第183話:「血のつながり:1」
フェヒター準男爵。
かつての、エドゥアルドの政敵。
エドゥアルドの命を直接狙いに来るほどの敵対心を示して来たその仇敵は、今や、なんの力も持ってはいなかった。
その傲慢(ごうまん)な性格のために、フェヒターには元々、心から忠誠を誓ってくれるような臣下はいなかった。
そんなフェヒターは、エーアリヒという後ろ盾を失ってしまうと、もはや誰1人としてつき従ってくれる者はいなかった。
ただ1人、アンネ・シュティという少女を除いて。
いくら、自分こそが本当の公爵だと叫んでみても、だれもその言葉に従ってくれないのでは、それは、ただの一個人となんの変りもない。
そして、公爵としての地位を盤石(ばんじゃく)のものとしたエドゥアルドからすれば、ただの一個人であるフェヒターなど、もはや脅威でもなんでもなかった。
正直なところを言うと、このまま、幽閉しているフェヒターを解放して、どこへなりと好きなところに行け、と放り出してしまっても、ノルトハーフェン国内にいる限りはなんの問題ともならなかった。
エドゥアルドの権力を揺るがすような力を、フェヒターはすでに失っているからだ。
それに、人々は進んでエドゥアルドに従ってくれるだろうと、最近はそういう自信を持てるようになってもいる。
フェヒターのことは今でも気に入らないし憎いという気持ちはあったが、アンネが示した忠誠に対する[褒美(ほうび)]と考えれば、エドゥアルドとしてはフェヒターを解放しても我慢(がまん)することができる。
だが、エドゥアルドとフェヒターの間には、厄介な関係があった。
それは、エドゥアルドとフェヒターが、実際に血でつながっている、ということだった。
自分は、嫡流の家系に生まれたのに、不当にエドゥアルドに地位を奪われた。
それが、フェヒターの主張だった。
エドゥアルドの前の前の公爵、祖父の時代に、フェヒターの父親はノルトハーフェン公爵家の長子として誕生したが、その母親の身分が低かったために正式な子供とは認められず、代わりに、高貴な生まれの女性から誕生したエドゥアルドの父親が、公爵位を継承した。
しかし、[嫡出児が公爵位を優先して継承する]というルールは、すでに明文化されていたルールだった。
だから、長子であるフェヒターの父親が公爵位を継げなかったのはおかしい、嫡流であう自分こそが公爵になるべきだというのが、フェヒターがかかげていた大義だった。
そのフェヒターの主張を、エドゥアルドは、偽りだと考えていた。
エーアリヒがフェヒターをそそのかし、そう思い込ませ、ウワサを流しているだけなのだと、そう思っていた。
しかし、実際に、エドゥアルドとフェヒターには、血のつながりがあったのだ。
フェヒターが言っていたことは、本当のことだった。
確かにフェヒターの父親は先々代の公爵、エドゥアルドの祖父の子であり、その子であるフェヒターとエドゥアルドは、従兄弟の関係にあった。
その血のつながりが、問題を複雑なものとしている。
フェヒターにもはやなんの力もなくとも、その血のつながりという事実を悪用して、外部の勢力がなんらかの陰謀を企む恐れがあったからだ。
ノルトハーフェン公爵としてのエドゥアルドの地位は、もはや盤石(ばんじゃく)なものとなっている。
今ここで人々に「誰が公爵にふさわしいか」とたずねても、ほぼ確実に「エドゥアルド」という名前が返って来るほどに、ノルトハーフェン公国の人々はエドゥアルドを支持し、信頼するようになっている。
だから、国内だけを見れば、フェヒターを解放してもまったくなんの脅威にもならない。
しかし、外国の勢力とフェヒターとが結びつけば、厄介なことになるかもしれない。
外国の勢力が、[真の公爵にその地位を回復させる]という大義をかかげて、ノルトハーフェン公国に対して攻撃をしかけて来るような可能性は、否定できないからだ。
もちろん、そうやってフェヒターが公爵位になれたとしても、フェヒターは多くの代償を支払うことになるだろう。
もし外国勢力がフェヒターを擁立(ようりつ)したのならば、その目的は、公爵の地位についたフェヒターから相応の謝礼を得るか、フェヒターを影響下に置いて、ノルトハーフェン公国を自国の都合のいいように操るために違いないからだ。
たとえ本当にそんな陰謀がめぐらされることとなっても、現在の、エドゥアルドの統治をほとんどの国民が支持し、受け入れている現状を考えれば、絶対に阻止できるという自信はある。
しかし、阻止できる陰謀なのだとしても、その陰謀に対処し、打ち破るために、エドゥアルドたちは大きな労力を払うことになり、最悪、ノルトハーフェン公国の人々が血を流すような事態に発展するかもしれなかった。
そんなリスクは、犯せない。
最初、フェヒターは、ノルトハーフェン公爵位を簒奪(さんだつ)する陰謀の首謀者であったエーアリヒ準伯爵に対しての[脅(おど)し]として生かされ、幽閉されていた。
陰謀のすべての証拠となるフェヒターの身柄を握っていれば、それはつまり、公爵であるエドゥアルドはいつでも好きなタイミングでエーアリヒを粛清(しゅくせい)できるということだからだ。
しかし、エーアリヒがエドゥアルドに忠誠を誓い、実際に忠良な臣下として国政に参画し、エドゥアルドの事業を一心に手助けしている今となっては、その、陰謀の証拠としてのフェヒターの価値は失われていた。
それでもフェヒターのことを幽閉し続けていたのは、エドゥアルドとフェヒターの間に存在する血のつながりのためだったのだ。
エドゥアルドは、自身とフェヒターとの間にある血のつながりについて考えを巡らせながら、黙々と朝食をとった。
(重いな……)
貴族にとっての、血のつながり。
その意味、重さを思い知らされながら、エドゥアルドは、自分が帝国貴族の1人であるのだという事実も再確認させられていた。
それは、エドゥアルドが生まれながらにして背負って来た、宿命だ。
その宿命は、エドゥアルドに大きな力を与えるのと同時に、多くの責任と義務ももたらしている。
そして、エドゥアルドがそこから自由になりたいとどんなに願っても、消し去ることのできないものだった。
エドゥアルドは、現状を受け入れている。
公爵としての使命はエドゥアルドの毎日を充実させてくれていたし、ノルトハーフェン公爵となることはエドゥアルドにとって望むところではあったが、それでも、息苦しさを感じることもある。
公爵家に生まれた、自分。
自身に流れる血は、エドゥアルドにとっての力であるのと同時に、枷(かせ)でもあった。
(アイツは今頃、どうしているだろうな……? )
エドゥアルドはシャルロッテがいれてくれたコーヒーを飲み、ヴィルヘルムの到着を待ちながら、ふと、自身が背負っている貴族としての重荷を忘れさせてくれる、明るい笑顔でいつもにぎやかで楽しそうな少女のことを思い出していた。
なんとなく、寂(さび)しいような気持だった。
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