第116話:「道:2」

 どの道を通って帝国へと帰還するか。

 その決定を下せずにいたエドゥアルドたちにとって、マーリアはまるで、救世主のような存在だった。


 マーリアは、帝国へと向かうことのできる経路をいくつか知っており、簡単な地図まで書くことができたからだ。


 地図は、軍事作戦を考えるうえで、必要不可欠なものだった。


 大きなところでは、どこになにがあって、どの道を行くとどこにつながっているのか、大まかにでもわかっていなければ、そもそもなんの戦略の立てようもない。

 小さなところでは、実際の戦場となる場所の地形を把握できなければ、効果的に部隊を配置することはできないし、地形を活用した用兵を行うこともできない。


 もち、正確な地図を持っている軍隊と、不正確な地図しか持っていない軍隊が戦えば、正確な地図を持っている側が圧倒的に有利だった。

 正確な地図を持っている側は、戦争を遂行する上でどこを守るべきなのかを把握して作戦を立てることができるし、地形を利用して敵を罠にはめたり、有利な形勢を作って効果的に戦ったりすることができるからだ。


(考えてみれば、今回の敗因は、僕たちが、まともな地図を持っていなかったからかもしれないな……)


 マーリアが書いてくれた、とりあえずどの道がどこを通って帝国へと続いているのかを教えてくれる地図を得たことで、急速に議論が進み始めた作戦会議の様子を見ながら、エドゥアルドはそんなことを思っていた。


 思えば、帝国は、アルエット共和国の国内の詳細な地図なしで、この戦争を始めたのだから、負けて当然だったのではないかと思える。

 バ・メール王国からの要請によって、という、外部的な要因で始まった戦争であり、元々アルエット共和国に侵攻するつもりなどなかった帝国にとって[予定外]の戦争ではあったが、帝国は、どこにどんな道があって、どこに通じているのかという、大まかなつながりさえ把握しないまま、開戦に踏み切ったのだ。


 誰もが、過信していたのだろう。

 徴兵制によって作られたアルエット共和国軍など、帝国軍の精鋭の前では鎧袖一触(がいしゅういっしょく)に違いないと、帝国の諸侯のほとんどはそう考えていた。


 だから、アルエット共和国のまともな地図さえ作らずに戦争をしかけ、こうして、敵中で迷うような事態になっている。


 お粗末としか、言いようがなかった。


 戦争は、勝ってから始めるものだ。

 そんな言葉があったことを、エドゥアルドは思い出していた。


 敵対する相手のことをよく調べ、彼我(ひが)の実力を比較し、勝てるという見込みがあった場合にだけ、戦争という手段に踏み切る。

 そうすれば、たとえ百回戦争をしたところで、そのすべてに勝つことができるだろう。


 なぜなら、負ける、とわかっている戦争をしかけず、勝てる、とわかっている戦争だけをすることができるからだ。


 それは、ごく単純な、誰でも思いつきそうな原理だったが、真実だった。

 そしてその原理を、実践できる者は意外と少ない。


 帝国は、敵を知ることを怠(おこた)っていた。

 慢心し、増長し、敵は弱体であると決めつけて戦争を起こし、そして、未知の敵にいいようにしてやられたのが、今の帝国だった。


(改めなければ、ならないだろうな)


 この際、そんな帝国の古い体質はすべて取り除き、そして、こんなお粗末な戦争をしかけることのないよう、しっかりと情報収集し、入念に作戦を検討する体制と、組織を作らなければならないだろう。


 エドゥアルドの視線は、視線と、アントンの方へと向けられていた。


 ラパン・トルチェ会戦の撤退戦で、この敗戦の責任を一身に背負って討ち死にする腹づもりであったアントンは、エドゥアルドによって救い出された。

 そして今は、生き残った部下たちを帝国へと連れて戻るために、その指揮官としての責任を果たそうとしている。


 しかし、アントンの内心では、まだ、自決を考えているのに違いなかった。

 アントンは、自分が自決しなければ、一軍の進退を任される指揮官としての責任の[重さ]を示すことができず、帝国が弱体化するだろうと、そう危惧(きぐ)しているのだ。


(帝国の体制を改めるための、新しい組織。


 アントン殿なら、適任なのだが……)


 エドゥアルドは、アントンは自決するより、生き残って今回の敗戦の教訓を生かし、旧態依然とした帝国の体制を改革する、その先頭に立つべきだという思いがあった。


 アントンには、確かに今回の戦いでの敗戦に、責任がある。

 しかしそれは、アントンの正しい意見を取り入れることができなかった帝国という巨大で古い国家の体質に原因があることであって、アントンの能力の低さを示すものではない。


 むしろエドゥアルドには、これから先、帝国軍を改革し、アルエット共和国という、これまで帝国が向き合ったことのない異質な存在と対峙(たいじ)していくことのできる、新しい体制を作ることができるのは、アントン以外にはいないとさえ思っている。


 だがエドゥアルドは、そのことをアントンにはもう、言い出すことができなかった。

 1度説得しようとして、すでに失敗してしまっているからだ。


 今さらエドゥアルドがなにかを言っても、きっと、アントンの考えを変えることはできないだろう。


(なんとか、したいのだが……)


 後で、改めてヴィルヘルムや、エドゥアルドと近しい人たちにも意見を聞いてみよう。

 エドゥアルドがそんなことを考えている間に、どうやら、作戦会議は結論をまとめることができたようだった。


「公爵殿下。

 以上のように、我が軍はこれより、グロースフルスの渡河点に向かって真っすぐに向かう南東の方角ではなく、東へ進み、グロースフルスに到達してから、そこから改めて南下する道をとろうと思います。


 これで、よろしいでしょうか? 」


 おおむね、集まった将校たちの意見が一致を見せ、最後に代表してアントン大将がそう言ってエドゥアルドに確認すると、考えごとをしながらもしっかり話し合われた内容を聞いてもいたエドゥアルドは、大きくうなずいてみせた。


「僕としても、異論はない。


 共和国軍の追撃が迫っているかもしれない。

 すぐに、出発の準備をしよう」


 そのエドゥアルドの言葉に、集まっていた将校たちは重々しくうなずき、了承の意を示す。


 彼らはみな、未だ敵地の中にいるということから、緊張した、険しい顔をしている。

 また、撤退戦からまともに休んでいないことから来る疲労もにじみ出ている。


 しかし、その表情は、ついしばらく前までよりはだいぶ明るいものとなっていた。

 帝国へと帰る道が、決まったからだった。

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