第141話:「大手柄」

 エドゥアルドの方に向かっててくてくと歩いてくるルーシェの顔は険しいものだった。

 そのルーシェの姿を見て、エドゥアルドはけげんそうに眉をしかめる。


(どうして、ルーシェが僕のところに来るんだ? )


 ルーシェは、いわばエドゥアルドの身の回りのことを手伝うことが専門のようなメイドだったが、今は、エドゥアルドとヴィルヘルムがアントンを翻意(ほんい)させる妙案を編み出すまでの時間稼ぎをしてもらうために、アントンの用事をするように言ってある。

 当然、ルーシェは一時的にだがエドゥアルドの世話をする役割を解かれており、朝一でエドゥアルドのところにやってくる必要は、ないはずだった。


 だが、ルーシェはどうやら、エドゥアルドの方を目指して向かってきている。


(まさか……、アントン殿が? )


 エドゥアルドは、普段のルーシェにはあまり見られない険しい表情を見て、そんな、不吉な予感をいだいていた。


 アントンは、エドゥアルドが彼の命を救いたがっていることに気づいていた。

 だがアントンの決心は揺らがず、彼は命を絶つつもりでいた。


 エドゥアルドがなにかして来る前に、自分なりの[ケジメ]をつけておこう。


 そう考えたアントンが、早々に、命を絶ってしまった。

 そしてその報告をするために、ルーシェが向かってきている。


 そんな想像をしたエドゥアルドは、すぐ近くまでやって来たルーシェに朝の挨拶をすることも忘れて、ゴクリ、と喉を鳴らし、緊張に身を固くしながらルーシェの方に向き直った。


「おはようございます、エドゥアルドさま」


 そんなエドゥアルドに向かって、ルーシェはそう朝の挨拶(あいさつ)をすると、公爵家のメイドらしいきちんとした仕草で一礼した


「あ、ああ……、おはよう、ルーシェ」


 そんなルーシェに、エドゥアルドはぎこちない様子で言葉をかえす。


「そ、それで?

 どうして、僕のところに来たんだ?


 お前には、アントン殿の世話をしてくれと、そう頼んでいただろう? 」


 自分はこれから、とてつもなく悪い知らせを聞かされるのではないか。

 そんな予感に恐怖を覚えながら、エドゥアルドはそれでも、ルーシェにそうたずねていた。


 なぜなら、エドゥアルドはノルトハーフェン公爵だからだ。

 もしアントンという貴重な人物が命を絶ってしまったのなら、エドゥアルドはこれから、公爵として、その現実をふまえた方策を考え、決定していかなければならないのだ。


「あのぅ……、実はですね、エドゥアルドさま」


 そんな、緊張している様子のエドゥアルドのことを見つめたルーシェは、なんだか困惑しているような顔でそう言うと、なにがあって彼女がここにいるのかを説明し始める。


「その……、ルー、昨日、アントンさまと、ケンカをしてしまいまして。


 その、オスカーがですね、急に乱入してきて、アントンさまの部屋の中を滅茶苦茶に……。

 それだけじゃなくって、アントンさまが書いていた、手紙? みたいなものを、ダメにしてしまいまして。


 それで、昨日、アントンさまにお叱りを受けたのですが……。

 ルーも、ちょっと、感情的になってしまいまして、その、言い合いになってしまいまして……。


 そしたら、ですね?

 アントンさまが、このお手紙を、エドゥアルドさまにお渡ししてくれって、おっしゃいまして」


 ルーシェは、自身が経験した出来事の非現実性を認識し、自分がとんでもない、メイドとしてあるまじきことをしてしまったのだと言うことを自覚しているようで、説明する口調はたどたどしく、少し震えていた。

 もしかしたら、エドゥアルドのメイドではいられなくなるかもしれないと、そう心配しているのかもしれない。


 だが、エドゥアルドは、ひとまずはルーシェがしでかしたことについてはなにも言わなかった。

 1人のメイドが、謹慎中とはいえれっきとした貴族であるアントンに対して、対等な立場で口答えするなど、身分制度のある帝国ではまったくあり得ない、あってはならないことだったが、今はルーシェのしでかしたことについて考えるよりも先に、読まなければならない手紙がある。


(これは、アントン殿の、遺言なのか? )


 エドゥアルドはそんな不吉な予感を覚えながら、ルーシェがおずおずと差し出して来た手紙をひったくるように奪い取り、きれいに折りたたまれていた手紙を広げて、急いで目を通す。


 最初は、切羽詰まったような表情で。

 だが、次第にエドゥアルドの表情は柔らかくなり、落ち着きを取り戻していく。


 そして、アントンからエドゥアルドにあてられた手紙を最後まで読み切ったエドゥアルドは、驚きと、喜びであふれんばかりの表情を浮かべていた。


「あのぅ……、エドゥアルドさま? 」


 おそらく、ルーシェはここに来るまでの間に、アントンの手紙を盗み見するようなぶしつけなことはしてこなかったのだろう。

 だから、(昨日アントンさまがエドゥアルドさまのために働くと決めてくださったこととは別にして、私の行状をエドゥアルドさまにお知らせして、叱ってもらうための手紙に違いないです)と、彼女はすっかりそう思い込んでいる様子だった。


「すごいぞ、ルーシェ! 」

「……ぅへぁっ!!!?

 えっ、エドゥアルドさまぁっ!!? 」


 不安そうなルーシェを、エドゥアルドは突然、思い切り抱きしめていた。


 ルーシェは、突然エドゥアルドに両手で強く抱きしめられて、驚き、戸惑い、わけがわからずにあたふたとし、恥ずかしさと嬉しさで赤面し、耳まで真っ赤になっていく。


「お前、いったい、どんな魔法を使ったんだっ!?

 大手柄だぞっ!!

 お前に爵位を授けてやりたいくらいだ!


 アントン殿が、僕に力を貸してくださるんだ!


 ルーシェ、本当に、ありがとう!

 お前はすごいメイドだっ! 」


 そんなルーシェを抱きしめたまま、エドゥアルドは彼にできる限りの賛辞と感謝の言葉を、雨あられと浴びせかけ続けた。

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