第142話:「客将」
ルーシェがエドゥアルドに持ってきた手紙。
それは、アントンが翻意(ほんい)し、エドゥアルドの力になるために生きると決めたことを知らせる手紙だった。
その手紙を読んだエドゥアルドは、それはもう、大喜びだった。
そして、すぐさま行動を開始した。
アントンにやってもらいたいことは、山ほどあるのだ。
今回の戦役で帝国が敗北した敗因を分析し、共和国が歴史的な大勝利を得た勝因を解明し、それらの戦訓を取りまとめ、どのように生かしていくのかを考えてもらわなければならない。
そのために、エドゥアルドはアントンに活躍の場を用意しなければならなかった。
いくらアントンの力が必要だからといって、やはり、今回の敗戦の責任が無罪放免となるわけではない。
皇帝であるカール11世は、すでにアントンに対してその爵位をはく奪し、地位も財産も没収するという厳しい罰を与えなければならないと決めている。
生きると決めてくれたものの、アントンに残るのは、命だけだ。
そんなアントンに働いてもらうためには、相応の待遇を用意しなければならない。
その待遇とは、アントンの衣食住を不自由のないように保証し、そして、しかるべき権限を与えることだ。
どんな人間であろうと衣食住に不便があれば満足な仕事はすることができないし、権限がなければ、どんな妙案を思いついたとしても、それを現実のものとして執行していくことなどできないからだ。
「ルーシェ、どんなに感謝してもしきれないけど、とにかく、僕は行かなきゃ! 」
エドゥアルドは、抱きしめた時と同じように突然ルーシェから身体を離すと、顔を真っ赤にしたまま驚きと嬉しさで呆然自失としてしまっているルーシェに向かってそう言って、駆け出した。
「ヴィルヘルム! ヴィルヘルム殿っ! 」
そしてエドゥアルドは、普段は年上への気づかいとして名前ではなく名字で呼ぶようにしているヴィルヘルムのことを思わず名前で呼びながら、彼が使っているはずのテントに向かって行った。
「……。
ふしゅぅ~……」
後に残されたルーシェは、もう、立っていることができなかった。
エドゥアルドに突然抱きしめられ、これまでに経験したことがないほど密着することになっただけでなく、耳元であらゆる賛辞と感謝でほめ殺しにされてしまったルーシェは、まるで蒸気がぬけるような声を漏(も)らしながら、腰砕けになってその場にへなへなとへたり込んでしまった。
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今回の戦争の敗戦の責任は、誰かが負わなければならない。
だが、アントンには、生きてこれからも力をつくしてもらわなければならない。
そんな思惑の下、皇帝・カール11世は、アントンに処罰を与えることを内心で決める一方、エドゥアルドに、[アントンを救ってくれ]と密命を与えていた。
それだけに、エドゥアルドの願いは、すべてがスムーズに受け入れられていった。
エドゥアルドは、アントンをノルトハーフェン公国に、客将として丁重に迎え入れるつもりだった。
そうして、ノルトハーフェン公国でアントンに対して十分な衣食住の保証を行い、然るべき権限を与えて、これからの公国に必要な軍制改革を実行してもらい、その改革を、ゆくゆくは帝国全体へと広げて行こうというのが、エドゥアルドの描いた青写真だった。
これには、1つ問題があった。
アントンはこれから、敗戦の責任を取り、[罪人]となるということだった。
貴族としての爵位を失うということは、それは、社会的に抹殺されるということに他ならなかった。
地位も財産も失って放り出されるだけではなく、そこからなんらかの功績をあげても、元の地位に復帰するということが許されないのだ。
それは、最大級の社会的な制裁だった。
アントンはこれから、[皇帝に裁(さば)かれた者]としてレッテルを張られ、それを背負って生きて行かなければならないのだ。
だから、本来であれば、いくらエドゥアルドが好待遇で迎え入れたいと願っても、それはできないはずだった。
公爵とはいえ、皇帝に仕える1人の臣下であるのに過ぎないエドゥアルドが、その皇帝に裁かれた者を重用することは、[皇帝に対する反逆]とさえ言われかねない行為となってしまうからだ。
だが、元々、皇帝であるカール11世も、アントンが生き続け、帝国のためになんらかの形で貢献してくれることを望んでいた。
だからこそエドゥアルドに密命を与えたのであり、そのエドゥアルドが見事にその密命を成功させた今、カール11世はその[褒美(ほうび)]として、アントンがノルトハーフェン公国に客将として迎え入れられることを、喜んで認めてくれた。
こうして、エドゥアルドにとって、1つの重要な事柄が片づいた。
アントンに対する処罰は後日、皇帝・カール11世の名によって正式に下され、アントンはその地位も財産も失うこととなるが、その代わり、彼はノルトハーフェン公国に庇護(ひご)され、その力をつくすことになる。
エドゥアルドは、大局から俯瞰(ふかん)して戦局を考えることのできる優れた将校を、その旗下に加えることになるのだ。
ノルトハーフェン公国にも優れた将校はいるが、今回の戦役で動員されたノルトハーフェン公国軍が1万5千名であったように、その勢力はあくまで[帝国軍の中の1部隊]に過ぎない。
数十万同士の大きな戦役を統率できるだけの知識と経験を持った将校は、いるはずがなかった。
ある意味では、エドゥアルドは分不相応な人材を手に入れることになる。
しかしそれは、ノルトハーフェン公国で実施していく軍制改革をやがては帝国全土へと広めて行こうと考えているエドゥアルドにとっては、必要なことだった。
ノルトハーフェン公国。
エドゥアルドが治める、小国。
そこに暮らす数百万の人々に、平和で、豊かな暮らしをもたらす。
それがエドゥアルドの望みだったが、そのためには、公国だけではなく、帝国全体で物事を考えていかなければならない。
今回の戦役が、いい例だった。
エドゥアルドは招集されたことで内政に集中できなくなり、公国を豊かにするための鉄道の敷設(ふせつ)計画などを延期しなければならなかったし、戦争のために多くの戦費が使われ、そのしわよせが公国の財政に忍びよりつつある。
なにより、ノルトハーフェン公国軍も、少なくない死傷者を出しているのだ。
公国と帝国は、強く関係している。
公国で暮らす人々のために、エドゥアルドはアントンの力を借りて、帝国全体を改革していかなければならなかった。
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