第144話:「別れの挨拶(あいさつ)」

 他の諸侯たちに負けず劣らずの速さで、エドゥアルドも帰還する準備を進めた。

 望郷の念があるのは否定できないことだったが、それよりもなによりも、エドゥアルドにはノルトハーフェン公国に帰還してやらなければならないことがたくさんあったからだ。


 すでにノルトハーフェン公国軍の中から義勇兵を募(つの)り、バ・メール王国救援のために派兵するための準備を進めている。

 さらに追加で送り込む義勇兵についても準備を開始するよう、すでにノルトハーフェン公国の宰相であるエーアリヒ準伯爵に書簡で連絡し、然るべき措置をするように命じてある。


 だが、ノルトハーフェン公国の国家元首であり、最高権力者であるエドゥアルドが直接裁可しなければ進まないということは、いろいろあるのだ。

 それに、手紙に書くだけでは伝わらないようなこともたくさんあったし、なにより、エドゥアルドにはヴィルヘルムだけではなく、公国の内情について詳しいエーアリヒともよく相談したいことがいくつもあった。


 結局、ノルトハーフェン公国軍からは、先発隊として2000名ほどの将兵が選ばれ、バ・メール王国を救援するために派兵されることとなった。

 これに、クラウスのオストヴィーゼ公国軍から約1000名、他の諸侯たちからも合計で2000名ほどの人数が集まり、それぞれの祖国へと向かわずに、直接、バ・メール王国へと向かうこととされた。


 バ・メール王国の国王、アンペール2世は、きっと、この軍勢を目にして、失望するはずだった。

 彼としては、数万単位の大規模な援軍を期待しているのに違いなく、それがたった5000名程度、しかも武装は小銃と銃剣のみで、野戦砲などの重兵装は一切なし、という具合なのだ。

 救援はこれだけではなく、後日改めてもっと強力な義勇軍が編成されるとはいえ、[帝国からの増援]に期待される大部隊と比較すると、あまりにも貧弱だった。


 だが、今の帝国には、これが精一杯だった。

 帝国がもっと中央集権的な国家であり、皇帝が絶対権力の持ち主であれば、その鶴の一声で諸侯は嫌々でもその全軍で王国を救援しただろうが、帝国全体の都合を考慮はするものの、結局は諸侯自身の都合が優先される現状では、これ以上の決定は下せない。


 とにかく、出征先の野営地でエドゥアルドにできることは、すべて、やった。

 バ・メール王国の救援に向かう義勇軍5000名にも、できるだけの武装を施し、かき集めた物資を持たせて、彼らに支払う予定の褒美(ほうび)の一部を前払いして、出発させた。


 そして、それらの措置を終えたエドゥアルドも、皇帝・カール11世に別れの挨拶(あいさつ)をするべく、その天幕へと向かった。


 少し話をして、アントンをノルトハーフェン公国の客将とすることを許可してくれたことに感謝をして、別れの挨拶(あいさつ)を述べる。

 エドゥアルドはそれだけのつもりだったが、しかし、彼と、皇帝・カール11世との対面は、長引いた。


 カール11世が、エドゥアルドと話すことを望んだからだった。


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 アルエット共和国侵攻戦争の敗戦の責任が重い者と言えば、カール11世自身もその1人であるはずだった。

 帝国における皇帝が絶対権力の持ち主ではないとはいえ、結局のところ、カール11世が[アンペール2世と共に共和国を攻める]と決め、帝国軍を招集しなければ、今回の戦争そのものが起こらなかったはずだからだ。


 たとえ実際の戦争指導は、アントンを始めとする帝国陸軍の将校団や、参集した帝国諸侯の意向を強く受けて実施されたのだとしても、戦争を実行すると決断して実行したのだから、カール11世の責任も大きい。

 いくら絶対権力を有していないとはいえ、カール11世はお飾りの存在ではなく、強い権力を有した皇帝なのだから。


 だが、アントンが敗戦の責任を一身に背負ったことで多くの諸侯が処罰(しょばつ)を免れたように、カール11世自身も、救われた。

 事実がたとえ違うものではあっても、歴史には、今回の敗戦はすべてアントンの指揮がよくなかったからだと記録されることになったからだ。


 帝国軍の作戦遂行にあたって大きな影響を及ぼしたカール11世も、他の諸侯たちもみな、歴史書に不名誉な形で名を残さずに済む。


 そのことをカール11世は理解しているのだろう。

 そして、少なからず、アントンに泥をかぶってもらうことに、罪悪感も有しているのに違いない。


帝国軍を解散し、諸侯へ帰還を許すと決めた時。

 そのあとすぐに、皇帝自身が誰よりも先に、その本来の玉座がある帝都・トローンシュタットへと帰還しても、誰もそれをとがめる者などいないはずだった。


 だが、カール11世は、未だに、共和国侵攻の根拠地として築かれた帝国軍の野営地にとどまっている。


(陛下は、[善人]でいらっしゃる……)


 それは、エドゥアルドには、カール11世なりの贖罪(しょくざい)なのだろうと思えてならなかった。


 多くの将兵を、勝利の栄光のないまま死なせることとなった戦争を起こした責任。

 負傷兵たちを置き去りにし、自分たちだけ生きて帝国へと戻って来たという、後ろめたさ。

 そして、その責任をすべてアントンに負わせるという、罪の意識。


 そんなことをした自分が、皇帝だからと言って、誰よりも先に、快適な帝都の宮殿に戻ることなど、できない。

 皇帝であるカール11世に誰も文句など言えないし言わないはずなのに、カール11世が最後に野営地を引き払おうととどまっているのは、彼自身が内心でそんな風に考えているからだとしか、説明のしようがない。


 カール11世は、エドゥアルドに「アントンを救え」という密命を与えた。

 それは、カール11世自身がアントンの能力を高く評価していたことだけではなく、アントンだけに責任を負わせることについての、罪の意識もあってのことに違いなかった。


 凡庸と言われる皇帝、カール11世。

 だが、彼は少なくとも、悪の側の人間ではなかった。

 個人レベルでは、誰もが持つような正義感や優しさを持ち、自分自身の責任を自覚することのできる、ごく[普通の]人間なのだ。


(陛下にとっての最大の不運は、皇帝に選ばれたということなのだろうな)


 皇帝との別れの挨拶(あいさつ)をするだけのつもりだったのに呼び止められ、「近くに参れ」と言われ、皇帝のすぐ近くまで進み出てひざまずいたエドゥアルドは、深く頭(こうべ)を垂れてかしこまりながら、内心でそんなことを考えていた。

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