第114話:「カイ:2」

 犬のカイは、まっすぐにエドゥアルドの方へ走ってきていた。

 まるで、そこにエドゥアルドがいることを知っているかのような走り方だった。


 そしてエドゥアルドがいる場所の近くまでたどり着いたカイは、作戦会議の警護に当たっていた士官たちによって捕らえようとされたが、その間を素早く駆け抜けると、エドゥアルドの前まで走ってきて、目の前で足を止め、すとん、とおしりを地面につけてお座りの姿勢をとった。


「公爵殿下。

 この犬を、ご存じなのですか? 」

「ああ。

 僕の犬、というか、僕のメイドの犬なんだが、知り合い、家族みたいなものだ」


 カイにまんまと防衛線を突破されてしまった士官が傾いた帽子を直しながらそう問いかけると、エドゥアルドはうなずいて、カイの身分を保証した。


 再会できた嬉しさと、不安とで複雑そうな顔をしているエドゥアルドの目の前で、カイはへっへっ、と息をしている。

 ずいぶん走って来たのだろう、息があがっているようだった。


「なぁ、カイ。

 お前は、なんで1匹だけで、ここにいるんだ? 」


 エドゥアルドがしゃがみこみ、そう言いながらカイの頭をなでてやると、カイはくぅん、と甘えるような声をもらしながら、エドゥアルドに自身の頭をすりよせてくる。


「ルーシェたちは、どうしたんだ……? 」


 エドゥアルドにすっかりなついているカイをなでてやりながらそうたずねたエドゥアルドは、そこで、カイの首輪に、紙切れが挟まっていることに気がついた。


(……手紙か? )


 エドゥアルドはすぐにその手紙の正体に気づき、期待と共に、大急ぎでその手紙をカイの首輪から取り外して、中身を確認する。


 それは、短い手紙だった。

 まともなペンもない状態で書かれたのか字も読みにくかったが、しかし、その内容はちゃんと読めるし、字にも見覚えがあった。


 シャルロッテが書いた手紙に違いない。


「ミヒャエル中尉!

 すまないが、数名の護衛と一緒に、僕と一緒に来てくれ!


 僕の使用人たちの居場所がわかった! 」


 そしてエドゥアルドは、喜びに小躍りしたくなるような気持で、背後で会議を続けていた人々を振り返った。


────────────────────────────────────────


 ルーシェたちは、エドゥアルドたちの現在位置から2キロほど戦場に戻ったところにある、森の中に隠れていた。

 どうやらエドゥアルドたちは、撤退するのに必死で、夜間に行軍したこともあって、彼女たちの存在に気づかずに通り過ぎてしまっていたようだった。


 その森は、燃料となる薪(まき)などをとるために残された森だったのだろう。

 人の手がかなり入っているようで、外観よりも森の中には日差しが差し込んで明るく、馬車でも入っていけそうな道が森の奥まで続いていた。


 その森まで、カイは、エドゥアルドたちを案内してくれた。


 おそらく、最初から彼は、エドゥアルドにルーシェたちの居場所を伝えるために、伝令として差し向けられたのだろう。

 シャルロッテからの手紙を持たされたカイは、その自慢の嗅覚でエドゥアルドの向かって行った方向を見つけ、そして、その使命を見事に果たしたのだ。


 森の奥へと続く道には、新しい轍(わだち)が残っていた。

 おそらく、ルーシェたちは逃げ続けることを断念し、エドゥアルドたちと合流できるまでこの場所に身を潜めることにしたのだろう。


 彼女たちがそうすることを選んだ理由、そうしなければならなかった理由は、エドゥアルドにもなんとなく、察しがついている。

 撤退する道すがら、多くの負傷兵たちを収容して来たエドゥアルドたちだったが、ルーシェたちもまた、同じように多くの負傷兵たちを収容したのだろう。

 そして、負傷兵を治療するために、ルーシェたちは逃げるのを一度やめることにしたのだ。


 エドゥアルドは、早くルーシェたちの無事を確かめたいと焦る気持ちを抑えながら、慎重に森の奥へと進んでいった。

 カイは特に警戒することもなく、早く、早くとエドゥアルドたちをせかすように何度も振り返りながら、道を案内してどんどん進んで行ってしまうが、エドゥアルドたちはそれでも敵の存在を警戒しなければならなかった。


 なんと言っても、ここは敵地で、しかも不慣れな土地だ。

 会戦に敗れたばかりであり、周囲を警戒しないわけにはいかなかった。


 エドゥアルドが警護の兵士たちと共に進んでいくと、やがて、森の中に大きく開けた広場のような場所があらわれた。

 どうやら、薪(まき)などを作るために木こりたちが拠点にしている場所のようで、何件かの木こり小屋と、作業小屋が建ち、作った薪(まき)がうずたかく積み上げられている保管場所も用意されている。


 ルーシェたちは、そこにいた。

 そして、エドゥアルドが思っていた通り、何百人もの負傷兵たちを抱え、その治療を必死に行っていた。


 多くの負傷兵たちが、布1枚を敷(し)いただけのような簡易ベッドに寝かされ、あるいは、切り株や、切り倒された丸太の上に腰かけている。

 そんな兵士たちの間を、エドゥアルドのメイドや使用人たちが忙しそうに歩き回り、できるだけの治療を施していた。


 ルーシェたちは元々、負傷兵の治療のために戦場に来ていたのだから、そのための準備を整えていた。

 しかし、戦場から急いで撤退をしなければならなかったために、多くの物資は置き去りにしてこなければならなかったのだろう。

 そこは兵士たちのための消毒液や包帯なども不足しているようなありさまだったが、しかし、懸命に治療が続けられていて、みな、きびきびと働いている。


 ワン、と吠えると、カイが、その人々の間をぬって駆けて行った。

 そしてすぐに、ルーシェたちの歓声が聞こえ、人々の向こうから、ルーシェがバタバタと駆けてくる。


「エドゥアルドさま! 」


 そしてエドゥアルドの姿を見つけたルーシェがぱっと表情を輝かせると、エドゥアルドも思わず、微笑み返していた。

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