第133話:「メイド、重要任務を受ける」
エドゥアルドとヴィルヘルムから見つめられること、数秒。
「も、もぉ~っ、なんでございますか? 」
ルーシェは恥ずかしそうに身をよじって、ほのかに赤面した。
そんなルーシェから視線をエドゥアルドへと戻したヴィルヘルムは、同じく、「ルーシェが、どうしたんだ? 」と不思議そうな表情でヴィルヘルムのことを見つめたエドゥアルドに向かって、彼の考えついたことを説明する。
「公爵殿下。
このように、なんとも朗らかで、明るく、楽しそうなルーシェ殿に身の回りの世話をされて、自決しようなどと考えるお人がいるでしょうか? 」
その時、エドゥアルドはまるで天啓(てんけい)でも受けたかのような気持ちだった。
まったく、ぐぅの音も出ない指摘だった。
ルーシェのように、屈託のない、今が幸せです! と主張するような純粋(じゅんすい)な笑顔で、この世になんの悩みもないですというような笑顔をされていては、どんなに思いつめた人間でも思わず、つられて笑みを浮かべ、楽しい気分になって来るのに違いない。
なぜなら、エドゥアルド自身がそうだからだ。
ルーシェの能天気さ、のんきさが、やるべきことをたくさん抱えて悩んでいるエドゥアルドにとってはなんとも眩(まぶ)しく、うらやましく、そして、救われるように思えるのだ。
「あの……、エドゥアルドさま? 」
ヴィルヘルムの意見にすっかり感心して、うんうん、それは名案だと何度もうなずいているエドゥアルドのことを、いつの間にかルーシェはジト目で、不満そうに見つめていた。
「なんだか、今、すっごく、すっごーくっ!
ルーのこと、バカにしてませんでしたか? 」
「いいや、とんでもない」
疑惑の視線を向けてくるルーシェに向かって真顔を作ったエドゥアルドは、そう言って首を左右に振って見せた。
確かに、ルーシェをなんの悩みもない、能天気、と思ったことは間違いない。
だが、ルーシェだって彼女なりに悩みはあるはずで、そう思われることは心外であるのに違いない。
しかし、それはあくまでエドゥアルドの内心のことで、ルーシェが鋭く勘を働かせてそんなエドゥアルドの内心を察知したのだとしても、ルーシェにはそれを事実と証明することは不可能な話だ。
すべて、エドゥアルドの胸の内に秘めていればいい。
それに、エドゥアルドは実際のところ、ヴィルヘルムの意見に感心しきっていた。
八方手詰まりといった感覚だったのに、そこに、急に道が開けたような気がしたのだ。
ルーシェが近くにいたら、きっと、アントンも気持ちが自然と明るくなるだろう。
たとえ、それでアントンが翻意(ほんい)するまでには至らないのだとしても、彼がその最後の決断を実行に移す時間稼ぎはできる。
そうであるなら、エドゥアルドはアントンを説得するために、さらなる時間を確保することだってできるのだ。
ルーシェに、アントンを説得させる。
それはまったく考えてみたこともない意見だったが、そのことについて考えてみれば考えてみるほど、エドゥアルドには名案だとしか思えなくなっていた。
「あの……、ご用がないのでしたら、私は、マーリアさまのお手伝いをしに行こうかと思うのですが……」
ルーシェとしては、エドゥアルドからはぐらかされているような、からかわれているような感じがして、おもしろくないのだろう。
エドゥアルドが内心でルーシェのことをバカにしたという証拠はなにもないのでそれ以上食い下がってくることはなかったが、ルーシェは、少し不機嫌な様子でそう言って、天幕から出て行こうとする。
「待て、ルーシェ。
お前に、頼みたいことがある」
「私に、ですか? 」
だが、少し慌ててエドゥアルドが呼び止めると、ルーシェはきびすを返すのをやめて、不思議そうな顔でエドゥアルドの方に向きなおった。
「ああ。
これは、重要な任務なんだ。
お前にしか、頼めない」
そんなルーシェのことを、エドゥアルドは真剣な表情で見つめてそう言った。
重要な、任務。
エドゥアルドのその言葉と、まっすぐに見つめてくる視線の真剣さに、ルーシェはごくり、と喉を鳴らしていた。
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アントン・フォン・シュタム伯爵。
帝国陸軍[元]大将。
アルエット共和国から撤退を完了したのち、帝国の今後を決めるための軍議が開かれたその日に、皇帝・カール11世の名によって、アントンが提出した辞表は受け入れられた。
そして、その措置が発表されるのと同時に、アントンの身柄はノルトハーフェン公国の預かるところとなることも公表された。
それは、アントンへの処罰が、彼の帝国陸軍大将という地位を奪うだけでは終わらず、さらに加えられるということを諸侯に向かって明らかにするものだった。
(これで、良いのだ)
アントンは、すがすがしい気持ちでその発表を聞き、そしてその身柄を、ノルトハーフェン公国軍の陣営へと移していた。
帝国に、大敗をもたらした。
自分にできることは、その責任を取り、そして、後に残る人々に対し、戦争という重大な出来事にあたる者の心構えを、その責任の取り方を示す。
それが自分に残された、最後の[仕事]だと、アントンはそう考えていた。
アントンに生き延びろと、そう言ってくれる人もいた。
エドゥアルドはじめ、帝国軍内部で、アントンの部下として働いていた将校たち。
そういった人々に必要とされ、気づかわれることは、アントンにとって嬉しいことであり、ありがたいと感謝してもいる。
しかし、それに甘えるわけにはいかない。
ただでさえ、自分は数万の将兵を死に至らしめる原因を作ってしまった、いわば、大罪人なのだから。
そんな大罪人が、のうのうと生き延びるのでは、戦死者たちにどうやって言い訳をすればいいのか。
アントンの心は、穏やかなものだった。
罪の意識は消えなかったが、自分はこれからその罪を皇帝の名によって裁かれ、しかるべき罰を受け、少なくとも、帝国における責任の取り方というものを示す、その役には立つことができる。
そうして、その命を捧げることによって、戦死者たちも少しは心安らかに眠ることができるのに違いないのだ。
ノルトハーフェン公国の野営地へとその身柄を移され、用意された天幕で謹慎しているアントンは、その日の夜、静かにテーブルへと向かい、まっさらな紙を前に、ペンを手に取っていた。
それは、アントンが残す、遺言だった。
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