第101話:「策士:2」
ヴィルヘルムは、ノルトハーフェン公国軍とアントンが率いている皇帝親衛軍から分派された1万5千をそれぞれ2分割し、合計で4つの部隊に再編成させた。
この4つの部隊を、帝国軍の退路上の要所に配置し、順番に共和国軍と交戦して足止めしながら、できるだけ多くの帝国軍を逃がすというのが、エドゥアルドたち殿(しんがり)の目的だ。
(あまりにも、準備が良すぎる)
配置につくために慌ただしく行動を始めた兵士たちの姿を眺めながら、エドゥアルドは、ヴィルヘルムの準備の良さを、感心を通り越して、不気味に思っていた。
実際のところ、ヴィルヘルムが事前に詳細に撤退戦の計画を用意してくれていたことは、エドゥアルドにとってはありがたいことだった。
エドゥアルドやその指揮下の将兵が生きて故国に帰り着くことができる確率が大きく向上するというだけではなく、撤退戦を成功させれば、それは、大きな功績として認められるからだ。
この、ラパン・トルチェの会戦での敗北という中で、ノルトハーフェン公国だけが、武功を主張することができる。
なぜなら、撤退戦を成功させるということは、エドゥアルドが帝国軍の多くの将兵を救うことに他ならないからだ。
それは、救ったのと同じ数の敵を倒すのよりも、大きな功績と言えるかもしれないほどのことだった。
だから、ヴィルヘルムが周到に準備してくれていたことを、喜ぶべきだった。
しかし、エドゥアルドには、ヴィルヘルムが「最初からこうなるとわかっていたのではないか」と思えてならなかった。
その準備の周到さは、会戦が始まる以前から、周辺の地形を観察し、会戦がどのように戦われるのかも正確に想定できていなければ、できないことだ。
引っかかるのは、帝国軍が決戦に向かう方向に進むように進言したのが、ヴィルヘルムだということだった。
それは、ソヴァジヌの街で略奪が起こったことに心を痛めたエドゥアルドに、アルエット共和国の民衆をこれ以上傷つけず、かつ、帝国にも勝利の栄光をもたらせるかもしれない方法として、ヴィルヘルムが提案したものだ。
その内容にエドゥアルドも納得したから、受け入れたものではあった。
だがそれは、[決戦に勝利できる可能性がある]と、そう思ったから受け入れたことだ。
しかし、これでは。
まるで、帝国軍が勝利する可能性など、最初からなかったかのようだった。
(いったい、プロフェート殿は、なにを考えているのだ)
エドゥアルドは、自分と共に最後尾を守る部隊に参加したヴィルヘルムの横顔を、複雑な気持ちで見上げていた。
元々、ヴィルヘルムは得体のしれない男であった。
最初は、ノルトハーフェン公爵の位を簒奪(さんだつ)しようとする陰謀を企てる側のスパイとして、ヴィルヘルムはエドゥアルドの前に姿をあらわした。
しかし、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、ヴィルヘルムはエドゥアルドのブレーンとなり、公国の騒乱を鎮めるために大きな活躍をし、最後には、エドゥアルドの現在の地位を盤石なものとしてくれた。
そう言った意味で、ヴィルヘルムが行ってきたことはエドゥアルドにとって大きな利益となることだったし、エドゥアルドはヴィルヘルムが自分のために働いてくれているのだと、信用している。
今だって、そうだ。
帝国軍全体では敗れたのにもかかわらず、ヴィルヘルムは、その敗北の中でノルトハーフェン公国に、エドゥアルドに[だけ]、実質的な勝利を与えようとしている。
ヴィルヘルムは、エドゥアルドに不利益となるようなことはしない。
そう思いはするものの、しかし、エドゥアルドは同時に、ヴィルヘルムにうまく[あやつられて]いるような感覚がして、居心地が悪かった。
エドゥアルドの行動も、この戦いの結果も、なにもかも、ヴィルヘルムの思い描いたとおりに動いているようにしか思えないのだ。
そして、ヴィルヘルムには、その柔和な笑みの裏で、なにか別の思惑があるのではないかと、そう疑いたくなってくる。
「プロフェート殿。
貴殿には、最初から、我が帝国が敗れるということが、わかっていたのか? 」
だからエドゥアルドは、ヴィルヘルムにそうたずねていた。
そうやってヴィルヘルムの本心を確認せずにはいられなかったのだ。
「いえ、殿下。
私(わたくし)に、このような結果となる確信があったわけではございません。
もちろん、比較的大きな可能性として考えてはおりましたが、帝国が勝利できる可能性もあったと、考えておりました」
エドゥアルドの問いかけに、ヴィルヘルムはそう言って即答する。
しかし、それだけでは、エドゥアルドの気持ちは晴れなかった。
ヴィルヘルムはいつも仮面のような柔和な笑みを浮かべていて、その表情から、彼の本心を読み取ったり、推察したりことができない。
だから、その仮面のような表情の裏で、なにかを考えているのではないかと、そう思えるのだ。
「しかし、プロフェート殿。
貴殿は、撤退戦の、詳細な計画を持っていた。
それは、僕にとって、これ以上ないほど頼もしいことだ。
だが、僕には、あまりにも用意が良すぎるとも思えるのだ。
まるで、プロフェート殿自身が、この状況を[作ろうとしていた]のではないかと、そう思えるほどに」
エドゥアルドが重ねてそう問いかけると、ヴィルヘルムは珍しくその表情を崩した。
苦笑しているようだった。
「殿下のご懸念は、ごもっともでございます。
私(わたくし)はいつも、このように、表情を変えることはございませんから
ですが、殿下のご懸念は、無用のものでございます。
なぜなら、私(わたくし)はただ、ありとあらゆる状況に対応できるように、備えておりましただけでございますから」
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