第103話:「雲霞(うんか)の如く:2」

 練度という点で言えば、それは、明らかに帝国軍の方が上であった。

 志願兵制度、言いかえれば傭兵制度によって構築された帝国諸侯の常備軍は何年も軍務についた熟練の兵士で構成されており、敵前での隊列の転換も素早く実施でき、難しいとされている輪番射撃などの技能を使いこなせるものも多かった。


 だが、その帝国軍は、共和国軍に敗北しつつある。

 先入観と、「そうであって欲しい」という願望から判断を誤り、ムナール将軍の罠に陥ったと気づいても混乱し右往左往するだけで、迅速な対処ができなかったというのが、この敗北の根本的な原因だった。


 ただ、それだけではなかった。

 共和国軍の、異様に高い士気。

 勝利の余勢を得ただけではないその戦意の高さが、共和国軍を強力な軍隊としている。


 練度という点で見れば、共和国軍の将兵のほとんどは、帝国から見て[児戯に等しい]ようなレベルでしかなかった。

 彼らの隊列の転換速度は明らかに平均的な帝国軍にも劣っていたし、輪番射撃をすることもできず、最初の斉射以降は、同じ中隊であっても射撃のタイミングを合わせることができず、各兵士がバラバラに、それぞれの速度で装填でき次第射撃するという、乱れたありさまだった。


 正面から対等な条件で戦えば、帝国軍は難なく、勝つことができるだろう。

 傭兵によって作られた常備軍である帝国軍はいわば玄人(くろうと)の集団であり、徴兵制によって作られた共和国軍はいわば、にわかに兵隊になった素人でしかないからだ。


 それでも、共和国軍は勝利を手にし、帝国軍を撤退させ、エドゥアルドに決死の覚悟で殿(しんがり)をさせている。


 このような結果になったのは、敵将、ムナール将軍の指揮という点が大きい。

 彼は侵攻してくる連合軍と不利な状況では戦わず、引き込んで消耗させ、この決戦に及んで、たくみな作戦によって連合軍を打ち破った。

 100門以上もの火砲を迅速に展開し、大放列によって連合軍中央を打ち崩したその手腕は、見事としか言いようがないし、未だにエドゥアルドはそのトリックがわからない。


 しかし、そのムナールの作戦も、共和国軍の戦意の高さのおかげで成功したのだ。

 練度で勝る帝国軍の猛攻撃に共和国軍が持ちこたえることができず、援軍の到着までに壊走してしまっていたら、このような結果は得られなかっただろう。


 徴兵制によって作られた軍隊。

 それは、士気が低く、練度も低く、多くの場合、傭兵によって作られた常備軍にはかなわないというのが、これまでの軍事的な常識だった。


 その常識が、目の前でくつがえされた。


 そこには当然、理由がある。

 そしてその理由は、おそらく、共和国軍が共和制という、ヘルデン大陸で長く続いて来た君主制とは異なった制度であるからだと、エドゥアルドにはそう思える。


 帝国はこれから先、この共和制という存在に対して、大いに悩むことになるだろう。

 その旧態依然とした体制を生まれ変わらせ、新しい国家として脱皮することができなければ、今回のような敗北を積み重ね、やがては、強大であったはずの帝国が消滅することにもなりかねない。


 そんな危惧を、エドゥアルドは真剣に感じている。


 この戦いの敗北の原因を明らかとし、それを教訓として、生かさなければ。

 そうしなければ、エドゥアルドが作ろうとしている新しいノルトハーフェン公国という国家は、帝国の消滅という大きな流れの中で翻弄(ほんろう)され、乗り越えがたい困難に直面することになる。


 この戦争によって経験した出来事と、遭遇してしまった、エドゥアルドたち帝国貴族にとって未知の存在である共和制という国家。


 そこからどんな教訓を引き出し、どうやって適応していくか。

 エドゥアルドは、今から頭を抱えたくなるような気分だった。


 だが、すべては、[今]を生き延びてからのことだった。


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 共和国軍の将兵はノルトハーフェン公国軍の砲撃によって乱された隊列を整えると、ドラムの音に合わせて歩調をそろえ、迫って来る。

 勝利によって高揚した彼らは、もう、ノルトハーフェン公国軍が向けている銃口を目にしても、恐怖を感じないようだ。


 共和国軍の兵士たちがかまえる銃剣がキラキラと日差しを反射して剣呑(けんのん)に輝き、彼らの隊旗が誇らしげにひるがえっている。


 おそらくは、ほんの1、2年前までは、畑を耕したり、物を生産したり、売ったり買ったりしていただけの、民衆たち。

 誰かの父親であり、息子であり、友人であり、恋人であった人々。


 彼らは今、獰猛(どうもう)な兵士たちだった。

 恐怖を知らない、勇猛な戦士たちだ。


 その猛攻を、ノルトハーフェン公国軍は押しとどめなければならない。


 展開しているノルトハーフェン公国軍の歩兵部隊の前方に、互いに1、2歩ほどの間隔を離して並び、散兵線を構築していた軽歩兵たちが、射程に入った共和国軍に向かって一斉に前装式ライフル銃を発砲した。


 軽歩兵たちの射撃は、部隊の長の号令に従って同じ動作だけをくり返す、戦列歩兵が行うような斉射ではない。

 散兵線とは、もちろん発砲の許可・不可はあるが、それを構築する兵士たちに射撃の裁量を大きく持たせ、自由に、もっとも狙いやすい目標、あるいはもっとも自分にとって脅威となる目標に向かって射撃させるものだからだ。


 彼らは収穫を間近とした小麦畑の中に身を隠していたから、共和国軍はなにも知らずに射程に入ってしまった形になった。


 ライフリングを施された銃身から発射された弾丸は、射手の狙いに従って、次々と共和国軍の兵士たちを射貫いて行った。

 かつてエドゥアルドと共にノルトハーフェン公国で起こった騒乱を戦った猟師、ヨハン・ブルンネンを始め、公国の猟師たちを選抜して招集して陣営に加え、射撃の教官とすることで鍛え抜かれたノルトハーフェン公国軍の軽歩兵たちはみな、すでに熟練した射手となっていたのだ。


 共和国軍は、ノルトハーフェン公国軍の軽歩兵が作った散兵線に、同じく軽歩兵で反撃しては来なかった。

 彼らはすでに崩れた帝国軍を追撃する態勢にあり、白兵戦を想定して、接近戦の苦手な軽歩兵ではなく戦列歩兵を先頭にして前進してきていたからだ。


 公国軍に応射する代わりに、共和国軍の兵士たちの前進を続けた。

 前進を続けるように命じるドラムの音はやまず、彼らは倒れた兵士を乗り越え、倒れた隊旗を拾い上げて再びかかげ、軽歩兵たちの散兵線へと迫って行った。


 彼らの眼中には、公国軍の軽歩兵たちはなかった。

 あるのは、その後方、ノルトハーフェン公爵・エドゥアルドだ。

 共和国軍は、帝国で高い地位にあるエドゥアルドを倒し、この会戦における最大の戦果とすうつもりでいるらしかった。


 公国軍の軽歩兵の再装填は、間に合わない。

 前装式ライフル銃は、その構造のために通常のマスケット銃よりも再装填に時間がかかり、とても、敵の隊列が迫って来るまでの間には装填を終えることができなかった。


 軽歩兵たちの指揮官が、共和国軍のマスケット銃の射程に入る前に、次々と退却の号令を発し、ラッパ手が退却の合図を吹き鳴らす。

 すると彼らは立ち上がり、敵に背を向けて駆け出して、エドゥアルドたち、戦列歩兵の隊列よりも後ろに下がっていく。


 ただ、逃げるのではない。

 後方で次弾をゆっくりと装填し、戦況によっては左右に展開して敵を射撃するか、あるいは、後退する戦列歩兵の隊列を援護するための退却だった。


 そして、戦列歩兵たちの隊列の前方に味方がいなくなると、その間隙を埋め尽くすように、共和国軍の兵士たち迫って来る光景が広がる。


 エドゥアルドは、息が苦しくなるような圧迫感を覚えた。


「かまえっ! 」


 距離が十分に近くなり、もう少しでマスケット銃の射程に入ると思われた時、エドゥアルドから歩兵部隊の指揮を任されているペーター・ツー・フレッサー大佐が、自身が直接率いているエドゥアルドの親衛隊の歩兵たちに向かって、そう命じた。

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