第93話:「援軍」
連合軍の左翼、ヴェストヘルゼン公国軍が、数万の敵から攻撃を受けている。
その、伝令の切羽詰まった声による報告を受けても、帝国軍の中枢部の反応は鈍かった。
アントン大将など、一部の将校たちが顔色を変えただけだ。
「それは、ムナール将軍が共和国軍の予備兵力を動かし、我が軍の包囲に対して反撃している、そういうことか? 」
侍従の口を通してカール11世が問いただすと、伝令の兵士は皇帝の前であるにもかかわらず馬から降りてさえいなかったことに気づき、慌てた様子で馬から飛び降りてその場にひざまずいた。
「いえ、陛下!
どうやら、別の方面からあらわれた、新しい敵であるようです! 」
その伝令の言葉を聞いて、ようやく、過半の者が、現状を[危機的である]と理解した。
連合軍は、正面にいるムナール将軍の10万の兵を、敵に対して兵力が優越していることを利用し、両翼を広げて押し包むように包囲しようとしていた。
大軍であるという利点を最大限に生かし、ムナールが率いる共和国軍の主力を包囲殲滅(ほういせんめつ)し、あわよくば、ムナール将軍を捕らえるか、殺害するかしようという、そういう狙いのある作戦だった。
すべて、敵がこちらの兵力の半数程度しかいない、という前提に立った作戦だった。
だが、敵に新たな援軍があらわれたとすると、その、連合軍の作戦は瓦解する。
敵の規模が数千程度であれば無視できるが、数万となると、その共和国軍の新手に側面、あるいは後方から攻撃された連合軍左翼は、苦戦を余儀なくされる。
あるいは、壊滅させられる危険さえあった。
連合軍左翼には、ヴェストヘルゼン公国軍を中心とする4万がおり、それを、オストヴィーゼ公国軍を中心とする2万が支援している。
合計6万にもなる強力な軍団だったが、攻撃の主役である彼らは連合軍で最も敵中深くまで進出している部隊であって、ムナール将軍の共和国軍主力と激しく戦っている。
そこに、側面、後方から、数万の敵軍が攻撃を開始した。
ムナール将軍の主力部隊と敵の援軍とに連合軍の左翼が挟撃される形となり、局所的に、優勢であった兵力数が逆転された可能性があるのだ。
「陛下。
我がノルトハーフェン公国軍は、いつでも、動けます」
ざわつき始めた帝国軍中枢にいる人々の間を早足で通り抜けたエドゥアルドは、皇帝の前に出てひざまずくと、そう言って皇帝からの命令を待った。
状況が急変し、連合軍左翼に危機が迫っている。
ノルトハーフェン公国軍は、こんな時のために、[予備兵力]として攻撃に参加せず、待機させられていたのだ。
当然、エドゥアルドは、カール11世から「迎撃せよ」との命令が出ると思っていた。
共和国軍との決戦を続行するにしろ、一度態勢を立て直すにしろ、ノルトハーフェン公国軍を動かして連合軍左翼を支援するのは、当然のことだと思っていた。
「エドゥアルド公。
しばし、待て」
しかし、カール11世はそう言ってエドゥアルドを押しとどめると、侍従に耳打ちして、伝令に指示を出させる。
「敵の規模は、いかほどであるのか。
いまいちど、確認して参れ」
すると、伝令の士官は「ハッ! 」とうなずき、急いで自分の馬にまたがって、帝国軍の本営から駆け出して行った。
(なぜ、すぐに動かないのだ? )
エドゥアルドは皇帝の御前にひざまずいたまま、内心でいぶかしみ、憤っていた。
もし連合軍の左翼が崩れでもしたら、この決戦は、帝国軍の敗北となるだろう。
連合軍左翼には敵に対する包囲攻撃の主力として、帝国軍の約半数もの兵力が集中されており、それが敗れたとすると、残りの帝国軍だけでは戦況をひっくり返すことなどできないだろう。
だから、すぐに動く必要がある。
一応、エドゥアルドにも、カール11世が出した指示の理由は、推測できる。
敵の正確な数を皇帝があらためて確認しようとしているのは、おそらくは、それが[誤報]である可能性があるからだろう。
もし、敵に数万の援軍があったという報告が誤りであり、その誤りのために予備兵力を動かしてしまっては、帝国軍は決戦の本当に重要な局面で投入するべき切り札を失うことになる。
敵の援軍の報告が誤報で、その誤報に従って兵力を動かしてしまうと、帝国軍は本当に戦局を左右する状況が生まれた時に動かせる兵力がなく、共和国軍に対して決定的な打撃を与えられなくなる可能性があった。
しかし、エドゥアルドとしては、これは誤報ではないと感じていた。
会戦前夜の軍議の席で、アントン大将が述べていた懸念が、現実のものとなったのだと、そんな予感があるからだ。
おそらく、敵にあらわれた数万の援軍は、アルエット共和国の南部の国境を守備するために配置されていた軍団に違いなかった。
そこの守りを薄くしてしまえば、南の隣国であるフルゴル王国からの新たな侵略を誘発してしまう危険がある。
だから、連合軍は、ムナールが南部の軍団を動員することはしないだろうと、そう結論づけていた。
しかし、今日の決戦で敗北すれば、フルゴル王国からの侵略を防げたのだとしても、アルエット共和国は滅びることとなる。
民衆が闘争の末に打ち立てた共和制の国家は、この世界から消え去ることになる。
その重大な結末を考えれば、なりふりかまわず、あらゆる兵力を動員するのは、ムナールからすれば当然の選択だろうと、エドゥアルドにはそう思える。
少なくとも、エドゥアルドなら、そうする。
(それが、どうして、わからならないのか)
エドゥアルドは、危機感の薄いカール11世にも、ざわつくだけで具体的な進言をなにも行わない帝国軍の諸侯や将校たちにも、もどかしく、腹立たしい気持ちだった。
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