第148話:「盟友引退:1」

 しばらく前、エドゥアルドはクラウスたちと、軍事衝突の一歩手前という緊張状態にまで至ったことがある。

 ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国は国境を巡って、争っていたのだ。


 だが、今はこうして、盟友として親しく言葉を交わして、笑い合っている。

 それは、少し不思議な感じもするが、それが貴族社会、政治の世界というものだった。


(昨日の敵は今日の友、とは言うが……)


 皇帝から、若さと同時に覇気と才気を持つと言われたエドゥアルドではあったものの、やはり、経験はまだ少ない。

 たとえ争ったとしても、利害が一致し、対立の原因が解消されれば、まるで古くからの友人のように親しく接するという貴族の生き方には、エドゥアルドはまだ慣れることができなかった。


 クラウスは、エドゥアルドのために多くのことをしてくれた。

 エドゥアルドたちノルトハーフェン公国軍が帝国領へと帰還するためにグロースフルスの渡河点を守ってくれただけではなく、エドゥアルドの望みであった、アントンを救うことや、バ・メール王国に対し何らかの形で救援を実現するために、クラウスは尽力してくれたのだ。


 自分は、黒幕でいたいから。

 そんな風に黒幕を気取っていたクラウスだったが、その言葉通り、彼はエドゥアルドの気づかないところで暗躍し、そして、エドゥアルドに有利になるように配慮してくれたのだ。


 クラウスは密かに皇帝に言上して、アントンを救うだけでなく、ノルトハーフェン公国の客将とできるようにしてくれたし、バ・メール王国を救援することの必要性を諸侯に説き、義勇軍を編成するために奔走(ほんそう)してくれた。


 それはもう、盟友であるというだけではなく、エドゥアルドに個人的に好意を持ってくれているのではないかと、そう思われるほど、クラウスはエドゥアルドを助けてくれたのだ。


「クラウス殿とユリウス殿が、アルトクローネ公爵と共に渡河点を守っていて下さらなければ、我がノルトハーフェン公国軍は敵地で途方に暮れていたでしょう。


 もちろん、僕としても、今回の戦役でのことは誇りに思わないでもないのですが、共和国軍の追っ手に行く手をさえぎられた時、クラウス殿とユリウス殿が援軍に駆けつけてくれたことには、心から救われたと、そう思ったのです。


 それだけでは、ありません。

 クラウス殿は、アントン殿を救い、我がノルトハーフェン公国に客将として招くことができたことにも、バ・メール王国に義勇軍を送り込むことにも、協力してくださいました。


 本当に、クラウス殿とユリウス殿には、感謝しています」

「ほっほっほ。

 ま、それくらい、当然のことじゃよ」


 本心から述べられたエドゥアルドの感謝の言葉に、クラウスは機嫌良さそうに笑うと、ぐいっ、とワインをあおった。


「なんせ、ワシらは、盟友なんじゃからな?

 それに、貴殿には物資を融通してもらったし、借りがあったからのぅ。


 おっと、借りた物資は、後でちゃんと返すからの?

 わしゃ、自分が得をするのは大好きじゃが、返すと約束したものは返す主義なんじゃ。

 信用は、大事じゃからの」

「はい。

 僕も、信用の大切さ、肝に銘じておきます」


 少し茶目っ気を見せてウインクをするクラウスに苦笑しながら、エドゥアルドはうなずいてみせる。


「それに、わしゃ、これが最後の仕事じゃと、そう思っておったからの」

「……。

今、なんとおっしゃいましたか? 」


 なごやかな雰囲気だったが、しかし、ポツリと呟かれたクラウスの言葉に、エドゥアルドは思わず表情をこわばらせ、そう聞き返していた。


 すると、クラウスはエドゥアルドの方へ視線だけを向け、くっくっ、と喉の奥を振るわせて笑う。


「そう驚くことでもなかろう?

 わしが引退することは、前から決まっておったことじゃ。


 だからこそ、大事な跡取りのユリウスを今回の出征に参加させたんじゃ。

 ユリウスはこれが初陣というわけでもないが、大きな戦争というものを、わしの目の届く範囲で見せておいてやりたかったからの」

「しかし、父上。

 まだ父上はお元気なのに、こんなに早く引退されるのは……」


 クラウスの、「これが最後の仕事」という言葉に驚いたのは、エドゥアルドだけではなかったらしい。

 街の喧騒(けんそう)を楽しそうに見つめながらワインを楽しんでいたユリウスだったが、彼はワイングラスを手すりの上に置くと、クラウスに困ったような表情を向けてそう言った。


「安心せい。

 ユリウス、お主はもう、公爵として立派にやっていけるわい。


 今回の戦役でも、当主として、立派に一軍の指揮をとっておったではないか。

 わしはそんなお主の様子を見て、すっかり安心したからこそ、正式に引退すると決めたんじゃぞ? 」

「しかし、それは、父上のご助言があったからこそで……」

「助言なら、これからもしてやるわい。

 なにせ、ホレ、わしはまだまだ、元気じゃからな」


 ユリウスはまだ正式に公爵位を継承することには不安があるようだったが、そんな彼をはげますようにクラウスが微笑みながらそう言うと、それ以上は反論できなくなって、ユリウスは押し黙った。


「実を言うとの、わしが引退するということは、すでに、皇帝陛下にもご許可をいただいてあるのじゃ。

 オストヴィーゼ公国に帰ったら、正式に公爵位はユリウスにゆずる。


 なぁに、エドゥアルド殿、安心せい。

 ユリウスはなかなかよくできた息子じゃし、これからもわしが助言するし、ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国の盟友関係もなんら変わらん。


 要するに、じゃ。

 老いぼれは表舞台を降りて、後は若い者が主役になってくれと、そういうことじゃよ」


 さすがに、クラウスは根回しが良かった。

 皇帝から許可を得ているということは、すでにクラウスが引退するというのは動かしがたいということで、エドゥアルドもユリウスもそれ以上はなにも言えない。


「ああ、うまい。

 これは本当に、いい酒じゃのう」


 すべてやりきって引退するクラウスは、グラスのワインを飲み干すと、晴れやかな表情で満足そうに微笑んでいた。

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