第221話:「早い到着」

 ノルトハーフェン公国は、タウゼント帝国でも北方に位置する国家だった。

 今回の戦場、帝国南部のズィンゲンガルテン公国からは、もっとも遠い場所にあると言ってよい。


 しかし、軍を招集したタウゼント帝国の皇帝、カール11世に集結せよと指定された場所である帝国の首都、トローンシュタットへ、ノルトハーフェン公国軍はかなり早く到着していた。


 さすがに、帝都周辺に領地を保有しているだけでなく、ノルトハーフェン公国軍よりも規模が小さく、動員を完了するのにも時間のかからない諸侯たちに比較すれば、遅い。

 しかし、ノルトハーフェン公国軍の到着は、皇帝や諸侯たちの想像よりもずっと早く、帝都・トローンシュタットへのノルトハーフェン公国軍の到着は、少なからず驚きをもって出迎えられた。


 アルエット共和国への出征の時もノルトハーフェン公国軍の到着は早かったが、今回の到着は、その時の速度と比較してもさらに早かった。


 これは、ノルトハーフェン公国軍が行軍する際の歩調が他の諸侯の軍勢よりも速く、1日により多くの距離を行軍できたというだけではない。

 元帝国陸軍の大将で、現在ノルトハーフェン公国の参謀本部の参謀総長を務めているアントン・フォン・シュタム前伯爵が主導して計画していた戦争計画が、公国に存在していたからだ。


 アントンは、事前にどの方面にノルトハーフェン公国軍を動かすことになっても最短時間で対応できるよう、事前にいくつかの計画を策定していた。

 その中には当然、南へと向かうためのものもあり、ノルトハーフェン公国軍はあらかじめ決められていた計画を現在の状況に合わせて微修正しただけでそのまま活用して、迅速な行軍を実現したのだ。


 従来の諸侯の出征というのは、そうすることが決まってから初めて動き出すものだった。

 出征が決まってから諸侯は初めて動員を開始し、兵士たちを集結させて指揮系統を整えるのと共に、出征に必要な物資を集め始め、どの道を通って目的地まで進軍するのかを考え、そのために必要な段取りをし始める。


 だが、あらかじめどのような事態が起こるのかを想定し、事前に計画を定め、必要な物資を計算し、事前に用意してあったら。

 軍隊は人員を動員して集結させ部隊として編制するだけで即、行動を開始することができてしまう。


 それこそ、今回のノルトハーフェン公国軍の早さの秘訣だった。

 軍隊の行動に必要な物資の調達はあらかじめ終わっているし、どの経路で進軍するべきかも事前に検討されて決まっているので、イチイチ招集が決まってからあれこれ考える必要などなく、計画をそのまま、あるいは微修正して実行するだけでいい。


 結果、エドゥアルドに率いられたノルトハーフェン公国軍は、他の多くの諸侯に先んじて帝都・トローンシュタットへと到着し、皇帝・カール11世を始めとして、多くの諸侯を驚かせたのだった。


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 トローンシュタットには、ノルトハーフェン公国軍に続いて、多くの諸侯がそれぞれの軍役で定められた軍勢を従えて集結してきていた。


 しかし、中には事情によって、軍役通りの軍勢を率いて参集することができなかった諸侯の姿もある。

 それも、かなり多くいる。


 やはり、ラパン・トルチェの会戦で敗北した際に受けた損害を、1年にも満たない期間では補いきれなかった諸侯が多いのだ。


 ノルトハーフェン公国軍は損害を最小限に抑え込んでいたし、大商人・オズヴァルトが経営するヘルシャフト重工業を半国営化していて、兵器を素早く安定的に補充することができたから問題にはならなかった。

しかし、やはりこれはエドゥアルドのノルトハーフェン公国だからこそできたことで、ほとんどの諸侯は1年だけでは十分に損害を受けた分を補充できなかったようだった。


 加えて、タウゼント帝国が接している他の国境を防衛するために、多くの兵力を残さなければならないということもある。

 アルエット共和国との戦役でタウゼント帝国が弱体化したとみて、サーベト帝国だけではなく、他の近隣諸国も行動を起こすかもしれないのだ。


 それぞれの方面に、他国の侵攻を圧倒して押し返せるだけの十分な兵力を張りつけることは、難しい。

 古代の著名な兵法家も、すべてを守ろうとすれば、どんなに兵力があっても足りないと指摘しているほどだ。


しかし、侵略者を自力で撃退できずとも、押しとどめ、足止めすることができるだけの兵力は必要だった。

皇帝が招集した帝国軍が救援に駆けつけてくるまでは、どうにか戦線を維持できるだけの兵力がなければ、タウゼント帝国は容易にその領地を奪われる。


そして領地を奪われるということは、諸侯がそれぞれ伝統的に有して来た利権を、皇帝から保証されて封建されているはずの領地を奪われることになる。


 そうなる可能性を無視してまで、強引に諸侯から軍勢をかき集めるだけの権力を、地方分権的な要素の強いタウゼント帝国の皇帝は有していなかった。


 ノルトハーフェン公国とは盟友関係にあり、東の隣国であるオルリック王国と国境を接しているオストヴィーゼ公国軍は、軍役に定められた通りに13000名の軍を率いて参戦して来た。

 どうやら隠居したクラウス前公爵が外交に精を出した結果、オルリック王国は当面動かないだろうという見通しが立ち、現オストヴィーゼ公爵のユリウスは主力をまるまる率いて参戦できたらしい。


 また、タウゼント帝国のほぼ中央に位置するアルトクローネ公国も、ほぼ軍役通りの軍勢を率いて参集した。

 これは、アルトクローネ公国軍はラパン・トルチェの会戦には直接参戦しておらず、損害が少ないからだ。


 しかし、アルエット共和国と国境を接する西の公国からの部隊、ヴェストヘルゼン公国軍は、公爵であるベネディクト自らが出征してきたが、その率いている兵力は5000名程度でしかない。

 本来の軍役の数分の一の規模にとどまった。


 領地をタウゼント帝国の西方に持つ諸侯たちの多くも、軍役の規定に満たない兵数での参加となった。

 これは、現在もタウゼント帝国と戦争状態にあるアルエット共和国に対して十分に備えなければならないという事情のため、致し方のないことではあったが、40万と号するサーベト帝国軍と戦うには心もとない限りだった。


 そうして、ノルトハーフェン公国軍の到着から数日もかかって、諸侯の軍勢に皇帝が直卒する親衛軍を加えたタウゼント帝国軍10万の集結が完了した。

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