第103話:「雲霞(うんか)の如く:1」

 エドゥアルドたち殿(しんがり)の部隊が配置につき終わるころには、すでに帝国軍は撤退を始めていた。

 伝令の命令がようやくすべての部隊へと行きわたり、戦場からの離脱を開始したのだ。


 最初に戦場から離脱していったのは、壊走したズィンゲンガルテン公国軍と、その指揮下に入って連合軍の中央部を構成していた諸侯の軍隊だった。

 多くの将兵が武器や隊旗を捨てた状態で、三々五々、バラバラに逃げ散っていく。

 ズィンゲンガルテン公爵・フランツは、わずかな騎兵に守られながらやっと落ちのびていくという、惨憺(さんたん)たるありさまだった。


 次に離脱していったのは、ヴェストヘルゼン公国軍と、帝国軍左翼を構成していた諸侯の部隊だった。

 こちらは、共和国軍の新手から包囲されて激戦となっていたのにも関わらず、規律を保った状態での後退だった。

 どうやら、左翼の指揮をとっていたヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトは、よく指揮下の将兵を統率して、壊走させずに組織的に戦い続けていた様子だった。


「すまぬ、エドゥアルド殿!


 貴殿から貸してもらった野戦砲は、遺棄(いき)せざるを得なんだ!


 せめて、兵だけでもお返し申す! 」


 自身も乗馬し、警護の兵士たちに守られながら後退して来たベネディクトは、エドゥアルドの姿を見つけると馬の足を止め、そう言って無念そうにエドゥアルドに頭を下げた。


「ベネディクト殿、どうか、お気になさらず!

 兵さえ返していただけるのなら、大砲など、またいくらでもわが国で生産出来ます!


 ここは、我らが殿(しんがり)を務めますので、早くお引きを!


 どうか、皇帝陛下のことをお守りください! 」


 エドゥアルドは内心で、ベネディクトのその率直な態度に好感を抱きながら、口先だけではなく本心からそう言うと、早く撤退するようにうながす。


「エドゥアルド殿、かたじけない! 」


 するとベネディクトはまた頭を下げると、他の兵士たちを追って馬を進めていった。


 最後に撤退してきたのは、オストヴィーゼ公国軍だった。


 オストヴィーゼ公国軍を中核とする2万は、左翼のヴェストヘルゼン公国軍を支援する任務を与えられていた。

 オストヴィーゼ公爵・クラウスは、その任務を果たすために最後まで戦場に残り、ヴェストヘルゼン公国軍の退路を遮断(しゃだん)しようとする共和国軍を防ぎ続け、その役割を十分に果たしてから撤退を開始した。


 当然、その撤退は、戦いながらだった。

 クラウスは、自身の息子であり次期オストヴィーゼ公爵でもあるユリウスと部隊を二分割し、互いに援護しあいながら、共和国軍の追撃を受けつつ退いてくる。


 共和国軍の兵士たちは喚声(かんせい)をあげ、その足音を地響きのように轟(とどろ)かせながら、オストヴィーゼ公国軍を追撃していた。


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 エドゥアルドは、自ら、最後尾の部隊を指揮している。

 直接兵士たちの指揮をとるのはペーター・ツー・フレッサー大佐であって、エドゥアルドではないが、それでも、エドゥアルドはこの最後尾で、陣頭に立たなければならなかった。


 兵士たちを、鼓舞するためだ。


 殿(しんがり)となって戦う兵士たちは、表面的にはどうであれ、その内心では不安を抱えている。

 自分たちだけ、戦場に取り残されるのではないか。

 捨て駒にされたのではないか。


 それは、恐怖と言ってもいい。

 そして、もし、その恐怖が、兵士たちの闘志や使命感を上回れば、ノルトハーフェン公国軍は殿(しんがり)どころではなくなり、誰もが我先にと逃げ出して、壊走するだろう。


 だから、エドゥアルドは自ら陣頭に立ち、敵の追撃を最初に受け止める兵士たちの前にその姿を見せ続ける必要があった。

 そうすることで、彼らが決して捨て駒などではないと、はっきりと示すことができるのだ。


 もしエドゥアルドがここにおらず、より安全な場所に身を置こうとしたら、兵士たちはきっと戦意を失って戦えなくなる。

 陣頭に立つことには大きな危険が伴ったが、エドゥアルドは殿(しんがり)を成功させるために、そこに立たなければならなかった。


 兵士たちと共に、エドゥアルドは迫って来る共和国軍の姿を見つめていた。

 そして、彼らが十分に接近したことをペーターから知らされると、エドゥアルドはさっと、右手を高々とかかげ、そして、共和国軍に向かって振り下ろしながら叫んだ。


「クラウス殿とユリウス殿を支援する!

 砲兵、追撃してくる共和国軍に放火を加えよ! 」


 エドゥアルドは、ノルトハーフェン公国軍の手元に残していた75ミリ野戦砲装備の砲兵隊に命じて、オストヴィーゼ公国軍を追撃してくる共和国軍を砲撃させた。


 75ミリ野戦砲は、使いやすい火砲だった。

 100ミリ野戦砲や150ミリ野戦重砲と比べれば劣りはするものの、十分敵にダメージを与えられる程度には威力を持っている。

 また、威力が小さい分、重量は控えめで臨機に移動させることができ、今回の撤退戦でも、殿(しんがり)の各隊の展開に合わせて配置することができていた。


 ノルトハーフェン公国の砲兵は、次々と砲弾を共和国軍へと送り込んだ。

 その門数は、公国軍を2つにわけているために6門しかなかったが、共和国軍に放たれた砲丸は地面をバウンドしながら隊列の前から後ろへと抜けていき、兵士たちをなぎ倒していく。


 その砲撃は、効果があった。

 共和国軍の追撃の手を緩め、オストヴィーゼ公国軍との距離を開かせることに成功したのだ。


 共和国軍の追撃が緩んだとみるや、オストヴィーゼ公国軍は交戦しながらの撤退をやめ、全速力での逃走に移った。

 兵士たちに隊列を崩すことを許し、とにかく駆けさせたのだ。


「エドゥアルド殿! 支援、感謝いたします! 」

「エドゥアルド殿! 決して、ご無理はなされるなよ! 」


 そうして共和国軍の追撃から逃れることができると、馬に乗ったユリウスとクラウスが、撤退する兵士たちと共に駆け足で、残るエドゥアルドたちに手を振って撤退していく。


 これで、この戦場に残っているのは、エドゥアルドの殿(しんがり)部隊だけとなった。

 他の帝国軍は、壊滅させられたか、すでに撤退している。


 当然、共和国軍は、エドゥアルドたちめがけて殺到してくる。

 それが、この戦場で彼らに残された、最後の大きな[獲物(えもの)]だからだ


 エドゥアルドはさらに砲撃を加えさせたが、共和国軍は止まらない。

 たった6門の野戦砲の砲撃ではその効果に限度というものがあったし、共和国軍の兵士たちは、決戦に勝利したというだけではなく、異様なほど高い士気に支えられている。


 彼らは、砲撃によってなぎ倒された同胞を越え、雲霞(うんか)の如く攻めよせてきた。

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