第104話:「反転行進射撃」

「撃て! 」


 ペーター大佐が振り上げたサーベルを勢いよく振り下ろすと、隊列の先頭に並んでいたノルトハーフェン公国軍の兵士たちが、一斉射撃を加えた。


 通常の戦列歩兵の隊形から放たれる射撃に比べて、やや、まばらな斉射だった。

 というのも、ノルトハーフェン公国軍の兵士たちは、互いの肩と肩が接触するような密集隊形をとらずに、間に1人が余裕を持って通れるだけの間隔を明けて、並んでいたからだ。


 発砲を終えた最前列の兵士たちは、通常であれば即座に開始される装填作業を開始しなかった。

 彼らはすっと右によけると、そのまま背を向け、隊列の後方へと駆け足で下がっていく。


「狙え! 」


 最前列の兵士たちが後退すると、ペーターは2番目の隊列の兵士たちにマスケット銃をかまえさせる。

 すると、元々立っていた位置を動かないまま、2列目の兵士たちがマスケット銃をかまえ、硝煙の向こうにうっすらと見える共和国軍の兵士たちに向かって狙いをつける。


「撃て! 」


 再びペーターがそう言って号令すると、2列目の兵士たちは一斉に射撃を加えた。

 そして、撃ち終わった2列目の兵士たちは、最前列にいた兵士たちと同じように、最後列へと向かって駆けて行った。


 それは、反転行進射撃と呼ばれる射撃方法だった。


 つまりは、反対側、後ろ側に向かって行進しながら、敵に対して射撃を加えていくのだ。


 通常の戦列歩兵は、一斉射撃によって放たれる弾量を少しでも増やし、火力を向上させるために、互いの肩が触れ合うほど接近しあった状態の密集隊形をとる。

 しかし、反転行進射撃では、発砲を終えた最前列の兵士を次々と後列に下げ、徐々に列を交代させながら射撃するために、人が移動できるだけの間隔を開けて並ぶことになる。


 この結果、反転行進射撃を行っている最中は、一度の斉射で発揮できる火力は減少する。

 しかし、その一方で、部隊をじわじわと後退させつつ、しかも射撃を途切れさせることなく継続させることができる戦法だった。


 射撃を終え、後列へと下がった兵士たちは、そこで再装填を行う。

 そして、次の射撃の番が回ってきたら、また同じことをくり返し、射撃をしつつ、後方へと行進を続けるのだ。


 エドゥアルドたちは殿(しんがり)として、敵を押しとどめなければならない。

 しかし、それと同時に、自分たちも撤退をしなければならなかった。


 前面には、帝国軍を追撃しようとする共和国軍がどんどん、迫りつつある。

 それは、エドゥアルドたちの前だけではなく、左右からも、包囲を狭めようと迫ってきているのだ。


 通常の戦法を採用し、その場で射撃と装填をくり返していては、ノルトハーフェン公国軍は包囲・殲滅(せんめつ)されてしまう。

 それを避けるために、この反転行進射撃をエドゥアルドたちは実施していた。


 マスケット銃の射程内というそれほど離れていない位置で交戦しているのだから、ノルトハーフェン公国軍が一方的に射撃しながら後退できるはずもなかった。


 共和国軍はノルトハーフェン公国軍の射撃を受けつつもさらに前進すると、自身の射程内にエドゥアルドたちをとらえ、一斉射撃を加えてくる。


 公国軍の発砲によって生じた硝煙の向こうに、さらに濃密な硝煙が広がったかと思うと、青鹿毛の馬上にまたがったままのエドゥアルドの耳元を、ピュン、と風を切る音を立てながら弾丸が飛びぬけていく。


 それほど近いところを通っていたわけではなかったが、エドゥアルドの額から頬へと、冷や汗が伝って行く。


たった、1発。

 重さ数十グラムの鉛の塊(かたまり)が命中した瞬間、エドゥアルドはこの世界から、消えてなくなってしまうかもしれない。


 同じ前線に立つ以上、エドゥアルドが公爵であろうと、兵士たちと同様に、死は平等に訪れる。

 たとえ、敵兵が銃口を、その殺意を向けた相手がエドゥアルドではないのだとしても、精度が低く気まぐれな弾道を示すマスケット銃から発射された弾丸は、狙った先にいる相手ではなく、エドゥアルドを射貫くかもしれないのだ。


「公爵殿下、どうぞ、お下がりください! 」


 エドゥアルドの隣に馬をよせたミヒャエル中尉が、エドゥアルドに向かって、発砲の轟音(ごうおん)に負けない声で叫んだ。


「殿下が将兵とともにありたいというお気持ちは、我らみな、ありがたく思っております!


 しかしながら、もし、公爵殿下に万一のことがあれば、いったい、我らはどなたの下で戦えばよいのでしょうか!?


 ここは、どうか我らにお任せになって、殿下は後ろに!

 それができないというのであれば、どうか、せめて馬から降りてくださいませ!


 このままでは、敵から狙撃される恐れもございます! 」

「いいや、ミヒャエル中尉!

 僕は、このまま、ここにいる! 」


 エドゥアルドも、銃声に負けない声で怒鳴り返した。


「貴殿の気づかいには、感謝する!


 しかし、僕はここで、僕の兵士たちと共に、同じ危険に立ち向かう!


 弾丸は、気まぐれだ!

 流れ弾が、僕に当たるかもしれぬ!


 だが、僕は、僕の兵士たちの背中に隠れるようなことは、したくない! 」

「しかし、公爵殿下……! 」


 ミヒャエル中尉は、強情なエドゥアルドに困ったように、険しい顔を浮かべる。


 実際、エドゥアルドの身には、危険が迫っていた。

 共和国軍の兵士たちは、ノルトハーフェン公国軍の反転行進射撃とはちょうど逆の要領で、発砲した最前列の兵士と後列の兵士が追い抜いて射撃するという、前進射撃と呼ばれる射撃法を行ってきている。

 それは、積み重ねた訓練の結果ではなく、ノルトハーフェン公国軍を攻撃し、圧倒して撃滅しようという共和国軍の兵士たちの闘志から偶然に自然発生した戦法ではあったが、共和国軍がノルトハーフェン公国軍に向かって射撃を続けているということだった。


 弾が飛んでくるということは、いつ、エドゥアルドに着弾してもおかしくはない。

 そして、もしそうなったら、ノルトハーフェン公国軍はその総指揮官を失うこととなり、殿(しんがり)どころではなくなって壊走してしまうかもしれない。


 だが、エドゥアルドはそういった危険があることを知っていても、自分の命が自分ただ1人のものではないと知っていても、退くつもりはなかった。


 ここで戦って、敵弾に倒れていく兵士たち。

 彼らは間違いなく、エドゥアルド[の]兵士たちなのだ。


 エドゥアルドは、ただ、彼らにかしずかれ、守られるだけの存在にはなりたくなかった。

 エドゥアルドは、彼らの[戦友]でありたかった。

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