第177話:「夜回り:1」
夜になって人気(ひとけ)も少なくなったヴァイスシュネーの廊下を、公爵家のメイド、シャルロッテ・フォン・クライスが、1人だけで進んでいた。
外はすっかり暗くなってしまっていたが、ヴァイスシュネーの各部屋をつなぐ廊下は、夜間でも防犯のために多くの蝋燭(ろうそく)とランプの明かりで照らし出され、明るい。
その明るさのおかげで、シャルロッテの怜悧(れいり)な表情も、美しくのびた背筋も、はっきりと見ることができる。
それは、1日の仕事終わりに毎日欠かさずにシャルロッテが行っている、最後の確認のための夜回りだった。
シャルロッテは、部屋や窓の戸締りなどを丁寧に確認しながら、城館の隅から隅まで見て回ることを日課としている。
シャルロッテは、メイド長であるマーリアに次いで、重要な立場にいるメイドだった。
以前からエドゥアルドに仕えてきたというだけではなく、シャルロッテが、エドゥアルドの身辺警護を任されているという事情があるためだ。
もちろん、ヴァイスシュネーには夜間でも、相応の数の兵士たちが警備についている。
だからわざわざシャルロッテが確認などしなくともエドゥアルドの安全は確保されているのだが、それでも、万一がないように念には念を入れておくのが、シャルロッテだった。
「あら、オスカー。
どうかしたのですか? 」
ヴァイスシュネーの上の階から順に見回りを終え、1階の最後の部屋の戸締りを確認したシャルロッテは、足元に暖かくて柔らかな感触を感じ、視線を落としてその正体を理解すると、優しい笑みを浮かべた。
ルーシェの家族である猫のオスカーは、そっと身体をすりよせてシャルロッテに自身の存在を気づかせた後、すっと少し距離を離して、すとん、とお行儀よく腰かけた。
そしてオスカーはじっと、シャルロッテのことを見つめる。
それは、オスカーがシャルロッテに助けを求めているサインだった。
スラム街でシャルロッテに救われて以来、オスカーは、なにか困りごとがあるとこうやってシャルロッテに助けを求めに来るのだ。
たとえば、舎弟となった野良猫が病気や怪我をして危険な時。
他にも、ヴァイスシュネーの内部を見回っていて、不審なことに気づいた時。
オスカーはこうして、シャルロッテに知らせに来るのだ。
だが、言葉の通じない猫であるだけに、オスカーが、具体的になにに困っているのか、あるいはなにを知らせたいのかは、シャルロッテの側で推察するしかなかった。
「また、あなたの子分たちが、困っているのですか? 」
シャルロッテがそうたずねてみても、オスカーは反応しない。
「そうではない」と、シャルロッテに言っているようだった。
「この前教えてくれた雨漏りは、すでに業者を手配して修繕しましたし……。
街の猫たちのことでないとすると……」
そう呟きながら悩んでいたシャルロッテだったが、ふと、オスカーがいつも以上に真剣で、深刻そうな様子であることに気がついた。
そしてその瞬間、すぐに、シャルロッテはどうしてオスカーがここにやって来たのかを理解していた。
「なるほど、あの子のことですか」
ルーシェに、なにか問題が起きている。
オスカーは、ルーシェのためにシャルロッテに助けを求めに来たのだ。
「ふふっ、わかりました。
私に解決できるかはわかりませんが、お仕事が終わったら、あの子の様子を見に行ってみます」
シャルロッテは、少し笑いながらそう言う。
ルーシェのことを、手のかかる教え子だと思うのと同時に、スラム街で初めてオスカーと出会った時のことを思い出して、ルーシェたち家族のきずなの強さを微笑ましく思ったからだった。
するとオスカーは、安心したのか、シャルロッテに「お願いします」と言うような視線を向けて少しだけ頭を下げると、立ち上がってシャルロッテに背中を向け、のっしのっしと、ボス猫の風格を醸(かも)し出しながら歩き去って行った。
猫は、基本的に夜行性の生き物だ。
この広大な城館であるヴァイスシュネーを縄張りとしているオスカーは、今晩も、城館に潜むネズミを退治し、縄張りに異変がないかを見回りに行くのだろう。
「……さて、では、お仕事を片づけてしまいましょうか」
シャルロッテはルーシェがなにに悩んでいるのかをあれこれ想像しながら、今日の見回りで確認しなければならない最後の扉に向かって手をのばした。
そっとシャルロッテが手を触れると、扉は、ビクともしなかった。
きちんと鍵がかけられ、戸締りがされている。
そしてその扉が確実に施錠されていたことを確かめると、シャルロッテはふところから鍵束を取り出し、その扉を開いた。
戸締りを確認して回るのだから、鍵がきちんとしまっていることが確認できれば、それでいいはずだった。
しかし、シャルロッテがわざわざ、きちんと戸締りされていた部屋の扉を開き、その扉の中へと入って行ったのは、その扉の向こうにまだ、彼女が済まさなければならない仕事が残っているからだった。
そこは、物置部屋だった。
古い甲冑や武器、使わなくなった家具、その他の雑多なガラクタ。
それらが詰め込まれた、雑然とした部屋だった。
その部屋には普段、誰も立ち入らない。
そこにしまい込まれているものは頻繁(ひんぱん)に用いるようなものではなかったし、もしかするとこれから先もずっと使われることがないかもしれないものばかりなのだ。
シャルロッテは、部屋の外に備えつけてあったランプを手に取って明かりをつけると、その、ガラクタばかりが並んだ部屋の奥へと進んでいった。
その先には、一見、なにもない。
ただ、なにが入っているのか分からないような木箱などが並んだ、棚があるだけだった。
シャルロッテは、その棚に手をのばすと、慣れた手つきで、棚の一部をぱかっと開いた。
ぱっと見にはわからないように作られていたが、どうやらその棚の一部は開くようにできており、そして、その開いた奥には、鍵穴のようなものがあった。
その鍵穴に、シャルロッテは、鍵束とは別に持ってきていた、他の鍵とは形状が大きく異なる特殊な鍵を差し込んで、ひねった。
すると、ガチャリ、と鍵が開く音がする。
鍵を引き抜いて再びふところにしまったシャルロッテは、ゆっくりと棚を押した。
すると、棚はまるでそれ自体が扉であったかのように開いていく。
その隠し扉の先にあるのは、階段だった。
上へと続く螺旋階段(らせんかいだん)で、その行き着く先は暗がりになっていてわからない。
シャルロッテは一度、背後を振り返った。
そして自分以外の誰もこの部屋にいないことを確認すると、迷うことなく隠し扉の奥へと進み、隠し扉を元のように閉じると、手に持ったランプの明かりを頼りに、先の見えない螺旋階段(らせんかいだん)を登って行った。
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