第130話:「密命:1」

 皇帝からの、密命。

 その言葉に、エドゥアルドは思わず、目を丸くして、驚きを隠すことができなかった。


 貴族の世界では、様々な、表ざたにできない後ろ暗い陰謀が渦巻いているのが常だ。

 歴史として後世に残された様々な出来事は、往々(おうおう)にしてその時々で都合の良いように書き変えられているものであり、その真相は、隠蔽(いんぺい)と隠滅(いんめつ)によって、厚いベールの向こうに隠されてしまう。


 それが、貴族という存在がこれまで積み重ねてきた歴史だった。

 様々な駆け引きや取引、時には直接手を下す暗殺など、貴族が歴史に葬って来た後ろ暗い過去は、数知れない。


 エドゥアルド自身、そういった陰謀に無関係ではなかった。

 つい数か月前までは、エドゥアルド自身、ノルトハーフェン公爵の位を巡る陰謀の渦中に置かれていたのだ。


 しかし、ことは、皇帝からの密命だ。

 それも、皇帝自身からエドゥアルドへ直接、面と向かっての命令なのだ。


 その、ことの重大さ。

 まさか自分にそんな重要な役割が回って来るとは、エドゥアルドは想像すらしたことがなかった。


 なにより、今のエドゥアルドは、皇帝と1対1で謁見(えっけん)している。

 エドゥアルドにとって頼りになる助言者であるヴィルヘルムは、侍従から「皇帝陛下は、エドゥアルド公爵殿下と2人きりで、親しくお話をされたいとおっしゃっておられます」と言われたために、天幕の外で待機させられている。

 頼れる者、エドゥアルドの感じている重圧を共有してくれる者は、この場にはいない。


 せめて、この密命を受けるか、受けないか、それを決める権利がエドゥアルドにあればよかった。

 もしそうだったら、エドゥアルドはこの密命を、自分には荷が重すぎると思えば断ることもできる。


 だが、皇帝、カール11世は、すでにその秘め事をエドゥアルドにたくすと、そう決心してしまっている様子だった。


「エドゥアルド公爵。

 余からの密命とは、他でもない。


 貴殿には、アントンを救ってやって欲しいのだ」


 緊張で身を固くし、冷や汗を浮かべているエドゥアルドに、カール11世は静かに言う。

 密命というだけあって、天幕の外で誰かが聞き耳を立てていようと聞かれることのないようにとの配慮がなされていた。


「エドゥアルド公爵。

 そなたは、アントンのことを、帝国に2人といない、優れた将帥であると申したな?

 それは、余も、同じく考えておるのだ。


 アントンには此度の戦役における、敗戦の責任があるのは確かではあるが、それは、アントンただ1人で負うべき性質のものではない。

 帝国全体で、そして、余、自身も、負わなければならない責任なのだ。


 しかし、アントンは、すべてを自分1人で抱え込もうとしておる。

 余の過ちも、諸侯の慢心も、すべて、自分ただ1人が負うべきことなのだと、あの者はそのように考えておる。


 そして、アントンは、死ぬつもりだ。

 そのことは、エドゥアルド公爵。

 ラパン・トルチェの会戦に敗れてから後、アントンと共に行動して来たそなたが、もっともよく理解しておることであろう? 」

「はい、皇帝陛下」


 カール11世からの問いかけに、エドゥアルドはうなずいてみせる。


 アントンは、死を欲している。

 そのことは、アントン以外では、エドゥアルドこそもっともよく知っていることだった。


 ラパン・トルチェの戦場でも、その後の戦場でも。

 アントンは、指揮官として自身の統率の下に置かれている将兵を帝国に連れ帰るという義務感を持って行動していたが、その一方で、いつも死に場所を求めている様子だった。

 時には進んで、自らもっとも危険な場所に身を置くことを望み、自分にふさわしい死を得たいと、そう望んでいるようだった。


 それを止めようとしていたのが、エドゥアルドだった。

 アントンはこれからの帝国に、そしてエドゥアルドの師として必要だと思ったからこそ、エドゥアルドはアントンの死をなんとか思いとどまらせ、阻止しようと試みてきたのだ。


「余は、アントンを、無罪放免としてやることは、せぬ。

 なんらかの形で、誰かが責任を取らなければならぬのだ。


 しかし、アントンを死なせたくない。

 あの者の罪は、死を受けるほどのことではないし、余などよりも、あの者こそがこれからの帝国に必要なのだ。


 アントンの進言は、諸侯にその慎重さを笑われたが、その実、もっとも状況をよく把握した、正しい意見であった。

 それを採用することのできなかった余が言えることではないかもしれぬが、アントンにはまだ、帝国のためにやってもらわなければならないことがある。


 そこで、だ、エドゥアルド公爵。


 そなたは、なんとかアントンを説得して、自決を思いとどまるようにしてはくれまいか?


 余は、アントンの命を取るつもりはない。

 しかし、アントンのあの思いつめようでは、余がどのような処分を下したとしても、それをよしとせず、自ら命を絶ってしまうであろう。


 エドゥアルド公爵。

 どうか、アントンを説得して、死を思いなおさせてはくれぬか? 」


 カール11世からエドゥアルドへと向けられた視線は、真摯(しんし)なものだった。


 相手は、皇帝だ。

 凡庸とウワサされるほどの存在であるとはいえ、長年、皇帝として君臨してきたカール11世は、きっと、他人に自身の腹の底を見せないような、腹芸だって身に着けているだろう。


 だが、エドゥアルドには、この時のカール11世の態度は、彼が、本心からアントンを救いたいと願っているように感じられた。


 それがわかった時、エドゥアルドは、もう緊張してなどいなかった。

 ただ、カール11世に向かって深々と頭(こうべ)を垂れ、短い言葉で、はっきりと答える。


「委細、承知いたしました。


 我が皇帝陛下からの密命、この、ノルトハーフェン公爵・エドゥアルド、必ずや、成しとげましょう」

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