第184話:「血のつながり:2」

「すべては、フェヒター準男爵次第であろうと思います」


 エドゥアルドに呼ばれ、御前に参上したヴィルヘルム・プロフェートは、エドゥアルドからことのあらましを聞き終え、どう対応するべきだろうかとたずねられると、いつもの柔和な、底知れない笑みを浮かべながら、そう答えていた。


「今さら、フェヒターがなんだというのだ? 」


 エドゥアルドはやはりフェヒターのことが嫌いなのか、不愉快そうに鼻を鳴らし、吐き捨てるようにそう言った。


「今さら、奴になにをたずねる必要がある?

 アイツは今や、なんの力も、誰の後ろ盾もない男だ。

 そして僕は、ノルトハーフェン公爵だ。


 アイツの意志など関係なく、僕が決めればいいことだろう? 」

「公爵殿下と、フェヒター準男爵との間には、血のつながりがございます」


 あからさまに不愉快そうな様子の主君を前にしても、ヴィルヘルムはいつもの表情を崩さない。

 エドゥアルドの怒りが別にヴィルヘルムへと向いているわけではないとはわかりきっていたし、説明すればエドゥアルドも理解してくれると、そう信頼しているからだ。


「公爵殿下もすでにお考えのことと存じますが、今さらフェヒター準男爵を解き放ったところで、国内的にはまったく、問題となりません。

 エーアリヒ準伯爵はもちろん、臣民はみな、公爵殿下の統治を支持しております。

 フェヒター準男爵がなにをしようと、公爵殿下の足元がゆらぐことはございません。


 しかしながら、外部の勢力がフェヒター準男爵を利用し、新たな謀略を企む恐れは、排除できません。


 ですから、すべては、フェヒター準男爵次第なのです」


 ヴィルヘルムはそこで、エドゥアルドの反応を待って言葉を区切った。


 そのヴィルヘルムのもったいぶった様子に、エドゥアルドは不愉快そうな顔で、軽くヴィルヘルムのことをにらみつける。


 ヴィルヘルムは、試しているのだ。

 エドゥアルドが、自力で答えにたどり着けるかどうかを。


「……それはつまり、フェヒターが、我が国以外の勢力と結びつく意志があるのかどうか。

 未だに、僕の地位を奪おうと考えているかどうかが問題だ、ということか? 」

「公爵殿下のご明察、感服いたしました」


 少し考えてから正解を言い当てたエドゥアルドに、ヴィルヘルムは少し嬉しそうな様子になると、そう言ってうやうやしく一礼して見せた。


 ノルトハーフェン国内ではもはやなんの影響力も発揮できないフェヒターを、未だに幽閉し続けている理由。

 それは、解放すれば外国の勢力によってその存在を利用される恐れが生じ、かといって、安易に処刑することもできないからだった。


 フェヒターは間違いなく、大罪人だ。

 ノルトハーフェン公爵の位を簒奪(さんだつ)しようと目論んだだけではなく、エドゥアルドの命を狙いさえし、直接、私兵を率いて攻撃して来た相手だ。


 普通なら、即刻処刑となっても、なにもおかしくない罪状だ。


 しかしながら、フェヒターを取り巻く状況は、複雑だった。

 なぜなら、フェヒターの背後で陰謀を主導し、資金を与えるなど援助して来たエーアリヒ準伯爵は、その罪を免除され、エドゥアルドの忠良な臣下として今でも仕えているからだ。


 こんな状況が許されているのは、エーアリヒの罪が、そもそも「なかった」ことにされているおかげだった。


 罪に問うべきことをそのままにしておけば、エドゥアルドの統治は、その公平さを疑われることになる。

 しかし、エドゥアルドにとって、エーアリヒの行政手腕は、必要な物だった。


 だからエドゥアルドは、エーアリヒが自身に忠誠を誓う意思があることを確認すると、その罪状をなかったことにしたのだ。

 それが、エドゥアルドが公爵としての実権を掌握(しょうあく)して最初に行った政治判断であり、それによって、エドゥアルドは大きな恩恵を得ている。


 だが、この政治判断によって、フェヒターの罪状も曖昧(あいまい)なものとなっていた。

 フェヒターがエドゥアルドの命を狙ったということは事実だったが、その、フェヒターの簒奪(さんだつ)の陰謀について厳しく追及すれば、必然的にエーアリヒの罪状も蒸し返さなければならないせいだ。


 だからエドゥアルドは、エーアリヒを重臣として用いようとするかぎり、フェヒターを罪に問うて処刑することができなくなってしまったのだ。


 フェヒターは、公爵家の血を引き継いでいる。

 そんなフェヒターを処刑するためには相応の理由が必要であり、エドゥアルドがもし、フェヒターを処断しようとすれば、そうするだけの理由があると明らかにしなければならない。


 法が、エドゥアルドを始めとする権力者によって恣意的(しいてき)に運用されることがない、公平な国家をつくる。

 それを目標として国政を改革したエドゥアルドには、理由を明かすことなしにフェヒターを処断することはできなかった。


 もしエドゥアルドが理由を明らかにせずにフェヒターを処断すれば、エドゥアルドの治世には大きな疑問が生まれることになるのだ。


 エドゥアルドが下した最初の政治判断はきっと、エドゥアルドが死ぬまで、そして、死んで以降も、ずっと明かされることのない、記録にも残されない秘密になるだろう。

 その秘密を抱えていることは、エドゥアルドにとって心苦しいことではあったが、その後ろ暗さは、ノルトハーフェン公国を統治していく上ではどうしても許容しなければならないものだった。


 結局、フェヒターは殺せない。

 だから、幽閉しておくことしかできない。


 問題は複雑で、とても結論など下せなかったためにエドゥアルドたちはフェヒターの処遇についての判断を保留とし、諸事の忙しさに任せて忘却していたのだ。


 そんな、微妙な位置にいるフェヒターの幽閉を解くためには、フェヒター自身の意志を確認しなければならなかった。


 もしフェヒターが今でも、どんな手段を使ってでもエドゥアルドから公爵位を簒奪(さんだつ)しようとしているのならば、外部の勢力と結びついて、ノルトハーフェン公国に新たな害をもたらすのに違いないのだ。


「……会って、みるか」


 フェヒターと顔を合わせるなど、エドゥアルドにとって、これ以上に嫌なことは他にない。


 しかし、人望がないと思っていたフェヒターのために働こうとするアンネという少女が示した忠誠心にも、エドゥアルドは帝国貴族としてこたえてみせたかった。


 エドゥアルドは、自身が感じている不快さを我慢(がまん)してでも、フェヒターにもう1度だけ、会ってみることに決めて、憮然(ぶぜん)とした表情のままそう呟いていた。

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