第222話:「帝都」

 タウゼント帝国の帝都、トローンシュタットには、現状で帝国が動員できる全力である10万の軍勢が集結を完了していた。


 後は、皇帝であるカール11世が、ズィンゲンガルテン公国を救援するために出撃を号令するだけで、帝国軍は動き出すことができる。


 しかし、カール11世はなかなか、出撃の号令を発しなかった。

 それは、今回の敵が自軍よりも数が多く、工夫をしなければ容易には勝てない相手であるからだった。


 サーベト帝国軍は、自らを40万と号している。

 実数は20万程度であろうと推測されてはいるものの、それでも帝国軍の倍の数であるし、そもそも本当に実数が20万であるのかはまだ確定した情報ではない。

 もっと少ないかもしれないし、もっと多いかもしれないのだ。


 たとえば、なにもない平地に100人程度の人間がきれいに整列しているのであれば、簡単に誰でもその数を把握できるだろう。

 しかしそれが数十万もの多数であり、複雑に変化する地形の中にあるような状況では、その実数を完璧に数えることはまず無理だ。


 場所によっては見えない相手もいるし、敵なので見えやすいところまで近づくこともできない。

 おまけに、相手はずっと1か所にとどまっているわけではなく、移動したりするのだ。


 作戦というものは一般に、計算によって成り立っている。

 そして、これだけの戦力をこのように運用すれば、これだけの効果を得られるだろうという計算をするためには、自軍の戦力のことだけではなく、相手の戦力のこともある程度は把握できていなければならないのだ。


 カール11世は、アルエット共和国での敗戦から、慎重になっているようだった。

 だから、相応に納得のいく作戦を立てられるまで情報収集をしてからでなければ、動きたくないと思っている様子だった。


 軍隊の強い、弱いというのは、あくまでその時々の相対的なもので、それどころか配置された戦力の疎密や状態によって局所的に変化することさえある。

 決して、常に戦場のすべてが見通せるわけではない。

 だからこそ、戦術としての奇襲が成立するし、得ている情報を元に最善の選択をしたつもりでも、実際には不合理な選択を行ってしまっていることさえある。


 いわゆる、戦場の霧と呼ばれるものは、常に軍の指揮をとる者を悩ませてきたことだった。

 まして、すでに自身が起こした2度の戦争のいずれでも敗北し、もう同じような事態は避けたいと考えているはずのカール11世は、この戦場の霧を少しでも晴らし、薄くしてから出ないと、動くつもりにはなれないのだろう。


 また、カール11世が軍を動かそうとしないのには、現在の帝国軍に大軍を統率できる将校がいない、という理由もありそうあった。


 以前はアントンがその役割を果たしていたが、アルエット共和国との戦争での敗戦の責任を一身に背負って辞任して以降、帝国軍はアントンに代わる人材を確保できなかったようだった。

 相応の地位や実績を持つ将校はいたが、アントンのように大軍の兵站にまで気を配り、思慮深く、手落ちなく運用のできる将校は、残念ながら今の帝国にはいなかったらしい。


 そのアントンは、現在、ノルトハーフェン公国軍の参謀総長として、エドゥアルドとともに従軍してきている。

 いっそのこと、一時的にアントンを皇帝のために帝国軍の将校へ、客将のような形で復帰させられないか申し出てみようかとエドゥアルドが思ったほど、帝国軍の指揮能力は不足していた。


だが、さすがにそれは、アントンが帝国軍大将を辞任した理由もあって問題になりそうだからと、思いとどまった。


帝都で足止めを受けていることは、エドゥアルドにとって退屈なことだったが、カール11世が情報収集を熱心に行っていることは、決して悪いことではない。

 少なくとも前回の敗戦から学び、帝国に勝利をもたらすためになんとか工夫をしようとしている、ということだからだ。


 それに、エドゥアルドが帝都を訪れるのは、今回が初めてのことだった。

 公爵としての実権を得る前は幽閉同然の暮らしだったし、その以前は幼く、そして公爵としての実権を得た後はあまりにも忙しく、帝都を訪れる機会を得られなかったのだ。


 エドゥアルドは、なかなかズィンゲンガルテン公国の救援に出発できないことの憂さ晴らしも兼ねて、帝都の観光にいそしんだ。


 帝都・トローンシュタットは、タウゼント帝国の建国時に、広大な帝国の領土を治めるのに都合のいい土地を選んで建設された都市だった。

 元々は皇帝の宮殿とその城下町、およびそれらを守る城壁と城塞に囲まれた都市だったが、帝国の中心地として多くの人々が集まり、行き来するうちにその市街地は拡大し、度々城壁の拡張工事が行われた結果、今では三重の城壁を持つ巨大都市となっている。


 古くから帝国の首都であったために歴史的な建造物も多く、皇帝の住居でもあり、帝国の強大さを示すように壮麗で巨大な建築物である宮殿をはじめ、皇帝の離宮、帝国中から英才を集めて教育を施す帝国大学と膨大な蔵書を誇る大学図書館、歴代の皇帝の戴冠式が行われて来た大聖堂など、見どころも数多い。

 そもそも、三重に作られた城壁そのものもその壮大さが見ものだったし、その城壁の内側に作られた城下町も、十分に観光資源として成り立つ魅力がある。

 建国期の街並みの雰囲気をそのまま残している旧市街地や、帝国中から産物が集まって盛んに取引が行われている市場など、歩いているだけでも退屈を忘れることができる場所があちこちにある。


 特にエドゥアルドを退屈させなかったのは、帝都の観光に一緒に連れ回していたルーシェだった。

 エドゥアルドは、日頃の感謝の気持ちも込めて、特に親しい使用人であるマーリア、ゲオルク、シャルロッテ、ルーシェなどを引き連れて帝都を観光していたのだが、そのせいもあってかルーシェは自身が公爵家のメイドであるということも忘れて、無邪気にはしゃぎまわっていた。


 あれがすごい、これがきれいなど、ルーシェはあちこちを見ては嬉しそうに笑い、そして、「見てください、エドゥアルドさま! 」と、エドゥアルドもきっと喜ぶのに違いないと期待するような視線を向けてくるのだ。


 そのはしゃぎぶりは少し騒々しいくらいだったが、エドゥアルドはまったく、一瞬たりとも退屈を感じるようなことはなかった。


 そうして、帝都の主要な見どころも一通り観光し終えたころのことだった。

 エドゥアルドは、唐突に皇帝・カール11世からの呼び出しを受けていた。

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