第145話:「人は権力に微笑む:1」

 きっと、カール11世が皇帝でなかったら。

 彼は帝国貴族の中でも高位の公爵という地位にありつつも、帝国を戦争に導き敗戦させるという結果をもたらすこともなく、凡庸なりに、穏便に自身の領地を統治し、円満にその生涯を終えたことだろう。


 確かにカール11世は凡庸ではあったが、少なくとも、無能ではなかった。

 臣下の意見を理解するだけの能力はあり、アントンのような人材を用いるだけの器量もあったのだ。


 だが、皇帝であるがゆえに、カール11世は、間違いを犯した。

 先には、エドゥアルドの父親を戦死させるきっかけとなった戦役を起こし、今は、十分な情報収集と分析もなしに目的の曖昧(あいまい)な戦争を始め、多くの犠牲を出した。


 カール11世にとって、皇帝という地位は、その手に余るものだったのだ。


(それにしても……、いったい、僕になんのご用なのだろう? )


 そんな、不敬罪に問われてもおかしくないような内心など表面には少しも出さず、エドゥアルドは皇帝の前でひざまずいている。

 たとえ相手が凡庸と誰からも思われているような皇帝であろうとも、エドゥアルドはその臣下であって、最大限の尊重と忠誠を示すのが、帝国貴族に連なる者としてのあるべき姿だからだ。


「ノルトハーフェン公爵・エドゥアルドよ。

 おもてをあげよ」


 やがてカール11世は、穏やかな声でエドゥアルドにそう命じた。

 言われるがまま、エドゥアルドはゆっくりと顔をあげた。


「エドゥアルド公爵。

 このたびの働き、誠に、見事なものであった。


 戦場においては、我が帝国軍を救い、帝国領にあっては、我が密命をよく果たし、アントンの命を救ってくれた。


 まずはそのこと、褒(ほ)めてつかわす。

 朕は、心より、そなたに感謝しておる。


 本当ならば、領土を増やしてやらねばならぬところだが、帝国は敗れたゆえに、新たにそなたに与えてやれる領地もない。

 追って、なんらかの形で沙汰をしたいと思うておるから、それで許せよ」

「もったいなきお言葉でございます。

 しかしながら、このうえ、ご褒美をいただくなど、おそれ多いことでございます。

 アントン殿を客将として迎えることをご許可いただいただけでも、私(わたくし)には十分でございます」


 エドゥアルドのことをまっすぐに見つめながら、ストレートに感謝の言葉を向けてくるカール11世に向かって、エドゥアルドは本心から恐縮し、再び頭を深く下げていた。


 褒美(ほうび)をくれるというのは嬉しかったし、カール11世は実際、なんらかの形でエドゥアルドの働きに報いてくれるだろう。

 そしておそらくは、他の諸侯たちも、カール11世がエドゥアルドに褒美(ほうび)を与えることに、納得してくれるだろう。


 しかしエドゥアルドは、帝国の財政が、実は苦しいのだということも把握している。

 交易と産業化によって潤(うるお)っているノルトハーフェン公国の財政からは想像しづらいことだったが、タウゼント帝国の財政には余裕がなく、エドゥアルドに褒美(ほうび)を与えるのはかなり厳しいのに違いない。


 なにしろ、タウゼント帝国として必要な出費は、帝国領全体からではなく、主に皇帝の直轄領からの歳入でまかなっているのだ。

 もちろん、諸侯から相応の税の徴収や、それ以外の上納金などもあるのだが、皇帝の直轄領だけではなく、帝国全土を統治していくことを考えると、財源に余裕があるわけではない。


「どうか、私(わたくし)ごときにお気づかいなど、なさらぬよう。

 私(わたくし)が働きましたのは、帝国貴族として当然のことでございます。


 どうか、陛下には、私(わたくし)に与えてくださるというご褒美(ほうび)を、もっと、別の有意義なことにお使いくださいますよう」

「ほう、エドゥアルド公爵は、無欲だな?


 して、たとえば、どのようなことに使えと申すのだ? 」

「第一に、このたびの戦役で犠牲となった者たちの遺族に対し、皇帝陛下の御名を持ちまして、相応の一時金を御支給いただければと思います。

 父や夫を失い、困窮(こんきゅう)する者らも多くおりましょう。

 その者らに手を差し伸べ、十分な補償を行えば、皇帝陛下の慈悲深さを民衆は知ることができますし、我が帝国軍はこれからも陛下の手足となって働くことをいとわぬでしょう。


 それから、第二に、帝国の国力を増すためにお使いください。

 海の向こう、イーンスラ王国より広まりました蒸気機関の力によって、今、産業は大きな発展を遂げようとしております。

 その時流に乗り遅れずに産業を育成せねば、さしもの帝国といえど、時代遅れとのそしりを免れ得ぬでしょう。


 そして、第三に、帝国軍の補強にお使いください。

 このたびの戦役で、我が帝国は敗れましたが、その敗因には、共和国軍が徴兵制の軍隊であるにもかかわらず、強い軍隊であった、ということも大きな要因であると思われます。


 よって、我が帝国でも軍制改革を実行し、新しい時代に対応できる強力な軍隊を作らねばならないと愚考いたします。


 以上、三つの点にご留意いただけますならば、帝国の民衆は安心して豊かに暮らすこととなり、陛下の御名はいよいよ重くなり、私(わたくし)としても、喜ばしいことと存じまする」


 少しおもしろがっているような皇帝からの問いかけに、エドゥアルドはすらすらと自分の意見を述べた。


 これだけの言葉がすぐに出てきたのは、エドゥアルドがこれから公国に、そして帝国全体にとって何が必要となるのかを、必死に考えてきたからだった。

 そして、エドゥアルドがこれだけはっきりと皇帝の前で自身の意見を述べたのは、(僕の手柄を認めてくれているのだから、これくらい言っても罰せられることはないだろう)という目算もあってのことだった。


「……貴殿は、英気にあふれておるな」


 やがて、皇帝・カール11世は、しみじみとした口調でそう言った。

 そして頭を下げていたエドゥアルドに、「おもてをあげよ。遠慮はいらぬ」と命じて顔をあげさせると、カール11世は、エドゥアルドの顔を見つめながら、うんうんと何度もうなずいていた。


 そんなカール11世のことを、エドゥアルドは困惑しながら見つめていた。

 カール11世がどうして自分を呼び止めたのか、その話の本題がなんなのかが、未だに理解できずにいたからだ。


「そなたの持つ覇気、その才気……。

 いずれも、朕は持っておらぬものだ。


 だが、そんな朕にも、1つ、そなたに教えてやれることがある。


 それは、人は朕に対して微笑んでいるのではなく、朕の持つ権力に対して微笑んでいるのだということだ」


 やがて、皇帝・カール11世が口を開いてエドゥアルドに向かって述べたのは、そんな言葉だった。

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