第226話:「政争の落とし子:1」

 今回エドゥアルドが皇帝から呼ばれたのは、皇帝がエドゥアルドの行っているノルトハーフェン公国の統治に興味を持っていたからだった。

 しかしやはり、ヴィルヘルムまで呼ばれた理由はわからない。


 彼はエドゥアルドのブレーンであり、ノルトハーフェンでエドゥアルドが実施して来た改革に深く関与してはいるものの、その地位は「平民」となんら変わりがないからだ。


 ヴィルヘルム・プロフェート。

 まだ20代の青年にしか見えない彼は、エドゥアルドの助言者として様々な進言を行い、すでに多くの成果を残している。

 その能力はエドゥアルドからの信頼を勝ち得て、ノルトハーフェン公国の政権中枢にあり、軽視し得ない存在感を持っている。


 しかし、ヴィルヘルムはなんの爵位も、役職すらもなかった。

 彼の進言がノルトハーフェン公国の運営に関与できているのはひとえにエドゥアルドから信頼されているという理由からで、本来であればその立場は、吹けばどこかへ飛んでいくようなものでしかない。


 その、立場も権限も曖昧(あいまい)な状態を解消するためと、これまでの功績に報いるために、エドゥアルドはヴィルヘルムに準男爵の地位を与えようとしたことがある。

 しかし、ヴィルヘルムは「今の方がなにかとやりやすいので」と、それを辞退してしまった。


 おそらくそれはヴィルヘルムの本心であるのに違いなかったが、エドゥアルドは深くそのことを追求することができなかった。

 ヴィルヘルムは自身について深く探りを入れられることをあまり好まないようで、エドゥアルドは君主とその助言者という、今のうまくかみ合っている状態を崩したくなかったから、ヴィルヘルムの素上についてあえて調べようとしなかった。


 だが、今回、皇帝から直接呼びだされたことで、ヴィルヘルムという存在の不可思議さはより強まった。

 エドゥアルドのブレーンとはいえ、あくまでノルトハーフェン公国の中枢部でのみその存在を知られているだけに過ぎないヴィルヘルムのことを、皇帝が呼ぶなど、やはりどう考えてもあり得ないことだからだ。


 しかしエドゥアルドはやはり、そのことをヴィルヘルムに問うことはできず、侍従長に案内されていく彼の姿を見送ることしかできなかった。


 ヴィルヘルムが常に浮かべている、柔和な笑み。

 その仮面のような表情が、無言のまま、エドゥアルドからの問いかけを拒否しているように感じられたからだった。


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「皇帝陛下のお召しにより、ヴィルヘルム・プロフェート、御前に参上いたしました。

 私(わたくし)のような下々の者にまでお声がけいただき、恐悦至極に存じます」


 エドゥアルドが通されたのと同じ皇帝の私室へと通されたヴィルヘルムは、部屋に入ってすぐのところでひざまずくと、そう言って皇帝に挨拶をした。


 皇帝、カール11世は、そのヴィルヘルムからの挨拶にはすぐに言葉を返さない。

 その代わり、侍従長に部屋から出ていくようにと手ぶりだけで合図をし、人払いをして、部屋にヴィルヘルムと自分と2人だけという状況を作り出していた。


「……そなたが、ヴィルヘルムか」


 それから、しばしの沈黙ののち、カール11世はそれだけを言った。


 そして突然、カール11世は杖を突きながら立ち上がると、ゆっくりとした足取りでヴィルヘルムへと近づいていく。


 それは、異例なことだった。

 皇帝が謁見(えっけん)する際に客にもっと近くに来ることを許し、親しく話をすることはまれにだが、あり得ることだった。

 しかしながら、その場合も客の方から皇帝に距離を詰めていくのが普通で、皇帝自らが近づいていくということはない。


 ヴィルヘルムはカール11世が近づいてくるのを感じとりながら、ずっと、ひざまずいていた。

 ただ、彼の手は一瞬だけ、自身の懐(ふところ)へとのびかけたが、すぐに元の位置に戻った。


「そなたの父には、すまぬことをしたと思うておる」


 やがて、ヴィルヘルムが手をのばせば簡単に届くほどの距離にまで近づいて来たカール11世は、そう言ってヴィルヘルムに向かって頭を下げた。


「家を守らねばならなかったからと言って、そなたの父にした仕打ちは、惨いものであった。


 まして、そなたを身ごもっていたことも知らずに、朕は、そなたの母親を国から追い出しさえした。


 さぞや、朕のやりようを恨んでおろうの? 」

「……。いいえ、皇帝陛下」


 ヴィルヘルムはその皇帝からの謝罪に、そう言って小さく首を左右に振って見せる。


 もし仮に、この瞬間にヴィルヘルムの顔をのぞき込んだ者がいれば、彼の表情の変化に気づいただろう。

 その時のヴィルヘルムの表情からは、いつもの柔和な笑みが消え、代わりに、能面のような無表情が浮かんでいた。


「確かに、我が母は陛下に国を追われ、私(わたくし)は父も、故郷も知らぬ孤児(みなしご)として生を受けました。


 陛下は、私(わたくし)から、父と、故郷とをお奪いになられました。

 しかしながら、陛下は母に、十分な額の補償はしてくださいました。

 一生、苦も無く生きていけるほどの資金を、与えてくださいました。


 母はその資金によって、私(わたくし)に十分な教育を施し、そして私(わたくし)は、そうして得た知識によって、今、エドゥアルド公爵より信任を得ております。


 陛下は、私(わたくし)に人生をお与えくださったのです。

 まして、元々は我が父が、みだりに野心を抱いたことが、すべての原因でございます。


 どうして、陛下をお恨みなどいたしましょうか」

「ヴィルヘルムよ。


無理をせずともよいのだぞ? 」


 そのヴィルヘルムの言葉にカール11世はそう言ったが、ヴィルヘルムは無言を保った。


 やがて、ヴィルヘルムがなにも言わないのを確認すると、皇帝は顔をあげて天井を仰ぎ見、深々と嘆息していた。

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