第143話:「帰還」
エドゥアルドのノルトハーフェン公国軍を始め、皇帝の名によって参集した諸侯が解散し、それぞれの故郷へと向かって帰還を始めたのは、さらに数日後のことだった。
懸案となっていた、2つの議題。
バ・メール王国を救援するかという問題と、アントンの処遇をどうするか、実質的には[誰に、どこまで今回の敗戦の責任を問うか]という問題。
紛糾(ふんきゅう)して結論の出なかったこの議題に、ようやく、結論が出されたからだ。
まず、1つ目の議題。
バ・メール王国を救援するのか、どうか。
この件については、皇帝・カール11世の鶴(つる)の一声により、[帝国としては、公式には救援しない]ということが決められた。
これは、諸侯が内心では故郷に帰りたがっている、ということを考慮した結果だった。
タウゼント帝国は皇帝を国家元首として頂点に戴(いただ)く専制君主制の国家ではあるものの、その実態としては、被選帝侯である5つの公爵家を始めとした諸侯に強い自治権のある、中央の権力と並び立つほどに地方の権力が大きい。
だから、いくら皇帝といえども、諸侯の多数派の心情や事情をおもんばかった決定をするほかはなかったのだ。
特に、現在の皇帝であるカール11世のような、治世は長くともその間に目だった功績もない、諸侯から[凡庸]と思われているような皇帝の下では、諸侯の意志に反するような決定を下すことは難しかった。
しかし、バ・メール王国を救援しない、というのは、あくまで[公式には]だ。
帝国が直接軍隊を派遣することはないものの、[非公式に]、それぞれの諸侯が物資を送りこんだり、兵士を派遣したりすることは認められている。
要するに、カール11世は、多くの諸侯の帰りたいという気持ちにおもんばかった決定を下したものの、その一方で、バ・メール王国を救援すべきと主張した諸侯にも、救援を実施することに許可を出したのだ。
玉虫色の決定、と言う他はない。
すべての諸侯に都合がいいように、すべての諸侯から恨まれないような決定を下したというだけのことで、そこにはなんの確固たる方針も、思案もない。
(きっと、なりゆきだけで決めたのに違いない)
エドゥアルドは内心でそう断じたものの、その一方で、自分にとっては好都合で、実際のところありがたい決定だとも思っていた。
さすがにノルトハーフェン公国軍の全力で、となると[公式には派兵しない]という皇帝の決定に反することと見られかねないので難しいが、もっと小規模を義勇兵として派遣する分には問題ないということになったからだ。
ノルトハーフェン公国軍の将兵も、故国へと帰りたがっている。
しかし、相応の好条件で志願者を募れば、数千程度の、全体の戦局を動かすのは難しいが戦術的には十分価値のある集団を、今すぐにでも送り込むことが可能だろう。
そしてそれは、手始めだ。
エドゥアルドがノルトハーフェン公国に帰還してからさらに兵を募り、武装させ、支援物資と共にバ・メール王国へと派兵すれば、窮地にあるアンペール2世はなんとか持ちこたえてくれるかもしれない。
幸いなことに、内々に他の諸侯の意向をたずねてみると、[ノルトハーフェン公国軍が義勇兵を出すならば]と、自身もいくらかの義勇兵を出したいという考えを持っている諸侯は、少なくはなかった。
エドゥアルドが友好関係を築いた諸侯を中心に、ズィンゲンガルテン公爵・フランツのご機嫌をとろうとしていた諸侯の中から、いくらか。
また、エドゥアルドとは盟友関係にあるオストヴィーゼ公爵・クラウスも、数は明言しなかったがそれなりの数を派兵したいと、エドゥアルドの考えに賛同してくれた。
この、複数の諸侯が協同して集めた[義勇軍]は、最終的に1万以上の数にはなりそうだった。
あくまで、アンペール2世が要塞の防衛に徹すれば、という話になるが、この増援が成功すれば相当な時間稼ぎになるはずだった。
そして、稼いだ貴重な時間の間に、エドゥアルドは自らの公国で軍制改革を実行し、ノルトハーフェン公国軍を、できれば帝国軍そのものを、共和制の軍隊という新しい存在であるアルエット共和国軍に対抗できるものに作り変えていこうと考えている。
そのために必要な、アントン・フォン・シュタムという人材。
帝国が決められずにいたもう1つの懸案(けんあん)であった彼の処遇については、完全に、エドゥアルドの望み通りに決まった。
アントンは、帝国陸軍大将という地位を失うだけではなく、先祖代々受け継いできた爵位も領地も没収されることとなる。
その一方で、皇帝の許可により、エドゥアルドはアントンを[客将]として、ノルトハーフェン公国に導きいれることの許しを受けることができた。
アントンは、今回の、アルエット共和国侵攻戦争の敗戦の責任を一身に受けて、皇帝から処罰(しょばつ)される。
しかしその一方で、彼は社会的に完全に抹殺されることなく、エドゥアルドの下で相応の処遇を受け、その能力と経験を生かすことを、カール11世によって認められたのだ。
エドゥアルドはこの決定に大満足だったし、他の諸侯からも、なんの不満も出なかった。
アントンが敗戦の責任を一身に受けて処罰(しょばつ)されるということは、他の諸侯が処罰(しょばつ)を受けることはない、ということだからだ。
アルエット共和国侵攻戦争の敗戦を決定づけたラパン・トルチェの会戦での敗北に大きな責任のあった2人の公爵、ズィンゲンガルテン公爵・フランツと、ヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトは、表にこそ出さなかったものの、きっと、内心ではほっとしているのに違いなかった。
2人とも、現状で次の皇帝選挙が行われるとしたら、その際の最有力候補になるとみられている。
年齢的にも支配者として十分な経験を積んで働き盛りの40代、その領土も大きく、次の皇帝になるのは2人のうちのどちらかだろうと目されている。
タウゼント帝国では皇帝の権力は絶対のものではないとはいえ、その玉座は魅力的なものだ。
帝国貴族の頂点に立って、この巨大な帝国を自分のものとすることができるのだから。
その皇帝の座を争うレースに、今回の敗戦の責任から逃れることで、フランツもベネディクトも残ることができたのだ。
若輩のエドゥアルドには、皇帝位は自分には関係のないことだと思われることだったが、皇帝に近い立場にいる2人にとっては幸いだっただろう。
とにもかくにも、故郷に帰ることができる。
エドゥアルドにとっては、すべてを完全に肯定できない結果ではあっても、多くの諸侯にとって、故郷に帰還できるというのは本当に嬉しいことのようだった。
皇帝から、帝国軍としての参集の義務を解かれた諸侯は、その多くがほっと安堵(あんど)したような様子で準備を整え、皇帝への挨拶(あいさつ)を済ませた順に、それぞれの故郷へと帰還を開始した。
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