第113話:「カイ:1」
エドゥアルドたちの作戦会議は、なかなか結論を出すことができなかった。
アルエット共和国の地理に不案内であるだけではなく、正確な地図さえ持ってはいないのだ。
それに加えて、兵士たちと同様、エドゥアルドたちも疲労の極致にあって、頭がうまくまわっていない。
兵士たちの手前、彼らの司令部であり、兵士たちが知らない情報を知っていて、兵士たちの運命を左右する決断を下さねばならないエドゥアルドたちはなるべく平然とした落ち着いた態度を見せてはいたが、しかし、さすがのヴィルヘルムにも妙案はないようだった。
なにかを判断しようにも、そもそも、その判断材料が足りないのだ。
どんな頭脳であっても、こんな状態では良い思案はできない。
(……コーヒーが、飲みたいな)
エドゥアルドは難しい顔で腕組みをし、堂々巡りをくり返すような状態となっている議論を聞きながら、エドゥアルドはルーシェのいれてくれたコーヒーの味を思い出していた。
ルーシェたち、この戦場についてきてしまった、エドゥアルドに仕える人々。
彼らの安否も、エドゥアルドにとって気がかりなものだった。
ラパン・トルチェの会戦の敗北を伝え、帝国に撤退するように、という伝令は確実に出してあったし、後方で負傷兵の収容準備をしていたルーシェたちも、戦場を後にしているはずだ。
しかし、戦場で敵の追撃を食い止めるために戦うことで精一杯であったエドゥアルドたちは、その後のルーシェたちの行方を知らなかった。
撤退していればその内追いつくだろうとは思うものの、心配な気持ちがどんどん強くなってくる。
一足先に撤退を開始できたはずだとはいえ、ルーシェたちの足では長く逃げ続けることは難しいはずだった。
兵士たちは半分、歩くのが仕事のようなもので、歩くことに慣れていたが、彼女たちは屋敷で働く使用人たちであって、長距離を延々と歩き続ける経験はしたことがないだろう。
移動のための馬車は十分な数があったはずだが、それでも、なにかトラブルが起こって、どこかで立ち往生しているかもしれない。
ルーシェたちと合流できないうちは、そんな不安がつきまとって、消えないだろう。
(大丈夫だ。
護衛の兵士だって、少ないが、ついているんだから)
エドゥアルドは自分にそう言い聞かせて、目の前の議論に集中しようとする。
エドゥアルドの従軍についてくると決め、こんなところまで押しかけて来たのはルーシェたちだったが、それを、最終的に許可したのは、主人であるエドゥアルドだった。
ルーシェたちに、もし、なにか起こったら。
エドゥアルドは過去の自分の決断を、一生、後悔し続けることになるだろう。
かといって、ルーシェたちの現在位置を探るために騎兵を出すこともできない。
ノルトハーフェン公国軍につき従っていた騎兵たちの馬は負傷兵を運ぶための馬車に使ってしまっているし、アントンの指揮下にある騎兵たちはすでに、周辺の偵察のために忙しく働いているからだ。
いくら心配だからと言って、ルーシェたちを探すために使うわけにはいかなかった。
(大丈夫だ。
シャルロッテや、マーリア、ゲオルクたちも、一緒なんだから)
エドゥアルドはそう思うと、少しだけ安心することができた。
シャルロッテは、メイドとしてだけではなく戦闘面でもやたらと頼りになる存在だったし、マーリアはうまく使用人たちをまとめてくれているはずだし、ゲオルクは使用人たちを乗せた馬車をうまくあやつって逃がしてくれているはずだ。
そんな、エドゥアルドにとってよく知った、頼れる人たちと一緒にいる限り、ルーシェたちが安全でいられる確率は、高いに違いなかった。
今はとにかく、自分が、そして、エドゥアルドに従ってくれている兵士たちが、無事に公国へと生きて帰れるように、全力をつくそう。
エドゥアルドが内心でそう決心を固め直した時、休息していた兵士たちの間でざわめきが起こった。
敵襲か。
エドゥアルドはそのざわめきを耳にした時、驚くと同時にそう思って警戒したが、どうにも、そういう雰囲気でもなかった。
兵士たちはざわついてはいるものの、そこに緊迫感のようなものはなく、どちらかと言えばおもしろがっているような様子だった。
腰かけていた折り畳み式のイスから立ち上がったエドゥアルドがざわつきの方へと視線を向けると、街道の左右にわかれて休息していた兵士たちの間を、黒っぽい、四つ足の生物が、こちらに向かって走ってきている。
(犬、か? )
その黒っぽい生物はまだ少し遠く、はっきりとはわからなかったが、犬であるようだった。
そしてその犬は、まっしぐらにエドゥアルドめがけて走ってきている。
兵士たちは、この突然の乱入者に驚くのと同時に、不思議がっている様子だった。
犬なんて別に珍しい動物ではなかったが、戦いと夜通しの行軍に疲れ切っているにも関わらず、横になって落ち着いて眠ることもできない兵士たちにとっては、いい見世物のようになっている様子だった。
「あれは……、カイ!? 」
段々と近づいて来たその犬の姿を目にして、エドゥアルドは驚き、それから、喜んだ。
それは、エドゥアルドのメイドであるルーシェと一緒に暮らしている犬、カイだったのだ。
そのカイが、無事だった。
そのことにエドゥアルドは喜んだのだが、同時に、不安な気持ちがにわかに大きくなった。
カイは、ルーシェにとって家族なのだ。
そして2人は決して離れ離れになろうとはせず、カイは、ルーシェを追ってここまで来てしまったのだ。
そんなカイが、1匹だけで駆けている。
その様子は、エドゥアルドに不吉な想像をさせていた。
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