第138話:「生者の責任:2」
アントンの責任、犯してしまった罪。
それは、重いと言わざるを得ない。
アントンの指揮によって、数万の帝国軍の将兵が命を失い、傷つき、その犠牲に対し、勝利の栄光をもって報いることができなかった。
犠牲は、それだけではない。
武器を持たない非戦闘員だったアルエット共和国の民衆に対しても、大きな犠牲を強いてしまったのだ。
だからアントンは、このような結果をもたらした責任を取り、自らの命で償うべきだと、そう考えた。
そうして、戦争という行為の重大さ、その結果に対する責任の重さを示し、後に残される人々がそれを教訓とすることこそが、自分にできる最後の役割だと思っていた。
今回の戦争は、帝国側の慢心によって、実に気軽に始められたものだった。
普通に暮らしていた一般の民衆を徴兵して作られた共和制の歴史の浅い軍隊が、専制君主制の伝統ある軍隊に勝てるはずがないと、そう断じて、帝国は戦争を開始した。
帝国は敵国に対する情報収集を怠り、[知ったつもり]になって敵を侮(あなど)り、詳細な地図さえ持たずに攻め込んで、そして、惨めな敗北を経験した。
同じことを、将来の帝国がくり返さないために。
アントンは、その命をもって、戦争を始めるという決断の重大さ、その意味を、人々に示したかったのだ。
戦争とは、元来、国家の存亡を決めてしまうものだ。
古代の優れた用兵家が指摘しているように、その、戦争という行為の[重み]は、兵器や戦い方が進歩し、変化したこの時代でも、なんら変わらない。
その原則を、帝国は忘れ去っていた。
だからこそ、こんな、惨めな敗北を受けることになったのだ。
2度と、帝国が同じ過ちをくり返さないように。
そして、犠牲者たちに対し、アントンができる最大の謝罪を果たすために。
そのためにアントンが選んだのが、自決するという手段だった。
だが、そんなのは、自分勝手なことだ。
死者に対する責任はそれで果たせるのだとしても、生き残って、アントンの力を必要としている人々に対する責任は、どうするのか。
そのルーシェの言葉は、アントンにとっては、大きな衝撃だった。
死をもって、戦争という行為がもたらす重大さを、帝国に思い起こさせる。
それは紛れもなく、死者に対してではなく、生き残った人々に対するアントンなりの責任の果たし方ではあったが、しかし、それは一時的なものに過ぎない。
この戦争の結果を受けて、帝国は大きく揺らぐことになるだろう。
自ら変化しなければ、これまでのように帝国が存続できないかもしれないという可能性を、アルエット共和国、ムナール将軍によって、叩きつけられたからだ。
アントンが命を絶てば、確かに、帝国は戦争という行為の[重み]を思い出すだろう。
しかし、その[重み]を思い出したところで、変化した時代に合わせてどのように帝国の在り方を改革していくのかということは、ルーシェの言うとおり、生き残った者たちがやらなければならないことだった。
たとえば、エドゥアルド。
あの、年少の公爵が、アントンに代わって改革の矢面に立たされるかもしれない。
そのエドゥアルドが、アントンの力を必要としているのに、アントンは自分の死を持って自分自身の[責任]を完結させ、後のことはエドゥアルドたちに[丸投げ]してしまおうとしている。
生き残った者。
生者にしか、果たせない責任。
それを果たさないで死んでしまうのは、自分勝手だ。
そのルーシェの指摘に、アントンは反論する言葉をなにも思いつかなかった。
なにより、アントンの心を揺さぶったのは、ルーシェのその言葉が、うわべだけのものではないからだった。
ルーシェの言葉には、凄みがあった。
まるで、[死を覚悟するようなことがあったのに、それでも生きることを選ばなければならなかった]という、実体験を持っているように感じられたのだ。
言いたいことは、すべて言い終わったのか。
ルーシェはぎゅっと唇を引き結んで黙り込み、無言のまま、まなじりに涙を溜めた双眸(そうぼう)で、アントンのことを睨みつけている。
そのルーシェの姿を呆然としたまま見つめ返していたアントンだったが、ふと、彼女の瞳の中に、深い闇のようなものが漂っているように思った。
朗らかに、周囲の人々の気持ちを明るくするように笑いながら、一生懸命に働くルーシェ。
そんな彼女からは想像もできないような、深い影。
それが、彼女の青い瞳の中で、揺らめいている。
アントンには、その闇が、ルーシェの言葉にある凄みの正体なのではないかと思えた。
それは、本当の絶望を知っている者だけが持つ、暗い闇だと思えたのだ。
アントンは、ルーシェの過去を知らない。
だが、その闇に気づかされたことで、何となくだが、彼女がどれだけ辛い思いをしてきたのかを察することができた。
それは、おそらくはきっと、アントンと同じように、死を決意するほどの経験だったのに違いない。
アントンのように、他の人々に対する責任を果たすためではなく、本当に、自分自身の運命を悲観して、すべてを投げ出したいと、そう切実に願うほどの絶望を、ルーシェは過去に体験しているはずだった。
それでも、彼女は生きることを選んだのだ。
あるいは、生きざるを得なかったのか。
いずれにしろ、ルーシェが過去に強い絶望を経験し、それを乗り越え、今、こうしてアントンの目の前にいることだけは、確かなことに違いなかった。
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