第118話:「敵襲」
グロースフルスの雄大流れを目にした時、敗残の身の上であるエドゥアルドたちは、誰もがほっとしていた。
あの巨大な水面(みなも)の向こう側に見えているのは、帝国領、エドゥアルドたちの故郷だったからだ。
もうすぐ、家に帰ることができるのだ。
たとえ、勝利の栄光のない帰還であるのだとしても、今はなにもかもを忘れてゆっくり、敵襲を警戒せずに安心して過ごすというのが、兵士たちにとっての共通した願いだった。
だが、すぐにグロースフルスを越えて帝国領へと戻ることはできなかった。
グロースフルスの川幅は広く、流れは緩やかに見えても深いもので、橋などの河を渡れる設備がなければ、とても対岸まではたどり着けないからだ。
中には泳ぎが得意で、対岸まで渡りきれるという者もいるかもしれなかったが、大半はそこまで泳ぎは得意ではない。
実を言うと、エドゥアルドも、泳ぎに関してはあまり得意とは言えなかった。
乗馬などはよく習いはしたものの、泳ぐという行為が重要なものだとは思わず、これまでまともに習ったり練習したりしたことがないのだ。
エドゥアルドたちは、アルエット共和国に侵攻を開始した時に通った浮橋を利用して帝国に帰り着くつもりだった。
グロースフルスにはいくつか橋がかけられてはいるが、そこはアルエット共和国軍によって厳重に監視され、守られているはずだから、今のエドゥアルドたちがその守りを突破して橋を渡ることは難しい。
しかし、帝国軍が自らかけた浮橋は、帝国軍を支援するために数万の軍勢によって厳重に守られており、今でも渡れる状態にあると期待できる。
あと、もう少しで帝国へと帰ることができる。
グロースフルスに突き当たるまで東進してから、南へと進路を変えたエドゥアルドたちは、まだ油断はできないと自分をいましめつつも、内心でそう期待しながら行軍を続けた。
「報告、報告!
前方に、敵集団あり!
その数、数千! 」
警戒に出していた騎兵の斥候が馬で駆け戻ってきて、行軍する兵士たちにそう警告しながらエドゥアルドのところに向かって来たのは、エドゥアルドたちがグロースフルスへとたどり着き、南へと進路を変えた、その翌日の午前中のことだった。
これまでの強行軍の疲れも重なり、帝国領も近くなったことから若干歩調を緩めて行軍していた兵士たちだったが、その騎兵の警告する声にさっと表情をこわばらせる。
そんな兵士たちに、現場の指揮官たちは戦闘に不要な荷物を下して臨戦態勢をとるように口々に命じ、慌ただしく戦闘準備が開始された。
「敵は、騎兵か、歩兵か!? 」
やがてエドゥアルドのところにまでたどり着いた騎兵が馬から降りて敬礼すると、エドゥアルドは彼に敬礼を返しながら、すぐにそうたずねていた。
相手がどんな集団なのかは、こちらがどう対応するのかを決めるうえで、重要なことだ。
もし騎兵の集団であれば、騎兵による突撃から守りやすいような位置に移動して陣地を整えなければならなかったし、歩兵であれば、それは、エドゥアルドたちが共和国軍の追っ手の本隊に追いつかれたということであって、大規模な戦闘を覚悟しなければならない。
「敵は、騎兵です!
前方、2キロほどのところで遭遇しました!
今、他の者たちは下馬して、敵情の詳細を確認しております! 」
「公爵殿下。
敵が騎兵であるのならば、少し、川岸から離れましょう。
道沿いは、やや低くなっております。
ここでは、騎兵の突撃を防げませんし、こちらの数の優位を生かせません。
まずは横に兵を広げ、銃火の威力を発揮できるようにいたしましょう」
その伝令からの報告に、エドゥアルドから求められればいつでも助言できるように近い位置にいたヴィルヘルムがそう言った。
「わかった。
伝令、ご苦労だが、このままフレッサー大佐に連絡して、兵を横に広げて銃火の火力を発揮できるように展開し、また、高所を抑えて騎兵の襲撃に備えさせてくれ。
それと、後方のアントン大将の部隊にも同様の連絡を! 」
「了解いたしました!
ただちに! 」
ヴィルヘルムの言っていることは、エドゥアルドにもすぐに理解できるもので、エドゥアルドは敵があらわれたことを報告しに来た騎兵にそう言って、彼にそのまま、ヴィルヘルムの意見通りに兵を動かすようにという指示をペーターへと届けさせ、アントンの部隊にも同じことを連絡させた。
騎兵突撃の強烈さは、エドゥアルドもラパン・トルチェの会戦で実際に目にしていたから、警戒しなければならないということはよくわかる。
騎兵突撃の威力は、その運動エネルギーによって発揮されるものだった。
騎馬自身が走る速度に、馬と人間の合わさった数百キログラムもの質量が合わされば、それを人間の身で受け止めることなど不可能だ。
そして、高所から低所へと駆け下りれば、重力によってさらに勢いが加わり、騎兵突撃の威力はさらに高くなる。
間の悪いことに、エドゥアルドたちはグロースフルスのほとりに作られた、低いところにできた道を、行軍縦隊で移動している最中だった。
左側は水面で、右側はそれほど急峻(きゅうしゅん)ではなく馬が安全に自由に駆け下れるような斜面になっていて、騎兵に対する防衛を考えた時には最悪の形になっていた。
もし、この状態で斜面の上から騎兵突撃を受けたら、エドゥアルドたちの隊列は簡単に分断され、滅茶苦茶にされてしまうだろう。
敵は数千ということで、数ではエドゥアルドたちに大きく劣っているはずだったが、今のままでその攻撃を受けたら甚大(じんだい)な被害が出ることは間違いなかった。
あともう少しで、帝国に帰ることができる。
そんな時に大きな損害を受けることは、避けたいことだった。
せっかくここまで苦労してたどりついたのだ。
できれば、全員を生きて連れ帰ってやりたかった。
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