第181話:「意外な名前」

 シャルロッテに全面降伏したアンネは、彼女が宣言したとおり、なんでも、素直にしゃべりはじめた。


「わっ、私!

 ヨーゼフ様を、お探ししていたんです! 」


 すっかり怯えて顔面を蒼白にしながら、アンネはシャルロッテに白状した。


「私、元々は、ヨーゼフ様にお仕えしていたメイドで!

 他の人はみんな、ヨーゼフ様のことをよく思っておられないようですけど!

 でも、私にとっては、命の恩人で、とっても、良いご主人様だったんですっ!


 だけど、ヨーゼフ様、どこかに幽閉されてしまっていて!

 だから、このお屋敷のどこかにいるかもしれないって、そう思って!


 ずっとずっと、探していたんです! 」


 そう白状するアンネの様子は、とても、ウソやデタラメを言っているようには思えない。


 だが、シャルロッテは、少し不思議そうに首をかしげていた。


(ヨーゼフ様とは、いったい、どなたのことなのでしょう? )


 アンネが白状した名前、ヨーゼフという名を持つ人物について、シャルロッテはまったく、思い当たる相手がいなかったのだ。


 アンネによると、その、ヨーゼフという人物は、もう何か月も前からどこかに幽閉されている、ということだった。

 しかも、アンネの推測によると、このヴァイスシュネーのどこかにいるのでは、ということだった。


 しかし、シャルロッテに、思い当たる人物はいない。

 エドゥアルドの護衛として、古くから仕える先任のメイドとして、このヴァイスシュネーでのことはほとんどすべて把握しているはずなのに、該当(がいとう)する誰かが想像すらできない。


 少なくとも、メイドを雇えるほどの財力があるのだから、それなりの地位を持った人物であるはずだ。

 そうであるのなら、シャルロッテが知らないはずは、絶対にないのだが。


「ヨーゼフ様は、確かに、大罪人なのかもしれないですけど……っ!

 ずっとずっと、閉じ込めておくなんて、あんまりです!

 かわいそうすぎます!


 お願いです、シャルロッテ様っ!

 ヨーゼフ様を、もう、解放してあげてください!


 もうきっと、公爵になるだなんて、分不相応なことなんて、考えないはずですから!

 公国は、エドゥアルド様のものですから!

 だから、ヨーゼフ様をっ!


 それはどうしてもできないとおっしゃるのでしたら、せめて、私をヨーゼフ様に会わせてくださいっ! 」


 不思議そうにしているシャルロッテの前で、アンネは、もう、感極まったように涙をこぼしながら、そう、必死に訴えかけていた。


 そして、その時ようやく、シャルロッテにもアンネが言うヨーゼフという人物が誰なのかが、わかっていた。


 ノルトハーフェン公爵を簒奪(さんだつ)するという、分不相応な野心を抱き、何か月も前にその野望に失敗して、それ以来ずっと、幽閉されている人物。


 その名は、ヨーゼフ・ツー・フェヒター。

 エドゥアルドに代わってノルトハーフェン公爵になろうとし、政争に敗れた、あのフェヒター準男爵だった。


────────────────────────────────────────


 フェヒター。

 その存在を、シャルロッテはすっかり忘れてしまっていた。


 かつてフェヒターがエドゥアルドの命を狙い、その公爵位を簒奪(さんだつ)しようとしていたころは、シャルロッテにとってフェヒターはもっとも警戒するべき相手であり、常にその存在は頭のどこかにあった。

 だが、フェヒターの野望が失敗に終わり、フェヒターの後援者であったエーアリヒ準伯爵がエドゥアルドに忠誠を誓って、フェヒターが完全に力を失って以来、シャルロッテの脳裏からフェヒターの存在は忘却されていた。


 なぜなら、フェヒターはもう、シャルロッテが守り、仕えるべき主である、エドゥアルドの脅威とはならなくなったからだ。


 エドゥアルドによるノルトハーフェン公国の統治は、盤石(ばんじゃく)なものだった。

 最初はエドゥアルドの若さに不安を覚える人々が多かったのだが、行政を効率化する改革を実行したり、法令類の整理を実施したり、出征するとタウゼント帝国が敗北する中でもしっかりと成果をあげて多くの兵士たちを無事に帰還させたりと、エドゥアルドの手腕を見て、人々はエドゥアルドのことを信頼するようになっていた。


 フェヒターを擁立(ようりつ)して、自身が公国の実権を握ろうと目論んでいたはずのエーアリヒ準伯爵も、今ではエドゥアルドの忠良な臣下だった。

 後ろ盾もなく、民衆もエドゥアルドのことを強く支持している状態で、幽閉の身にあるフェヒターがなにを企もうと、どうすることもできないはずだった。


 だからシャルロッテは、ここで、アンネからフェヒターの名前が出てきたことが、驚きだった。


 自分自身、すっかり忘れ去っていた人物だったが、そもそもフェヒターには、人望がなかった。

 部下と言えば金で雇っただけのごろつきばかりで、フェヒターにはそういった金銭による関係抜きで、彼に忠誠を誓う者は誰もいなかったからだ。


 だが、アンネがあらわれた。

 彼女は、自分にとっては命の恩人だというフェヒターのために、ヴァイスシュネーにメイドとして潜り込み、周囲に気に入られ、溶け込もうと懸命に働きながら、フェヒターの行方に探りを入れていた。


 それは、アンネにとっては命がけの行為だっただろう。

 もはやエドゥアルドたちにとってフェヒターがなんの脅威にならずとも、フェヒターは公爵位の簒奪(さんだつ)を目論んだ大罪人であるからだ。


 それこそ、フェヒターを救出するために暗躍(あんやく)していたと知れれば、アンネは打ち首になってもおかしくないほどだった。


「なるほど、あなたは、フェヒター準男爵のメイドだったのですか。


 ですが、残念ですね。

 フェヒター準男爵なら、もう、このお屋敷にはおりませんよ? 」

「そ、そんなっ!? 」


 シャルロッテがそう言うと、アンネは、絶望したような顔をする。


「ま、まさか、ヨーゼフ様、もう打ち首にされてしまったとか……っ!? 」

「いえ、ご存命ですよ」

「ほっ、本当ですかっ!? 」


 だが、シャルロッテがフェヒターの生存を伝えると、アンネは表情を輝かせる。

 どうやら本当に、アンネだけは、フェヒターのことを慕っている様子だった。


「お話は、わかりました。

 私(わたくし)の一存ではフェヒター準男爵にあなたと面会させることはできませんが、公爵殿下にこの件、ご相談させていただきましょう」


 フェヒターにも、忠誠を誓い、自発的に働こうとする者がいる。

 その事実を知ったシャルロッテは、アンネのことを(なんて、物好きなのでしょうか)と、不思議に思いながらも、そう言っていた。

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