第139話:「生者の責任:3」

 アントンは、少し冷静さを取り戻し始めていた。

 そして、ルーシェに言われた、生者の責任について、考えていた。


 エドゥアルドが、アントンを必要としている。

 それは、エドゥアルド自身がアントンから用兵を学びたいと願っているのと同時に、これからアルエット共和国という新しい体制の国家と相対していくのに当たって、アントンこそが、帝国に必要な改革を実行できる人材だと考えているからだ。


 そのことは、アントンも理解していた。

 エドゥアルドはアントンの命を絶つという決意に気づき、何度も翻意(ほんい)するように説得してくれていたから、アントンもエドゥアルドの考えには自然と気づかされていた。


 エドゥアルドは、真剣だった。

 単純に人道的な視点や、エドゥアルド自身の優しさからではなく、切実に、アントンの力を必要としているからこそ、エドゥアルドはアントンをなんとか生かそうとしている。


 そんなエドゥアルドのことを無視して、命を絶ってしまうのは、自分勝手だ。

 そのルーシェの主張は、アントンの思考の中で何度も反響しながら駆け巡る。


(この子の……、ルーシェ殿の、言う通りなのかもしれないな……)


 アントンは、そう認めざるを得なかった。


 敗戦の責任を取って、自決する。

 そうすることでアントンは、戦争による犠牲者たちへの最大限の謝罪をなし、生き残った者たちへの教訓とし、そして、自分自身が担った罪と責任とを完結させるつもりだった。


 アントンにとっては、それで、すべてが終わるはずだ。

 自分は取り返しのつかない罪を犯したが、最後にはすべての清算をすますことができたと、そう安心して、満足して消えていくことができるはずだった。


 だが、それは結局、後に残る者たち、エドゥアルドたちに、[やり残した宿題]を押しつけることでしかなかった。


 アントンは、今回の敗戦における、最高責任者だ。

 帝国軍の最高司令官は、タウゼント帝国の帝冠(ていかん)をその頭上に戴(いただ)く皇帝、カール11世であったが、実質的に全軍を統括し、指揮をとる立場にあったのは、アントンだ。


 だからこそ自分が責任を取らなければならない。

 アントンはそう考えた。


 だが、アントンが重要な立場にいたということは、今回の戦役で得られた教訓を、もっとも多く知っているのも、アントンだということになる。


 アントンが自決した後も、帝国は存在し続ける。

 そこに暮らす多くの人々も、生き続ける。


 そして帝国は、変わって行かなければならない。

 新しい時代に合わせてそのありようを変えていくことができなければ、タウゼント帝国の1000年以上もの歴史も、近い将来、断たれることとなってしまうだろう。


 帝国が、どう変化していかなければならないか。

 この戦役の教訓をもっとも多く知っているということは、アントンこそが、帝国が変わるべき姿について、もっとも多くの知見を有しているということでもあった。


 その知見を活かすこともなく、帝国で行われるべき改革を他の者たちに任せて、命を絶ってしまう。

 それは、ルーシェの言うとおり、アントンの自分勝手であるように思われた。


 アントンは、すべての清算を果たしたと、心安らかに消えていくことができる。

 しかし、その代わりに、エドゥアルドのような若者が、余計な苦労を強いられることになってしまうのだ。


「あの……、アントン、さま。


 いろいろ、偉そうに言ってしまって、申し訳、ありませんでした……」


 アントンが自分自身の間違いを認めたころ、そのことを気づかせてくれた少女、ルーシェは、そう言ってアントンに謝罪した。

 自分がそんなことを言っていい立場にはいないということを、感情を爆発させ終わった後、冷静になったルーシェは、気づいたのだろう。


 そんなルーシェの、またとんでもない失敗をしてしまった、どうしよう、という途方に暮れたような様子を見て、アントンは微笑んでいた。


「いや、どうぞ、お気になさらないでいただきたい。


 私(わたくし)は、むしろ、あなたに感謝しているのです」


 そしてアントンは、穏やかな声でそうルーシェに言うと、腰かけていたイスからスッと立ち上がった。


 ルーシェは、そんなアントンを見て、ビクッと身体を震わせ、首をすくめて視線をアントンからそらした。


 いつもエドゥアルドの側で働いているから、ついつい忘れがちになってしまうのだが、ルーシェは平民であって、本来であれば、貴族を相手に物申せるような立場ではない。

 それなのに、アントンに向かって感情をぶつけてしまったルーシェは、自分がどんな罰を受けてもおかしくないと、そう思っていた。


 相手が並みの貴族であれば、ルーシェはきっと、タダでは済まなかっただろう。

 場合によっては、その場で手打ちにされても、おかしくはないのだ。


 だが、アントンは、ルーシェが想像したような態度は見せなかった。


 彼は1歩前へと進み出ると、ルーシェに向かって、自ら片膝をついてひざまずいてみせたのだ。


「ルーシェ殿。

 あなたのお気持ちは、よく、わかりました。


 よく、私(わたくし)に、私(わたくし)自身の過ちを、気づかせくれましたね。

 心から、感謝を申し上げさせていただきます」


 それは、貴族が、平民の、それもどこの馬の骨とも知れない少女に向けるものとは思えない、丁重な、うやうやしい態度だった。


「どうか、エドゥアルド公爵に、お伝えください。


 このアントンのお力を必要としていただけるのでしたら、いくらでも、お力になりましょうと。

 我が帝国を刷新しようとエドゥアルド公爵がお考えならば、私(わたくし)の全身全霊を持ちまして、その事業に参加させていただきます。


 私(わたくし)は、生き残った者としての、責任を果たさせていただきます」


 まるで、貴族が、貴族に対して見せるような態度。

 そして、ルーシェへと向けられた、優しく、落ち着いていて、敬意のこめられたアントンの言葉。


「……、ふへぇっ!? 」


 わけがわからずにきょとんとしていたルーシェだったが、アントンの言葉の意味を理解すると、彼女はそう素っ頓狂な驚きの声をあげ、イスごと後ろにひっくり返りそうになってしまった。

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