第94話:「機能不全」

 帝国軍の指揮中枢は、この時、機能不全に陥っていた。


 こうであるのに、違いない。

 そんな予断をもって判断を下し、その判断をくつがえす差し迫った危機があらわれたというのに、元々の判断をあらためることを躊躇(ためら)っている。


 この会戦に至るまでに、帝国軍は、追い詰められていた。

 敵はまったく抵抗して来ないのに、補給の破綻(はたん)によって苦しめられ、早く戦争を終わらせよう、戦争を終わらせるために必要な理由を得ようと、焦っていた。


 敵は、10万。

 我が方の、半数にも満たない。

 そして、敵に援軍はあらわれない。


 そんな判断を下したのは、帝国軍の焦りからだった。


 [勝つためにどうするべきなのか]ではなく、[勝つためには、こうでなくては困る]という、自分自身の[都合]によって、帝国軍は判断を誤ったのだ。

 楽観的な推測を事実であると断定し、敵が、この決戦に勝利するためにあらゆる手段を用いるかもしれないという危険を、予知することができなかった。


 元々、共和国軍との決戦を急ぐように進言した者には、エドゥアルドも含まれている。

 ソヴァジヌの民衆に対して行われた略奪という蛮行をくり返さず、また、「懲罰」という曖昧な目的で戦争を起こした帝国軍に、この戦争に幕引きをするための[理由]、あるいは[言い訳]とも言えるかもしれないものを、与えるために。


 そういう意味では、現在の苦境は、エドゥアルドがもたらしたようなものだった。

 そうするべしと進言したのはヴィルヘルムではあるのだが、その進言を用いることを決めたのは、エドゥアルドだ。

 とても、エドゥアルドに責任はないなどとは、言えなかった。


 だが、帝国軍がこの窮地(きゅうち)を回避する機会は、あったのだ。


 ムナール将軍がこの決戦にすべてをかけて来ると、そう予想さえできていたら。

 帝国軍は共和国軍の援軍に対して警戒するために作戦を変更し、もっと良い形で敵と戦うことができたはずだった。

 そして、そうすれば明確な勝利こそ得られずとも、帝国は「一撃を加えた」と言って、この戦争を切り上げる口実を作ることができる。


 元々、懲罰を加えるなどという曖昧(あいまい)な理由で、戦争を起こしたのだ。

 カール11世とアンペール2世との間には、戦争に勝利した場合の[戦後]についての構想もあるようだったが、それは2人の間の成り行きで決まったことであって、開戦する際には影も形もなかったものでしかない。


 帝国は、目的も不明瞭なまま大軍を持って侵攻し、民衆に不要な苦しみを与え、そして、予断によって、窮地(きゅうち)に陥った。


 アントン大将が、会戦前夜の軍議の席で懸念(けねん)を表明した時、エドゥアルドが横から、強力にアントン大将を擁護すれば、良かったのかもしれない。

 そうして、共和国軍に来援があることを織り込んだ作戦を立てておけば、今のような事態になっても、すぐに行動し、被害を最小限に抑え、「我が方の勝利」を主張できる程度の戦いに持ち込めたかもしれない。


 今さらでは、ある。

 あの時エドゥアルドは、他の諸侯との関係を悪化させるべきではないというヴィルヘルムの考えを採用し、結局、なにも言わなかったのだ。


 エドゥアルドは、後悔を覚えていた。


 帝国軍は、たった今、勝機を失った。

 エドゥアルドには、そうとしか思えなかった。


 カール11世が「敵の正確な数を報告せよ」と指示を出したのは、皇帝が、現実に起こっている状況よりも、連合軍が先入観と自己の都合から決定した予断を信じているからだ。

 あるいは、そう「信じたいから」だ。


 その先入観が、帝国に勝利を、少なくともそう主張できる戦いをする機会を失わせた。


 エドゥアルドの心の中には、怒りと焦燥感と共に、あきらめのような気持が浮かんできた。

 いくらノルトハーフェン公国軍が精強な軍隊であろうと、10万単位の会戦の結果を、それも、勝敗の分岐点を超え、坂道を転げ落ちているような状況からどうにかできるとは、思えなかったからだ。


 しかし、エドゥアルドはひざまずいたまま、皇帝からの下命を待ち続けた。

 帝国軍大将であり、カール11世の軍事的な助言者であるアントン大将が、必死に、皇帝を説得しているからだ。


「陛下。

 ただちに、ノルトハーフェン公国軍を、左翼の援護に向かわせるべきです」


 アントン大将は敵数の確認のために駆け出していった伝令と入れ替わるように皇帝の御前にひざまずくと、そう言って、今すぐにノルトハーフェン公国軍を動かすように要請した。


「敵の数は不明ではありますが、先ほどの伝令は、ヴェストヘルゼン公国軍に配属していた者でございます。

 自己の判断で勝手に動くはずがございませんから、ヴェストヘルゼン公爵が「数万の敵」と報告させたものでございましょう。


 ベネディクト公爵は、歴戦の将。

 いかに戦場に身を置き、硝煙の中におりましょうとも、たかが数百や数千の小勢を数万の軍勢と見間違うはずがございません。


 敵将、ムナールは、この会戦に、すべてをかけているのでございます。

 我が連合軍に敗北し、国家を失うという事態を避けるために、なりふりかまわず兵力をかき集めたのに相違ありませぬ。


 今、ただちにノルトハーフェン公国軍を差し向ければ、まだ、立て直すことができます。


 陛下。

 なにとぞ、出撃のご命令をお与えください」


 アントンの必死の説得を受けたカール11世は、迷っている様子だった。


「アントンよ。

 汝の言い分は、よく、わかった。


 しかし、軽々に判断することは、朕にはできぬ。


誰か、他に意見のある者は、おらぬか? 」


 そして、カール11世はそう言って周囲の者たちを見渡したが、誰も進言しようとする者はあらわれなかった。


 彼らも、カール11世と同じように、予断を持って「こうに違いない」と情勢判断を誤った者たちなのだ。

 その、すべての前提となった予断が崩れ去った今、みな動揺して、戸惑い、まともに思考できる者がいないようだった。


 カール11世は、しかめっ面を浮かべる。

 軍事の専門家である者たちでさえ決断しかねているのに、自分の考えだけで決断してもよいものかと、躊躇(ちゅうちょ)している様子だった。


「ご報告! ご報告いたします! 」


 その時、帝国軍の本営に、伝令が駆け戻って来る。


(戻ってくるのが、ずいぶん早かったな)


 敵数の確認に向かった伝令がもう戻って来たのかと思ったエドゥアルドだったが、すぐに、さきほどの伝令とは声も姿も違うと気づいた。


 新たにあらわれた伝令は、バ・メール王国軍の制服を身に着けている。

 しかも、激戦の中を潜り抜けて来たのか、返り血を浴びて、全身が土埃や硝煙で汚れていた。


 その表情は、悲壮なものだ。

 そのバ・メール王国軍からの伝令は、本営に馬で乗りつけると、馬から飛び降り、とにかく急いでカール11世の御前にひざまずくと、切羽詰まったように報告した。


「我がバ・メール王国軍の側方より、新たな反徒どもの軍勢があらわれ、攻撃を受けております!


 その数、約、5万!

 なにとぞ、至急、来援を! 」

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