんりゅう)を、必死に抑えているような様子だった。


「あるいは、朕も、エドゥアルド公爵のようになすべきであったのかもしれぬ」


 そんなヴィルヘルムの方は見ないまま、カール11世は天井を見上げたまま、独り言のような言葉をこぼす。


「貴族の血とは、力だ。

 生まれながらにして、その血は富を、権力を与え、臣民を統治する権利を与える。


 それは、得難いものだ。

 平民として生まれた者がどれほど得ようと願ったところで、まず届くことはない、貴重なものを、我ら貴族は生まれながらにもっている。


 だが、その力を本当の意味で継承できる者は、貴族の中でも限られている。

 自分も同じ貴族の血を引いているのに、と、力を継承できなかった者がそう考え、そして、まばゆいばかりに輝いて見えるその力を手にしたいと願うのは、当然のことであろう。


 であるから、我ら、貴族の歴史は、政争の歴史なのだ。

 陰惨な対立と、隠蔽の積み重ねによってできておる。


 ……その貴族の歴史の中で、エドゥアルド公爵のやりようは、確かに甘い。


 しかしながら、その甘さを、そなたは気に入ったのであろう?


 自らに仇を成した者を、一存によって自由に処断できる。

 その力を持っているのにも関わらず、それを行使せずに許しを与えるような、甘いとさえ言える寛容さ。


 それは、エドゥアルド公爵にどんな都合があったのであろうと、周囲から見れば、甘い、優柔不断とそしられるような行いでもある。


 だがな、ヴィルヘルムよ。

 朕は、あるいは、エドゥアルド公爵こそ、我ら貴族の暗き歴史を終わらせる、新たな創造者であるのやもしれぬと、そう思うておるのだ」


 そこまでしゃべり続けてから、カール11世は唐突に視線をヴィルヘルムへと向け、微笑んで見せた。


「ヴィルヘルムよ。

 正直に言えば、朕はもう、疲れたのじゃ」


 その言葉を、やはり、ヴィルヘルムはじっと聞いている。


「我が力量に余るほどの、皇帝などという地位につけられ。

 凡庸な皇帝として、精一杯、これまで懸命に働いて来た。


 しかし、どんなに懸命になってみても、しょせん、朕は凡庸な皇帝なのじゃ。

 なにか、歴史に名を刻(きざ)めるような事績を残そうとすれば失敗し、栄光は得られず、汚名だけが残る。

 エドゥアルド公爵のように、新しき世を作ろうとするような気概(きがい)もなく、ただ、過去の栄光を守ろうと、必死にしがみついている。


 それが、朕だ。


 この帝冠をいただいてから、ずいぶんと経つが、この重みも、わが身にはずいぶんとこたえるようになってしもうた」


 そこまで言うと、カール11世は、ヴィルヘルムのことをじっと見つめた。

 そしてやはりヴィルヘルムがひざまずいたまま身動きせずにいることを確認すると、ささやくように言う。


「侍従長には、すべて、事情は話してある。

 もし朕になにごとかが起こったとして、侍従長がうまく処置してくれるであろう。


 なぁに、しょせん、皇帝の首がすげ変わるだけのこと。

 我がタウゼント帝国で、これまでずっとくり返されてきたことじゃ。


 ヴィルヘルムよ、そなたの念願、叶えるのは今、ぞ?


 今も、その懐(ふところ)に抱いておるのであろう?

 母がそなたに与えし、もう1つの[武器]を」


 それはまるで、ヴィルヘルムのことを誘惑するような、なにか、決定的な行動を起こすよう、導くような言葉だった。


 カール11世の言葉をこれまでひざまずいたまま聞いていたヴィルヘルムだったが、突然、顔をあげた。

 その顔には、いつも彼が浮かべている、仮面のような柔和な笑みが浮かんでいる。


「陛下。


 そのおっしゃりようは、あまりにもずるくはございませんか? 」


 そしてヴィルヘルムは、カール11世に向かって、穏やかな口調で抗議していた。


「私(わたくし)はすでに、エドゥアルド公爵の臣でございます。

 そして私(わたくし)は、エドゥアルド公爵に、誠心誠意お仕えしようと誓っております。


 我が母が、私(わたくし)に与えた力のすべてを用いて、エドゥアルド公爵のお手伝いをさせていただくというのが、今の私(わたくし)の願いでございます。


 ましてや、今は我が帝国が他国からの侵略を受けているという危機にございます。

 そのような状況で皇帝陛下に、この場で口に出すこともはばかられるようなことが起こりましたら、我が主が受ける不利益は、計り知れないものとなります。


 そのようなこと、とても、私(わたくし)にはできません。


 皇帝陛下は、まこと、ずるいお方でございます。

 私(わたくし)がそのようなこと、できるはずがないとご存じであられながら、あえてそのように挑発をなさっている。


 私(わたくし)も、そのような挑発に乗るほど、未熟ではございません。


 今の私(わたくし)には、未来を共にするお方がいるのでございますから」


 すると、カール11世もまた、ヴィルヘルムに向かって微笑んで見せた。


「そうか。

 そなたはもう、エドゥアルド公爵の臣であると、そう申すのだな? 」


 それから、カール11世はヴィルヘルムに背中を向ける。


「ならば、エドゥアルド公爵のこと、頼む。


 今のそなたであれば、必ず、かの若き公爵を、良き方向へと導き、支えることができよう」


 そしてカール11世は背中越しにそれだけを言うと、最初に自身が腰かけていたイスに向かってまた、杖を突きながらゆっくりとした足取りで戻って行った。


 そしてその背中を、ヴィルヘルムは考えの読めない仮面のような柔和な笑みを浮かべたまま見送った。

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