第149話:「盟友引退:2」
クラウスが引退する。
それは、確かに以前から決まっていたことだ。
跡継ぎのユリウスはすでにその方針を何度も聞かされていたし、エドゥアルドも、クラウスがゆくゆくは引退するつもりであるということを聞かされていた。
だが、いざ、実際にクラウスが表舞台を去るとなると、戸惑いを覚えざるを得ない。
ユリウスは父親であるクラウスのことをアテにしていたのはもちろん、エドゥアルドも、クラスのことは頼りに思っていたのだ。
確かに、後ろ暗いウワサを持つ人物ではある。
しかし、ユリウスにとってクラウスは思慮深く導きや示唆(しさ)を与えてくれる存在だったし、エドゥアルドにとっては恐ろしくも心強い味方だった。
そのクラウスが表舞台を去って、これから先は、エドゥアルドとユリウスの若い2人が矢面に立っていかなければならない。
いつかそうなるのだと知ってはいても、その時が来てみると、やはり、エドゥアルドもユリウスも不安を覚えずにはいられなかった。
「……おお、そうじゃ、大事な仕事を1つ、忘れておったわい」
浮かない顔をしている2人の様子を眺めていたクラウスは、やがてなにかを思い出したかのようにそう言うと、給仕に働いていたメイドを呼んだ。
すると、呼ばれたメイドはなんだか嬉しそうに、素早くやってくる。
「はーいっ、なんでございますかっ!? 」
「おう、元気なメイドじゃの。
新しいグラスを2つと、白ワインを持ってきてくれんか? 」
「はい、かしこまりました」
元気に明るい声で返事をしたメイド、ルーシェは、青いリボンで結んだツインテールをなびかせながら素早く大広間へと向かい、そして、求められた通りのものを持って戻ってくると、「それでは、またなにかご用がありましたら、いつでもお呼びくださいませ」と一礼して去って行った。
「さぁ、ユリウス、エドゥアルド殿。
グラスを持ってくれんかの? 」
ルーシェが持ってきた上物の白ワインのコルクを抜きながらクラウスがそう言うと、互いに顔を見合わせたエドゥアルドとユリウスは、不思議そうな表情のまま、言われるままにグラスを手に取った。
クラウスもユリウスも、これまで、赤ワインを楽しんでいた。
だから、白ワインを頼むのに当たって、新しいグラスを用意させることはなにもおかしなことではない。
だが、なぜ、クラウス自身ではなく、エドゥアルドとユリウスにグラスを持たせるのか。
その意図がわからず、若い2人は怪訝(けげん)そうな顔をするしかなかった。
「いやぁ、ちょっと、の?
せっかくじゃし、我がオストヴィーゼ公国と、ノルトハーフェン公国の盟友関係を、今後も盤石なものとして続けていくための、足場固めをしておきたいと思っての? 」
不思議そうな顔をしているエドゥアルドとユリウスに、クラウスはニヤリとした笑みを浮かべると、彼が用意した2つのグラスの意味を教えてくれる。
「聞いた話なんじゃが、遠くの異国では、[義兄弟の契(ちぎ)り]というものがあるそうじゃ。
同じ酒を酌(く)み交わし、飲み干して、これから先、互いに実の兄弟のように、親しく、力を合わせて行こうと誓い合う風習なんじゃそうじゃ。
要するに、じゃ、のう?
ここでひとつ、盟友であるだけではなく、義兄弟として、エドゥアルド殿とユリウスとが、より強い関係を作って欲しいと、そう思っての」
エドゥアルドとユリウスは、再び、お互いの顔を見合わせていた。
義兄弟の契(ちぎ)り。
そういった風習はヘルデン大陸ではあまり知られていないものだったが、どこからかそれを知ったクラウスは、エドゥアルドとユリウスを義兄弟にしたいらしかった。
すでに、エドゥアルドとユリウスは盟友の関係にある。
互いにこれからもその関係を続けて行こうと考えているから、あらためて義兄弟の契(ちぎ)りを結ぶ必要は、ないようにも思える。
それに、血縁関係を重視する貴族社会の中で、酒を酌(く)み交わすだけのこの行為が、いったい、どれだけの効力を発揮するのかどうか。
ただ、互いに義兄弟となることを誓い合ったという行為を共有するだけで、そこにはなんの証拠も残らない行為に、なんの意味があるというのか。
「さあさあ、エドゥアルド殿も、ユリウスも、グイッと、飲み干してくれんかの?
そうしてくれれば、わしはすっかり安心して、心おきなく引退できるんじゃがのう?
の? ここは、このわしのためにと思って、の? 」
エドゥアルドもユリウスも、馴染みのない風習に戸惑ってはいたが、そんな2人にクラウスはやや強引に迫って来た。
「えっと……、これから先は、ユリウス殿のことを、義兄上(あにうえ)、とお呼びすれば良いのでしょうか? 」
そのクラウスからの圧力に気圧されて、エドゥアルドはユリウスにそうたずねていた。
「……年齢順に言えば、そうなることになるでしょうが。
しかし、私としては、エドゥアルド殿とは対等な義兄弟でありたいと思います」
ユリウスもエドゥアルドと同じ気持ちなのか、戸惑いを残したままそう答える。
「なら、2人とも、双子のようなものと思えばよいではないか!
さ、グイッと、飲み干しなされ」
そしてその確認の言葉だけで、クラウスはエドゥアルドとユリウスが、互いに義兄弟となることを認めたのだと見なしたようだった。
クラウスが「さぁ、さぁ」と強引に急き立てるので、しかたなく、エドゥアルドもユリウスも、グラスに注がれた白ワインを口へと運ぶ。
エドゥアルドは酒を口にするのはこれが初めてだったが、そもそも味を知らなかったことが逆に幸いして、グラスのワインを飲み干すことができた。
ユリウスの方も、まだ戸惑いながらも、一息でワインを飲み干す。
「いやぁ、よかった、よかった。
これで、2人は義兄弟。
つまり、オストヴィーゼ公国と、ノルトハーフェン公国は、運命共同体ということじゃ。
両国は、栄える時も一緒、そして、滅びる時も一緒じゃ! 」
ワインを飲み干したものの、その初めての感覚にむせて咳き込んでいるエドゥアルドと、そんなエドゥアルドを心配して気づかっているユリウスの様子を眺めながら、クラウスは愉快そうに笑っていた。
(もしかして、早まったことをしたのでは……? )
身体の中に流し込んだ白ワインの慣れない感覚に咳き込みつつも、エドゥアルドは、クラウスにまんまといいように誘導されてしまったのではないかと、そんなふうに思っていた。
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