第146話:「人は権力に微笑む:2」

 皇帝・カール11世。

 タウゼント帝国という強大な国家の国家元首であり、大きな権力を持っているはずの皇帝がエドゥアルドへと向けている視線は、どこか、エドゥアルドのことをうらやんでいるようでもあり、そして、なにかを寂(さび)しがっているようでもあった。


「ところで、エドゥアルド公爵よ。


 そなた、朕のことを、[凡庸な皇帝だ]と、そう思うておるだろう? 」

「はい。


 ……あっ、いえっ!

 そのようなこと、滅相もないことでございますっ! 」


 そのカール11世の様子に戸惑っていたエドゥアルドは、思わずカール11世の問いかけを肯定してしまい、それがあってはならないミスだと気づいて、慌てて頭を下げていた。


 しかし、カール11世は少しも不機嫌にはならなかったようだった。

 むしろ、少し嬉しそうに、「フフフ……」と笑みを漏(も)らす。


「よい、よいのだ、エドゥアルド公爵。

 朕とて、無能ではない。

 みなが、朕のことを内心では[凡庸だ]と思うておることくらい、気づいておる」


 カール11世はむしろ上機嫌な様子だったが、エドゥアルドは、冷や汗が止まらなかった。

 下手をすれば領地を取り上げられ、場合によっては打ち首にされてもおかしくないような失言をしてしまったからだ。


「いや、エドゥアルド公爵。

 別に、そなたをとがめようなどとは思わぬ。

 凡庸な朕は、きっと、若く、才気にあふれるそなたに、これから多くの苦労をかけることになるであるからな」

「はっ……、ハハッ!

 皇帝陛下のお申しつけとあらば、なんなりと」


 ひたすら恐縮して頭を下げ続けるエドゥアルドのことを、カール11世はしばらくの間、おもしろがっているような顔で見つめていた。

 やがて小さく深呼吸をしたカール11世は、「さて、貴殿を呼び止めた理由じゃが」と、ようやく、本題を切り出した。


「エドゥアルド公爵。

 貴殿、凡庸な皇帝である朕に、帝国諸侯が尊敬と忠誠を示し、帝国臣民がひれ伏すのは、いったい、どうしてであると思う? 」

「そ、それは……」


 エドゥアルドは、緊張からかゴクリ、と生唾を飲み込み、必死にどう答えればいいかを考える。

 カール11世はおもしろがっている様子だったが、これ以上失言をしてしまったらどうなるか、わかったものではない。


「それは、陛下が、我らが皇帝陛下であらせられるからだと、存じます」


 やがてエドゥアルドの口から出てきたのは、そんな、ひきつった声による答えだった。


「左様。その通りじゃ」


 だが、その答えで、正解だったようだ。

 内心でほっと胸をなでおろしているエドゥアルドに向かって、カール11世は、どこかしみじみとしたような口調で言葉を続けた。


「誰もが、朕にひざまずく。

 それは、朕がこのタウゼント帝国の国家元首、皇帝であるからだ。


 そしてそれは、朕自身が、偉いからではない。

 朕の、[皇帝という称号]が、その位が持つ[力]が、偉いのだ」


 ひとまず危機は脱せたと思ったものの、エドゥアルドはカール11世の言葉に困惑する他はなかった。

 いったい、なにをカール11世が言おうとしているのか、エドゥアルドにはまだ、少しも想像できていない。


「エドゥアルド公爵よ。

 貴殿には朕にはない、覇気も、才気もある。

 それに、貴殿は謙虚(けんきょ)で、努力も怠(おこた)らぬ。


 きっと、貴殿が皇帝となれば、我がタウゼント帝国は大きく変貌(へんぼう)することとなるであろう。

 朕などには考えも及ばぬ、新しく、そして、強大な国家へと」

「そんな……、おたわむれを」


 エドゥアルドは、震えた声でそう言うしかなかった。

 段々と、カール11世はエドゥアルドを困らせて楽しんでいるのではないかと、そんな気がしてきている。


 だが、カール11世は、真剣にエドゥアルドになにかを伝えようとしている様子だった。


「エドゥアルド公爵よ。貴殿はこれから、帝国で重きをなしていくであろう。

 たとえ皇帝とならずとも、貴殿の才は必要とされ、頼りとされるであろう。


 しかし、よく、覚えておくのだ。

 人々は、貴殿に向かって、誰もが頭を下げるであろう。

 しかしそれは、必ずしも、すべての人間が[貴殿]に対して頭を下げるわけではないのだ。


 貴殿の背負っている、公爵という肩書。

 そして、その手にしている権力に向かって、頭を下げる者も多くいるのだ。


 貴殿は、朕などよりもよほど多くの敬意を集め、人々から心から慕われる、良き君主となるであろう。

 しかし、中には、貴殿の持つ力のために、笑顔を作り、へりくだり、頭を下げる者もおる。


 凡庸な皇帝である朕に、諸侯が頭を下げ、朕に微笑みを向けるように。

 打算によって、そなたに近づく者たちもおるし、また、今のそなたが朕を恐れているように、権力を握る者の力を恐れて、へりくだる者もおるであろう。


 打算によって動いているものを信じ、その甘言を用いてしまえば、そなたはきっと、道を誤り、大きな失敗をすることになるであろう。

 そして、そなたを恐れて従っている者たちに気づかなければ、そなたがいかに才気にあふれた英傑(えいけつ)であろうと、暴君となろう。


 人は、権力に向かって微笑むのだ。

 力を持った者に向かって、その本心を隠さずにさらけ出せる者は、決して多くはない。


 エドゥアルド公爵よ、心するがよい。

 これが、凡庸な皇帝である朕が、そなたに教えることのできる、たった1つのことなのだ。


 貴殿の持つ力に向かって微笑む者たちを、そのまま受け止めるな。

 中には、貴殿の力によって利益をむさぼろうとする者もおる。

 その一方で、貴殿の力を恐れ、嫌とは言えず、無理やり従ってしまう者もおる。


 その、不誠実な輩を警戒し、そして、か弱き者たちを思いやってやるのだ。


 貴殿であれば、このことさえ忘れなければ、不誠実な輩であろうと役に立てることができ、そして、弱き者たちが陰で泣くようなことのない、正しき道を進んでいくことができるであろう」


 カール11世は、エドゥアルドの力量を認めてくれているようだった。

 そして、凡庸な自分とは違って、覇気と才気にあふれるエドゥアルドに、カール11世から教えられるただ1つのことを、教えようとしている。


 そこには、エドゥアルドが持つ輝かしい才能への、嫉妬心(しっとしん)も含まれているようではあった。

 だが、カール11世は、彼なりに、エドゥアルドの未来を手助けしようとしているようだった。


(人は、権力に微笑む、か……)


 エドゥアルドは、内心でその言葉を噛みしめながら、カール11世に向かってより深々と頭を下げていた。


「ハハッ!

 陛下のお言葉、エドゥアルド、しかと、肝に銘じまする! 」


 自分は、ノルトハーフェン公爵。

 小国とはいえ、一国の国家元首。


 その重みを改めて自覚させられるのと同時に、エドゥアルドは、少し不安にも思っていた。


(もしかして、アイツも……? )


 いつも屈託のない笑顔で、一生懸命にエドゥアルドに尽くしてくれる、とあるメイドの姿。

 彼女もまた、エドゥアルドの持つ[力]に向かって微笑んでいるのではないか。

 あるいは、その力を恐れている彼女に、エドゥアルドは知らず知らずのうちに無理をさせているのではないか。


 そんな風に思えてしまったからだ。

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