・第10章:「生者の責任」
第124話:「帝国の土」
エドゥアルドたちの、アルエット共和国からの撤退戦は、ようやく終わりを迎えた。
アルトクローネ公国軍、そしてオストヴィーゼ公国軍の来援を受け、エドゥアルドたちを足止めしていた共和国軍の銃士隊を撃破したエドゥアルドたちは、無事にグロースフルスの渡河点へと到着することができたのだ。
もう、1か月以上も前、意気揚々と通り過ぎた浮橋は、今もそこにしっかりと残っていた。
聞くところによると、共和国軍は帝国軍の補給を阻害するためにその渡河点に何度か破壊工作を試み、実際に被害も生じたものの、被害が出るたびに浮橋は修復され、むしろより強固に改造されていた。
エドゥアルドたちは、その浮橋を渡り、帝国の土を踏むことができた。
ラパン・トルチェの会戦で殿(しんがり)を務め、数千の損害を負ったエドゥアルドたちだったが、その後多くの負傷兵、落伍兵を収容しながら撤退してきたために、その陣容はほぼ3万と、撤退戦を開始する前と同じ規模にまでなっていた。
エドゥアルドたちノルトハーフェン公国軍、そしてアントンの皇帝親衛隊が浮橋を渡ると、これまで浮橋を守り続けていたアルトクローネ公国軍も渡河を開始した。
どうやら、アルエット共和国内から撤退して来た帝国軍の部隊は、エドゥアルドたちで最後、ということらしい。
共和国侵攻の橋頭保となっていたグロースフルスの渡河点から帝国軍がすべて撤収を完了すうと、帝国軍は自ら浮橋に火を放ち、共和国軍が逆侵攻してくる事態を防止しした。
それは、ギリギリのタイミングだった。
なぜなら、浮橋に火が回り、燃え盛り始めたころ、帝国領へと撤退を果たした帝国軍の前に、共和国軍が姿をあらわしたからだ。
その数は、数万はいるだろう。
グロースフルスの対岸いっぱいに共和国軍の将兵が押しよせ、その軍旗がひるがえった。
すでに時刻は夜を迎えていたが、浮橋の炎によって、その姿は良く見えた。
そして共和国軍は、浮橋がすでに焼き払われていることを確認すると、共和国の国内へと引きかえし、暗闇の中にその姿を消していった。
(どうやら、生きて帰って来ることができたみたいだ)
エドゥアルドはその時、ようやく、心の底から安心することができた。
ラパン・トルチェの会戦での勝利の余勢をかって、共和国軍が帝国に逆侵攻でも実施しようものなら、エドゥアルドたちはこの場でそのまま、再び戦わなければならなかったからだ。
渡河点の帝国側には、帝国領から撤退して来た帝国軍が集結していた。
皇帝の命令により、帝国に侵攻したすべての諸侯の軍隊が撤退して来るまではこの渡河点を死守するということになっていたらしく、そこには今の帝国軍の主力の姿があった。
アルエット共和国に侵攻する前、帝国軍は、20万以上もの大軍だった。
しかし、今となっては、その数は15万程度でしかない。
ラパン・トルチェの会戦で受けた打撃だけではなく、その後の撤退戦によって、多くの兵士が死傷し、落伍し、脱走してしまったのだ。
エドゥアルドたちが危惧(きぐ)していた通り、多くの帝国軍が撤退する経路として選んだ道、つまり、帝国軍が共和国を侵攻する際に[通った道]には、共和国軍が待ちかまえていた。
アルエット共和国のムナール将軍は、帝国軍を共和国の内部へと引きずり込む際、徹底して、無抵抗を貫き通した。
それは、帝国軍との決戦のためにできるだけ多くの兵力を集中し、その時まで温存したいという狙いからだったが、同時に、帝国を共和国の奥深くまで誘い込むための罠でもあった。
そして、勝敗が決した後、ムナール将軍は、それまで隠していた兵力を展開し、撤退する帝国軍を襲撃させた。
その多くが、正規軍ではなく、民兵たちだった。
かつてアルエット共和国の内乱を戦い、兵役を終えて故郷へと帰っていた人々が再び武器を取って立ち上がり、撤退する帝国軍に一斉に襲いかかったのだ。
帝国軍の多くは、共和国内での地理に不案内であったことから、侵攻した時と同じ道を通った。
そのために、帝国軍の通る道はすべて共和国軍によって把握されており、行く先々で待ち伏せ攻撃を受け、その撤退は、惨憺(さんたん)たる様相だった。
被害が大きかったのは、ヴェストヘルゼン公国軍と、ズィンゲンガルテン公国軍だった。
ラパン・トルチェの会戦で共和国軍の大放列の猛烈な射撃を浴び、集中的に攻撃を受けたズィンゲンガルテン公国軍は壊滅し、フランツ公爵は無事ではあったものの、従軍した主要な貴族も多くが戦死している。
また、撤退戦の最中、度々共和国軍と交戦することになったヴェストヘルゼン公国は、その度に兵力をすり減らし、基幹となる部隊こそかろうじて存続してはいるものの、その兵士たちの大半は帝国に帰還することはできなかった。
今回の戦争に参加した伯爵家の中には、部隊丸ごとが消滅して、参戦した貴族が戦死して跡形もない、というものが、いくつか存在する。
それより小さな男爵家に至っては、10を超える家の部隊が丸々消滅し、その部隊を率いていた諸侯も多くが帰ってくることができなかった。
勝利は、確実だ。
グロースフルスを渡る前に帝国軍の諸侯がほとんど共通して持っていたその雰囲気は、かけらも残ってはいない。
あるのは、惨めな敗北をしたという、落胆と、悲痛さだけだった。
(これが、敗軍というものか……)
エドゥアルドは野営地の暗く沈んだ雰囲気を肌で感じながら、その様子を、自身の記憶に焼きつけるように見ていた。
ムナール将軍は、巧みな用兵家だった。
帝国軍をまんまと罠にはめ、当面はまともに行動できないほどの大損害を与え、大いに意気消沈させてしまった。
だが、この敗北には、帝国側の責任というのも大きかった。
帝国は敵を侮り、ロクに調べもしないまま戦争へと踏み切り、その傲慢(ごうまん)さと稚拙(ちせつ)さから、大きな代償を支払うことを強いられたのだ。
(勉強代、と思うしかないが……。
あまりにも、高い代償だ)
エドゥアルドは、疲れ果て、泥のように眠る兵士たちの姿を見つめながら、あらためて、戦争という出来事の重大さを思い知らされていた。
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