第123話:「来援」
エドゥアルドは、アントンの、自殺同然の攻撃をやめさせたかった。
だが、アントンの申し出を、即座に否定することができなかった。
願ってもない申し出であるのだ。
もしアントンたちが敵を突破する際に受ける被害を引き受けてくれるというのなら、エドゥアルドは、自身の配下にある公国軍の将兵たちを傷つけずに済む。
必要性も、明らかだった。
あまり時間をかけていては、後方から共和国軍の追っ手が追いついてくるかもしれない。
そうなった時に受ける被害よりは、今、すぐに敵を突破する際に受ける被害の方が、圧倒的に少なくできる。
許可を、出すべきだろう。
少なくとも、前方の敵を打ち破るべく、攻撃を開始せよという命令を、自分は出すべきだ。
エドゥアルドは頭の中では、犠牲を承知していてもその命令を出さなければならないと、理解できている。
しかし、それを言ってしまえば、数千の犠牲が生まれてしまうのだ。
それは、エドゥアルドのたった一言で、それだけの人間の運命を決めてしまうということに、他ならない。
それは、あまりにも重い決断だった。
エドゥアルドは、兵士たちの命もなるべく失いたくはなかったし、アントンにも死んでほしくはなかった。
だが、その決断を下さなければ、もっと大きな犠牲を生じることになる。
アントンは、悩むエドゥアルドのことを、穏やかな表情で見つめている。
若く純粋で、真剣に悩むエドゥアルドのことを、アントンは好意を持ってみているようだった。
同時にその笑みは、「どうか、私(わたくし)に死に場所をお与えください」という、エドゥアルドへの懇願(こんがん)でもあった。
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エドゥアルドは、悩んだ。
悩んで、悩んで、悩み抜いた。
すぐ近くでは、ヴィルヘルムが、いつもの柔和な笑みを浮かべながらエドゥアルドのことを見つめている。
そんな彼に、「どうすればよい? 」とエドゥアルドは今すぐにたずねたかったが、しかし、そうすることはできなかった。
これは、エドゥアルドが下さなければならない決断なのだ。
エドゥアルドはヴィルヘルムのことを助言者として頼りにしているが、こればっかりは、彼に頼ることはできなかった。
なぜなら、エドゥアルドはノルトハーフェン公爵だからだ。
この場における最高司令官であり、この、3万もの人々の運命を決定する権限と権利は、ただ1人、エドゥアルドだけが有していることだからだ。
やがて、エドゥアルドは心を決めた。
アントンではなく、自分自身が先頭に立って、敵に向かって突撃を敢行するという決心を。
自分も、危険の中に身を置く。
それが、エドゥアルドが行っていいことではないということも理解してはいたが、それが、多くの兵士を犠牲にする命令を下すことへの、エドゥアルドの最低限の許容ラインだった。
それくらいの危険を冒し、兵士たちと同じく自身の身体を弾雨の前にさらさなければ、エドゥアルドは兵士たちに「死ね」と命じることはできなかった。
僕の指揮で、突撃を実施する。
前方の敵陣、そのさらに向こう側で、激しい銃声と、喚声(かんせい)が轟(とどろ)いたのは、エドゥアルドがそう自身の決心を口にしようと、口をまさに開いた時だった。
「いったい、なんだ?
まさか、敵が、有利な陣地を捨てて、攻撃に出て来たのか? 」
銃声を聞いたアントンが、音のした方を振り向き、驚きをあらわにする。
敵が自ら攻勢に出てきたというのなら、エドゥアルドたちにとって好都合だった。
狭隘部(きょうあいぶ)から敵が出てくれば、数の優位が生かせるようになるからだ。
「ご報告!
敵の後方に、味方が!
お味方が到着し、攻撃を開始いたしました! 」
その時、前方から状況を知らせるべく、伝令の士官が馬を飛ばしながら駆けてきて、馬を走らせながらエドゥアルドたちに向かってそう叫ぶ。
エドゥアルドたちは、思わず、顔を見合わせていた。
それは、思いもよらない来援だった。
そして、エドゥアルドたちにとっては、2つの意味での朗報だった。
1つは、グロースフルスの渡河点が、未だに帝国軍の手によって守られていたということ。
もう1つは、大きな犠牲を払う強襲攻撃を実施しなくてもよくなったということだった。
「伝令、ただちに、ペーターに命じよ!
来援と呼応し、前方の敵を撃滅。
帝国へ帰還する道を開け、とな! 」
「はっ、ただちに! 」
エドゥアルドは、思わず満面の笑みを浮かべながら伝令にそう言い、来援の帝国軍と共同して敵を攻撃せよとの命令を発した。
こうして、エドゥアルドたちの進路を塞いでいた共和国軍の銃士隊は、前後から挟み撃ちを受けることとなった。
エドゥアルドたちの危機を知って駆けつけたのは、渡河点を守るという任務を与えられていたアルトクローネ公国軍の一部と、ノルトハーフェン公国とは盟友関係にあるオストヴィーゼ公国軍の一部だった。
エドゥアルドたちの退却まで渡河点を守っていたアルトクローネ公国軍と、盟友であるエドゥアルドたちが帰還するまではと、グロースフルスを渡河せずに待っていてくれたオストヴィーゼ公国軍は、銃士隊が展開していることを知ると、即座に援軍として出撃してくれていたのだ。
前後からの挟撃に、銃士隊はできる限りの抵抗を見せたが、すぐに崩れ去った。
挟み撃ちにされることで逃げ場を失い、皆殺しになるという恐怖を抱いた共和国軍の兵士たちは、次々に逃げ散って行ったのだ。
ある者は川へと飛び込み、ある者は岩山をよじ登って姿を隠し、ある者は降伏を申し出た。
エドゥアルドたちは徹底的な追撃は、実施しなかった。
今はとにかく、接近してきているはずの共和国軍の追っ手に捕捉される前に、グロースフルスの渡河点へとたどり着くことが最優先だったからだ。
「アントン殿。
どうやら、僕も、貴殿も、まだ運命の女神に見放されてはいなかったようだな」
兵士たちと共に渡河点へと向かいながら、エドゥアルドはなりゆきで馬を並べて進んでいるアントンに向かって、陽気にそう声をかけていた。
「はい。
左様で、ございますな」
しかし、アントンは、複雑そうな、浮かない表情のままだった。
(やはり、決心は、変わらぬのか……)
そんなアントンの様子に、エドゥアルドは考え込んでしまう。
どうやら、エドゥアルドたちは、無事に帝国へと帰り着くことができそうだった。
しかしエドゥアルドには、まだまだ、やるべきことが山積みであるようだった。
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