第102話:「策士:3」
自分は、あらゆる可能性を考えて、備えていただけだ。
ヴィルヘルムはそう言ったものの、エドゥアルドは納得できなかった。
「では、プロフェート殿。
貴殿が想定していた可能性の中には、我が帝国が勝利する場合も、あったのだろう?
では、なぜそれを僕に伝え、軍議の場で陛下に進言させなかったのだ?
そうでなくとも、貴殿が気づいたことを教えてくれていれば、この結果を避けるために、なにかができたのではないか? 」
ヴィルヘルムがあらゆる状況に対し、この撤退戦の作戦のように、正確な想定をし、詳細な計画を立てていたのなら、それをエドゥアルドに伝え、皇帝や諸侯に対して主張させるべきだった。
そうすれば、帝国は勝利できたかもしれず、最悪の場合でも、このような大敗を経験することはなかったはずだ。
「臣下は、主のために知恵をつくすもの。
しかし、進言するべき時と、そうでない時がございます」
ヴィルヘルムにも、エドゥアルドの納得できないという気持ちは伝わっているのだろう。
彼はエドゥアルドに視線を向けると、彼がどうして、彼の考えのすべてをエドゥアルドに打ち明けなかったのか、その理由を説明し始める。
「たとえば、殿下。
たとえ、殿下が正しいことを主張されたとして、軍議の席で、それを受け入れられる公算は、高かったと、そうお思いでしょうか? 」
「それは……。
正しいことであるのなら、受け入れられて、しかるべきであろう」
エドゥアルドはヴィルヘルムの問いかけをいぶかしみつつも、すぐにうなずいてみせる。
正論であれば、それを受け入れる。
そうすることで初めて大きな成果をあげることができるし、エドゥアルドたち貴族はみな、そうやって人々を導いていかなければならない重責を担っている。
正しいこと、より優れたことを聞けば、すぐにそれを取り入れるべきだと、エドゥアルドはそう思う。
「では、殿下。
アントン大将の[正しい]進言は、受け入れられましたか? 」
「……それは」
だが、エドゥアルドはヴィルヘルムにそう指摘されて、口をつぐむ他はなかった。
事実として、アントンは、軍議の場で正しいことを言っていた。
彼の想定は正しく、その危惧していた通りのことが、戦場で起こった。
諸侯を前に、その意見を堂々と述べるアントンの態度は立派だったし、エドゥアルドは感心させられた。
しかし、アントンは、軍議の席で諸侯からの嘲笑(ちょうしょう)を受けただけだった。
そんなことありえない、杞憂(きゆう)だと笑われ、正しかったはずのアントンの意見は取り入れられず、帝国軍は大敗し、共和国軍に追われて戦場から撤退しようとしている。
「殿下は、誠実なお方でいらっしゃいます。
ですから、もし、私(わたくし)が全ての可能性をお話しし、諸侯の皆様が誤った方向に進んでいると知れば、強硬に、「それは間違っている」と意見されたでしょう。
ですが、きっと、諸侯の方々は、殿下のご意見を受け入れなかったでしょう。
アントン大将の進言を受け入れなかったように。
それでは結局、殿下のお立場が悪くなるだけで、帝国は敗北を逃れ得ず、損だけをこうむってしまいます。
そうであるなら、私(わたくし)が殿下になにもかもをお話ししてしまっては、結局、殿下にご迷惑をかけることになります」
エドゥアルドは、小さくうなりながら、しかめっ面をする。
ヴィルヘルムは、そこまで考えて、自分の発言をコントロールしているのか。
策士と呼ばれる者というのはそこまで考えなければならないのかと感心する一方で、つまりヴィルヘルムは常にエドゥアルドには内密にしていることを抱えているかもしれないということなので、複雑な気持ちだった。
「諸侯に一時、不興をかったり、嘲(あざけ)りを受けたりしたとしても、後で「僕の言ったことが正しかった」と、そう言ってやることができるではないか。
なぜ、そこまで気を使わねばならぬのだ? 」
「殿下の言葉が後に正しいとわかったとしても、それで、素直に殿下のことをお認めになることは、多くの貴族の方々にとっては難しいことであるからです」
まだ納得がいかないという様子のエドゥアルドに、ヴィルヘルムは説明を続ける。
「貴族の方々は、生まれながらの支配者でございます。
常に、自分こそが正しく、そうでなければならないと、そう考えているお方も多いのです。
生まれながらの権力者として育ち、実際に権力を握っておられる方々は、ご自身の誤りをお認めになるという行為が、なかなかできないのでございます。
ですから、たとえ、殿下が正しいことをおっしゃっていたと後でわかったとしても、それで殿下のご見識や実力を、諸侯の方々が認めるとは限りません。
かえって、殿下のことを小癪(こしゃく)に思い、恨みに思うような方さえいらっしゃるでしょう。
もし、殿下の言っていたことが正しいと認めてしまえば、[誤っていたのは自分だった]ということも、同時に認めなければならないのです。
生まれながらの支配者として、人々の上に君臨している自分が、間違っていると、そう認めることができるお人は、少ないのです」
貴族は、権威というものを大切にする。
なぜなら、それこそが、この地上で貴族が人々を支配し、統治者として君臨し続ける[根拠]となるものだからだ。
エドゥアルドの言っていることが正しかったと後になって認めることは、その権威を、傷つけることに他ならない。
言われてみると、エドゥアルドも、納得せざるを得なかった。
そんなのおかしいと思うのが、エドゥアルドを含め多くの人々の正常な感覚なのだが、貴族という人々にはそういった一般的な感覚からズレたところが、大なり小なりある。
「殿下。
今は、この撤退戦を成功させること、そして、それを武功とすることをお考え下さい。
そうして実績を積み上げ、功績を明らかなものとすれば、殿下が望む[正しいこと]に、誰もが従わざるを得なくなるでしょう」
「……わかった。
今は、プロフェート殿の言うとおり、撤退戦を成功させることに集中しよう」
エドゥアルドはそう言ってうなずき、視線を前へと向ける。
ヴィルヘルムは、やはり策士だった。
常に柔和な笑みを浮かべ、その本心を隠し、主君に対してもすべてを明かさずに秘密主義をとり、自身の行動や発言がどのような影響をもたらすのかを慎重に考え抜いてから、ようやくその考えを、必要だと認めた部分だけ述べる。
今も、ヴィルヘルムはきっと、エドゥアルドに隠しごとをしているのだろう。
だが、少なくとも彼は、エドゥアルドにとっての味方には間違いなかった。
そんなヴィルヘルムが用意してくれた、エドゥアルドが戦功をあげる機会。
エドゥアルドは、まずはそれを確実に自分のものにしようと決心していた。
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