第131話:「密命:2」

 アントンの命を、救うべし。

 それは、エドゥアルドにとって望むところだった。


 しかし、皇帝の天幕を辞し、ノルトハーフェン公国軍の野営地へと戻る道中、エドゥアルドは途方に暮れるしかなかった。


 アントンを、どうやって思いとどまらせるか。

 その方法について、エドゥアルドにはなんの腹案もなかったからだ。


 なにしろ、エドゥアルドはすでにアントンを説得しようとして、失敗している。

 アントンは元々、潔い人物であり、誰かが、誰にでもはっきりとわかる形で今回の敗戦の責任を取らなければならないと、そう決意をしている。

 エドゥアルドの説得を素直にありがたいと感謝をしている様子ではあるものの、その決意が揺らぐことはなかった。


 そんなアントンを、どうやって説得するのか。

 カール11世からの密命によって、エドゥアルドがアントンを救うべく画策することの[お墨つき]を得た形ではあったが、難題だった。


 皇帝・カール11世は、エドゥアルドに密命を与えるのにあたり、こっそりと、どんな処罰をアントンに加えるつもりなのかを明かしてくれた。


 アントンは、帝国陸軍大将という地位を失うばかりではなく、貴族から、平民へと落とされることになる。

 アントンが先祖代々から引き継いだシュタム伯爵という爵位も、その領地も、没収。

 それまでアントンが有して来た財産もなにもかも奪われるということになる。


 それだけでも、十分すぎるほど重い罰だった。

 アントンは、先祖代々が守って来た家名を汚し、断絶させるという、貴族にとってはもっとも不名誉とされる事態を招いたという、消すことのできない不名誉を背負うこととなるだけではなく、無一文で路頭に迷うこととなる。


 だが、それほどに重い罰を受けたところで、アントンは納得しないだろう。

 不名誉な生よりも、少しでも実のある死を選ぶのに違いない。


 幸い、カール11世はエドゥアルドのために、ある程度おぜん立てはしてくれている。

 現在は自身の天幕で謹慎(きんしん)中のアントンを、その正式な処遇が決定されるまでの間、ノルトハーフェン公国の、つまりはエドゥアルドの預かりとする、というふうに手配してくれているのだ。


 説得する機会だけは、いくらでも得られるということだ。

 しかし、だからといって、エドゥアルドには豊富に時間があるというわけでもない。


 もしダラダラと時間をかけていたら、その間にアントンが自決を実行に移してしまう恐れがあるからだ。


「殿下。


 もし、私(わたくし)にもお力になれることでお悩みでしたら、どうぞ、私(わたくし)を用いてくださいませ」


 エドゥアルドの悩みを、その様子から読み取ったのだろう。

 エドゥアルドの隣に自身の乗っている馬を並べたヴィルヘルムは、いつもの笑みはそのままに、エドゥアルドの顔を少しのぞき込むようにしてそうアピールしてくる。


「……あ、ああ、そうだな……」


 しかし、エドゥアルドの返答は、歯切れが悪い。

 ヴィルヘルムにならノルトハーフェン公国のどんな秘密も明かせる、というくらいには信頼はしているのだが、ことは、皇帝からの密命なのだ。

 うかつに口にしていいものかどうか、咄嗟(とっさ)に判断できるようなものではない。


「慌てることはございません、公爵殿下」


 そんなエドゥアルドの内心の躊躇(ちゅうちょ)も把握したのか、ヴィルヘルムはそう言うと、視線を空へと向け、軽い口調で言う。


「我々は、帝国領へと帰ってこられたのです。


 殿下がそのようにお悩みということは、よほどのことであるのでしょうが、ひとまず腰をすえて、落ち着いてお考えになるとよろしいでしょう。

 たとえば、ルーシェ殿のコーヒーでも飲みながら」


 ルーシェのコーヒー。

 そのヴィルヘルムの言葉に、エドゥアルドは急に、喉の渇(かわ)きを覚えた。


 ノルトハーフェン公国に残れ。

 そのエドゥアルドの命令に逆らってまで今回の戦役に同行して来たメイドのルーシェは、コーヒーをいれるのがなかなか上手だ。


 というよりは、エドゥアルドのために、必死になって覚えてくれたのだ。

 ルーシェのコーヒーのいれ方はエドゥアルドの好みを完璧に把握したものであり、彼女が同行してくれたおかげで、エドゥアルドはこの戦役の間、ずいぶん美味しい思いをさせてもらった。


 そんなルーシェのいれてくれたコーヒーを口にするのは、かなり、久しぶりのことだ。

 なにしろ、ラパン・トルチェの会戦の以前から帝国軍は補給不足に悩まされていて、コーヒーを飲むのもやっとのことだったし、節約のために薄めたコーヒーを飲んでいたのだ。

 撤退戦の間はそんな薄いコーヒーをいれて飲む余裕すらなく、エドゥアルドにとってルーシェのコーヒーの味は、すっかり記憶の中のものとなってしまっている。


 帝国領内ということもあって、この野営地には豊富な物資が届けられていた。

 その中には、ノルトハーフェン公国から、宰相のエーアリヒ準伯爵が送ってくれたコーヒーなどもある。


 撤退してきてこの場所に落ち着けるように野営地を整えるまで忙しく、今日も軍議のために慌ただしくて、ゆっくりコーヒーを楽しんでいるヒマもなかった。

 だがきっと、エドゥアルドが野営地に戻れば、ルーシェがコーヒーをいれる準備をして待ってくれているのに違いなかった。


 ヴィルヘルムの言うとおり、コーヒーでも飲んで落ち着けば、もう少しいい考えも浮かぶかもしれない。


 そう考えて「早くコーヒーが飲みたい」という自身の欲求を肯定すると、エドゥアルドは馬の進みを少し早めて、急いでノルトハーフェン公国軍の野営地へと向かった。

 本当に、久しぶりのコーヒーなのだ。

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