第134話:「メイド流説得術:1」

「失礼いたします。


 お夕食をお持ちいたしました」


 ノルトハーフェン公国軍の陣営に用意されたアントンの天幕の外から、そう声がかけられたのは、アントンが遺言の最初の一行目を書き始めようとしていた時だった。


 ペンを置いたアントンが入口の方を振り返り、「どうぞ」と短く声をかけると、入って来たのは、メイド服の少女。

 青いリボンでまとめてツインテールにした、やや灰色がかった黒髪に、宝石のように深く輝く濃い青色の瞳を持つ、まだ10代の前半にさえ見える、幼さを残した少女だった。


 戦陣に、彼女のようなメイドを連れてくることは珍しいことだった。

 使用人をともなってくる貴族は多くいるが、そう言った場合に同行させるのは男性の執事か、戦場がどんなものなのかを経験させる教育目的で選ばれる貴族の子弟の少年であるのが一般的で、女性を、それも彼女のような幼さも残る少女を連れてくることはめったにない。


 しかし、アントンはその少女があらわれても、驚かなかった。

 ノルトハーフェン公国軍が、メイドをともなって今回の戦役に従軍しているということは、帝国軍の内部ではけっこうウワサになって広まっていたことだったし、アルエット共和国からの撤退戦の間ずっと、アントンはノルトハーフェン公国軍と行動を共にしてきたのだ。

 メイドたちがいるということは知っていたし、彼女たちが、献身的に負傷兵たちの看護をしてくれていたことも、知っている。


 実際のところ、惨めな敗北の中にあって、彼女たちメイドの存在は、負傷兵だけではなく、将兵たちの大きな心の支えとなっていた。

 古風で頑固な貴族や兵士などは、戦場に女性を連れてくるなんて、と、こころよく思ってはいない様子ではあったが、多くの将兵にとって、メイドたちの存在は、戦場からは遠い故郷に残して来た妻子を思わせる存在であり、その、妻子に再会するために生きて帰るのだと、過酷な撤退戦の間に折れそうになる心を支えてくれた。


「私は、エドゥアルドさまにお仕えしているメイドで、ルーシェと申します。


 エドゥアルドさまから、アントンさまのお世話をせよと、そう命じられております。

 なにかご用件がございましたら、どうぞ、なんなりとお申しつけくださいませ」


 あらわれた少女、メイドのルーシェは、そうアントンに挨拶すると、よく教育が行き届いているのか流麗(りゅうれい)な所作でアントンに向かって一礼した。


「ああ、よろしく頼む。


 短い間だろうが、なにかと、お願いさせてもらおう」


 そんなルーシェに向かって、アントンはわずかに微笑んでうなずいてみせた。

 ルーシェはまだ幼く、年齢的に言えば、アントンにとっては子供にしか思えない相手だったからだ。

 そしてそんなルーシェの存在は、アントンが故郷に残して来た家族の姿を思い出させてくれるものだった。


 そうして挨拶がすむと、ルーシェは、アントンのために用意された夕食を給仕し始めた。


 アントンに与えられた天幕には、一通りの家具が備えつけられていたが、テーブルは1つしかない。

 だからアントンはしかたなく、遺言を書き残そうとしていた道具を片づけ、夕食のために場所を作らなければならなかった。


 夕食は、なかなか、手の込んだものだった。

 数多くの使用人たちが、エドゥアルドが普段住んでいる城館、ヴァイスシュネーからやってきているというだけあって、戦陣であっても材料さえあれば様々な料理を提供できる様子だった。


 アントンは、ルーシェによると「エドゥアルドさまと同じもの」だというその食事を、喜んで食べた。

 長い撤退戦で粗食(そしょく)に甘んじてきたアントンからすれば、その食事は豪華なもので、味も量も申し分がなく、そして、どこかほっとするような味わいがしたからだ。


 それが、作り置きではない、暖かな食事だったというのもあるが、その料理を作った料理人は、それを食べさせる相手が長い撤退戦の疲れを残したままだということに配慮して、消化に優しいように工夫して料理を作ってくれたのだということが、胃の中に料理の暖かさが広がるのと同時に伝わってくるようだった。


 すっかり満足したアントンは、ルーシェに礼を言うと、彼女に「今日はもう用事はないから、君も休みなさい」と命じた。

 相手はまだ子供と呼んで差し支えない年齢だったし、アントンと同じように長い旅をしてここにいるのだから、きっと、疲れがたまっているのに違いないと思ったからだ。


 だが、ルーシェはなかなか、引き下がらなかった。

 どうも、ワーカホリックの気配がある様子で、「いえ、アントンさまのお世話をせよというのが、エドゥアルドさまの命ですから」と、下がって休むことを拒否し、アントンの天幕の外側でいつ呼ばれてもいいように待機し続けるつもりであるようだった。


 結局、アントンが折れた。

 ルーシェの頑固さはなかなかのもので、しかも他の家に仕えているメイドだから、アントンが強くどうこう言うわけにもいかないからだった。


 夕食の片づけも終わり、ひとまずルーシェを天幕の中からは追い出したアントンは、ふぅ、と一息ついてから、再びテーブルの上に紙とペン、そしてインクを用意した。


 そしてアントンは、遺言の、最初の一行を書き始める。


(エドゥアルド公爵は、私(わたくし)を、厚遇してくださっている。


 それはありがたいが、こればかりは、ゆずるわけにはいかないのだ)


 アントンは、エドゥアルドの気づかいを嬉しく思い、そして、自分の最後の時間を、こうしてノルトハーフェン公国軍の陣営で過ごすことができることに感謝しながら、ペンを進めていく。


 自分がやるべきこと。

 それは、自身の命を捧げることで、帝国に将帥としての在り方を示し、そして、アントンの指揮によって戦死した将兵に対し、せめてもの償いとすること。


 そんな自分が、エドゥアルドからの好意によって厚遇を受けていることは、アントンからしてみると、望外の喜びであった。


 だが、アントンのペンは、すぐに、止まることになった。

 なぜなら、少し調子が出て来たかな、という時になると、必ず、ルーシェが「なにかご用はございませんか? 」と、様子をうかがいに来るからだ。


 それはまるで、アントンが遺言を書き進めるのを、阻止しようとしているかのようだった。

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