第182話:「私の恩人」
アンネ・シュティが、すべてをシャルロッテに白状した、その翌日。
シャルロッテは、朝一番で、エドゥアルドのところを訪れていた。
「おはよう、シャーリー。
今日は、どうしたんだ?
僕の身の回りのことは、アンに手伝ってもらうことになっていたはずだが」
「おはようございます、公爵殿下。
いえ、少々、アンネには問題が生じまして」
部屋に入って来たシャルロッテに朝の挨拶をしたものの、いつも忙しいはずのシャルロッテがアンネの代わりにやってきたことに怪訝(けげん)そうな顔をしたエドゥアルドに、シャルロッテも挨拶を返し、それから、いつもの冷静な口調でそう答えていた。
「アンに、問題……?
まさか、カゼでも引いたのか? 」
「そういうわけでもございません。
アンネは、健康でございます」
シャルロッテに手伝ってもらって服を着替えながら、エドゥアルドは不思議そうな表情をしていた。
そうこうしているあいだに、着替えは、すぐに終わった。
今日はどこかに外出する予定もなく、儀礼的な盛装をする必要もない、ラフな服装に着替えるだけでよかったことに加えて、シャルロッテの手際がよかったからだ。
「ならば、どうしてアンではなく、シャーリーが僕を手伝いに来てくれたんだ? 」
「そのことでございますが。
公爵殿下に、お知らせしなければならないことがございます」
着替え終わったエドゥアルドがあらためてそうたずねると、シャルロッテはそう静かな口調で答えた。
「……わかった。
詳しく話を聞かせてもらおう」
そのシャルロッテの様子に、これがただならぬことなのだと察したエドゥアルドは、そう言って自身も真剣な表情でうなずいてみせていた。
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アンネが、このヴァイスシュネーで働き始めた理由。
そして、ここでひそかに、なにを行っていたのか。
シャルロッテからことのあらましを聞き終えたエドゥアルドは、不愉快そうな顔で押し黙っていた。
エドゥアルドは、アンネに対して怒っているわけではなかった。
それは、エドゥアルドたちに内緒で、コソコソとかぎまわっていたのは許されるようなことではなかったが、その動機、自分の元々の主人、自身にとっては命の恩人であるフェヒターを探し出すというものには、理解はできるからだ。
忠誠という言葉は、貴族社会においては伝統的に尊重されて来た言葉だった。
主君に仕えるのにあたって忠誠を示すというのは、帝国貴族の間で常に求められてきたことであり、忠誠を示した者は称賛され、特に顕著(けんちょ)な事績を残した者の名は、後世に長く語り継がれることともなる。
それを示したともいえるアンネの行いには、見るべきところがある。
アンネの行いは、エドゥアルドに対しては不忠であっても、自分の元々の主人のためには忠義であるのだ。
その心意気を、帝国貴族であるエドゥアルドは一概に否定することはできなかった。
だが、エドゥアルドが不愉快な気分になっているのは、フェヒターという名前を、思い出してしまっていたからだった。
シャルロッテと同様、エドゥアルドは、かつての政敵の名を、すっかり忘却してしまっていた。
ノルトハーフェン公国の国内の改革、そしてアルエット共和国への出征と、公爵としての実権を獲得したエドゥアルドは忙しく、充実していた日々を送ってきた。
その日々の中でエドゥアルドは、すでに自分の敵とはなり得ないほど弱体化したフェヒターのことをイチイチ思い出すような暇(いとま)もその必要もなかったのだ。
だが、シャルロッテからその名を聞かされて、エドゥアルドは、せっかく忘れていたフェヒターとの不愉快な記憶を思い出してしまっていた。
フェヒターは、単純に、エドゥアルドの敵であった、というだけではない。
エドゥアルドにとって、許しがたい態度を度々示し、フェヒターの性格もまた、エドゥアルドとは相いれないものだった。
エドゥアルドは、質実剛健であろうと心がけている。
普段の生活は公爵としての威厳が損なわれない程度にできるだけ質素にするが、そうやって節約した経費でノルトハーフェン公国において富国強兵を実施し、公爵として、国家がこれから先も安泰であり、民衆が安心して豊かに暮らせるようにすることが、自分自身の責任であると考えているからだ。
しかしフェヒターは、エドゥアルドとは正反対に、贅沢で豪奢(ごうしゃ)な生活を好んでいた。
彼は支援者であったエーアリヒ準伯爵からの資金で着飾り、配下のごろつきたちにも、まるで皇帝の親衛隊のような派手できらびやかな衣装を着せていた。
フェヒターは、自分を着飾り、自分を実体以上に大きく見せることに執念を燃やしているようだった。
そのフェヒターの考え方が、見た目よりも実を取るべきだと現実的な考え方をするエドゥアルドにはまったく共感できず、不快でたまらなかった。
せっかく、その気持ちを忘れることができていたのに。
「アンネは、どうしているんだ? 」
エドゥアルドはその感情を隠すことなく、ぶっきらぼうにシャルロッテにたずねていた。
「自室で待機させております。
特に見張りなどもつけておりませんが、たっぷりと私(わたくし)がお話をさせていただきましたので、逃げ出すような心配もないでしょう」
「そうか……」
シャルロッテの返答に、エドゥアルドは憮然(ぶぜん)とした表情のまま頬杖をついた。
それから、しばらくの間、この問題にどう対処しようかと考える。
シャルロッテは、エドゥアルドが考えているのがわかっている様子で、静かに、公爵家のメイドらしい美しい立ち姿で、じっと、エドゥアルドがどんな結論を出すのかを待ち続けていた。
「……ヴィルヘルムを、呼んでくれ」
やがてエドゥアルドは、その、自分にとっての貴重な助言者の名を口にしていた。
この問題は、自分1人だけで決めるのは手に余ると、そう考えたからだった。
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