第209話:「喫茶店:1」

 喫茶店というものは、タウゼント帝国では100年ほど前から存在している。

 コーヒーを提供する店で、コーヒーという飲み物が広まるのに従って、タウゼント帝国にも広まって来たものだった。


 その喫茶店というものがノルトハーフェン公国にもあることを、エドゥアルドは以前から知っていた。

 コーヒー好きのエドゥアルドは、1度は訪れてみたいと、かねがねそう考えていたものだ。


 しかし、なかなか、その機会はなかった。

 公爵としての実権を得る前は気軽に外出する自由がなかったし、公爵としての実権を得てからは、公国の改革やアルエット共和国への出征などによって忙しく、なかなか行く機会がなかった。


 それに、ルーシェがいつでも好きな時に、エドゥアルドが満足できるコーヒーをいれてくれるので、どうしても行かなければならないというほどのこともなかったのだ。


 だがここに来てエドゥアルドは、その喫茶店を訪れることになった。

 エーアリヒが、いい店を知っているからどうしても、と言って来たからだ。


(いったい、エーアリヒ準伯爵は、どういうつもりなのだろう? )


 エドゥアルドは喫茶店を訪れる日取りを決め、準備を整え、御者のゲオルクの馬車に乗り込んでもなお、疑問だった。


 民衆の考えを知りたいのならば、喫茶店に行くのがよい。

 エーアリヒはそんなことを言ってエドゥアルドに喫茶店に行くことを強く勧めてきたのだが、本当に喫茶店に行けば人々の世論がわかるのだろうかと、エドゥアルドは今も疑問に思わずにはいられない。


 なにしろ、喫茶店とは、コーヒーを飲みに行く場所だからだ。


 当のエーアリヒは、先にお勧めだという店に行って、待っているのだという。

 だからエドゥアルドは、未だに半信半疑ながらも、喫茶店に向かうしかなかった。


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 エーアリヒの強い誘いで喫茶店を訪れることとなったエドゥアルドには、御者のゲオルクの他に、2人の同行者があった。


 1人は、シャルロッテ・フォン・クライス。

 エドゥアルドのメイド兼、身辺警護を兼ねている。


 そしてもう1人は、ルーシェ。

 エドゥアルドのおつきのメイドだ。


 だが、喫茶店にコーヒーを飲みに行くと聞いたルーシェは、どういうわけか、ご機嫌ナナメだった。

 エドゥアルドとお出かけ、と言えば、いつもルーシェは喜んでくれるのだが、今回はどういうわけか機嫌を損ねている。


 それも、ルーシェが喫茶店に行きたくない、というわけではないらしい。

 エドゥアルドが喫茶店に行くことに機嫌を損ねているようなのだ。


「ルーシェ。

 どうして、僕が喫茶店に行くのが、そんなに嫌なんだ? 」


 馬車に乗る前からずっと頬を膨らませながらエドゥアルドのことをねめつけているルーシェに、エドゥアルドは戸惑いながらそうたずねていた。

 するとルーシェは、ツン、とそっぽを向いてしまう。


「だって、エドゥアルドさまにはいつだって、私がコーヒーをおいれして差し上げるのに。


 わざわざ喫茶店に行きたいだなんて、悔しいじゃありませんか」


 そしてルーシェは、不満そうな口調でそう答える。


 エドゥアルドは、思わず苦笑してしまっていた。

 どうやらルーシェは、コーヒーの味で、喫茶店に対抗心を燃やしているようなのだ。


 お茶会をしてからというもの、ルーシェはすっかり、以前の元気を取り戻していた。

 それだけではなく、以前よりもこうやって、感情をストレートにエドゥアルドに見せるようになっている。


 スラム街で育ったからか、ルーシェは以前から、[貴族と平民]という身分制度の存在についての認識が希薄なところがあったが、どうやらその部分がさらに強くなっているように思われる。


 だがそれを、エドゥアルドもシャルロッテも、とがめるようなことはなかった。

 気安く、気兼ねなく話してくれる相手としてルーシェがいてくれることは、エドゥアルドにとっては嬉しいことだったし、シャルロッテもエドゥアルドがそんな風に思っていることを知っているからだ。


 もちろん、対外的な場面では、こんな様子は見せたりしない。

 こんな気安いたわむれが許されるのは、あくまで内々でのことなのだ。


 エドゥアルドたちがヴァイスシュネーを出発してさほど時間も経っていなかったが、ゲオルクがあやつる馬車は目的地に到着し、停車した。

 なにしろ、目的地であるエーアリヒお勧めの喫茶店とは、ポリティークシュタットにあるからだ。


 先に馬車を降りて周囲の安全を確認したシャルロッテからの合図でエドゥアルドが馬車を降りると、目の前には、少ししゃれた印象の喫茶店の建物がある。

 基本的に壁は漆喰で白く塗り固められているが、アクセントとしてあえてレンガを外に見せるように作られており、見る者に単調さを与えない工夫がされている。

 窓は格子窓だったが、曲面を使って形に飽きさせないようにされているし、店の屋根から通りにはみ出すようにカラフルなストライプ柄の記事でひさしが作られており、日よけや雨よけの配慮もされている。

 そして店の出入り口の上には、店名なのか、[カミル・ハウス]という文字が、流れるような筆記体で描かれた看板が掲げられていた。


 店の周囲には、すでに、コーヒーの良い香りが漂ってきている。

 その香気を吸い込んだエドゥアルドは、思わず、これから飲むことになるコーヒーの味に期待してしまう。


 その時、エドゥアルドは背後に視線を感じた。

 どうやらルーシェがまた、喫茶店のコーヒーの味に期待しているエドゥアルドのことを、ジト目で睨みつけているようだ。


「お待ちしておりました、公爵殿下」


 その時、先に喫茶店で待っていると言っていたエーアリヒが店の中から出てきて、うやうやしくエドゥアルドのことを出迎えて頭を下げた。


「ああ、エーアリヒ準伯爵。

出迎えに感謝する」

「こちらこそ、私(わたくし)の願いを聞き届けてくださり、感謝しております。


 さ、中へお入りください。

 みなが公爵殿下のお出ましを待っております」


 エドゥアルドがエーアリヒに挨拶を返すと、エーアリヒはうなずき、それからエドゥアルドを見せの中へと案内した。


(みなが、待っている? )


 誰か、人が待っているのか。

 エドゥアルドはエーアリヒの言葉にそんな疑問をいだきながら、彼に案内されるまま、喫茶店の中へと入って行った。

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