第90話:「優勢:2」
ヴェストヘルゼン公国軍は、帝国諸侯の軍の中でも、最強と言われている。
急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯がその領地の多くを占めてきたヴェストヘルゼン公国では、古くから外貨獲得の手段として[傭兵業]が盛んであり、ヴェストヘルゼン公国軍にはその[傭兵業]で実戦経験を積んだ兵士たちが多かった。
地形が険しく、農業生産力に乏しい地域では、しばしば、生きていくために傭兵となるという選択がとられることが多かった。
農業による自給自足ができないとなれば外部から物資を買うしかなく、その物資を買う金銭を得るための手段として手っ取り早く、どこかでは確実に需要があるのは、傭兵稼業だったのだ。
また、ヴェストヘルゼン公爵家は、帝国西方、帝国に匹敵する大国であるアルエット王国との国境を守る家としての自負から、武断的な雰囲気を持った家だった。
代々、ヴェストヘルゼン公爵は武勇を貴び、ほとんどの貴族はほどほどに学ぶだけの武芸を厳しく鍛錬し、また、その配下の軍にも、厳しい訓練をかして来た。
タウゼント帝国がその長い歴史の中で経験して来た戦争は数えきれなかったが、ヴェストヘルゼン公国軍がこれまであげてきた戦功も、数知れない。
戦いが、剣や槍、弓、そして重装備の騎兵たちによって戦われていた中世から、小銃と大砲が主役となった今まで。
ヴェストヘルゼン公国軍は、その武勇によって知られてきていた。
そして、その評判は、形だけのものではない。
エドゥアルドの見るところ、ヴェストヘルゼン公国軍は、間違いなく精強だった。
彼らは、更新する時、ほとんど隊列を乱さない。
この時代の歩兵は、イチイチ再装填が必要なマスケット銃で武装しており、そのマスケット銃の火力を最大限に発揮させるために隊列を整えての一斉射撃をよく用いる。
敵に向かって前進する際に隊列を乱さないということは、ヴェストヘルゼン公国軍は敵前で迅速に射撃態勢へと移行することができ、最小の時間で敵に対して一斉射撃を開始できるということだった。
もし隊列が乱れ、敵前でもたついていては、敵からの射撃によってより多くの将兵が失われることになるし、そうして人数が減ってしまえば、こちらからの攻撃も目減りしてしまう。
一斉射撃に参加できる銃口の数が、そのまま、歩兵部隊の火力となるからだ。
隊列をほとんど乱さないというのは、そういった戦闘力の発揮という点で有利なだけではなく、兵士たちの士気も高いということを示していた。
ほとんどの兵士たちは、本心では戦うのを怖いと思っている。
銃弾を受ければ即死となるかもしれず、助かったとしても手足などを失う危険は大きい。
そして、敵前に立てば、敵の反撃によってバタバタと兵士たちは倒れていく。
たとえ自分に弾丸が命中しなかったのだとしても、その左右に、肩を密着させるほどの密集隊形でいた仲間の兵士たちが、昨日まで同じ焚火を囲んで食事をし、会話を楽しんでいた戦友たちが、バタバタと敵弾によって倒されていったら。
誰だって、死の恐怖を強く意識するし、無意識の内に進む足が遅くなることもある。
だが、ヴェストヘルゼン公国軍の兵士たちは、そういった様子がほとんどなかった。
それは、最前線ではないものの、声が届く位置にまでヴェストヘルゼン公爵自身が前に出てきているということもあるだろうが、彼らの内で多くを占める傭兵経験者の実戦経験と、普段からの厳しい訓練の成果なのだろう。
また、ヴェストヘルゼン公国軍は、通常の戦列歩兵が用いる一斉射撃よりも、高度な射撃方法を用いていた。
それは、輪番射撃、あるいは、小隊射撃と呼ばれる射撃方法だった。
戦列歩兵は、一般的に前列、中列、後列の、3列横隊をとって戦う。
射撃を行う際は、その前列が一斉射撃を行うか、前列を膝立ちさせ、前列と中列で一斉射撃を行う場合が多い。
これは、一斉射撃によって歩兵部隊の射撃の威力を最大化できるのと同時に、部隊長の号令に従って発砲と再装填の動作をくりかえせばよいという、動きの単純明快さがあって、時に混乱しがちな戦場でも有効な火力を発揮し続けることがやりやすいため、よく用いられているものだった。
これに対して、輪番射撃は複雑だ。
歩兵部隊を構成する各小隊をA、B、Cの3つのグループに分け、そのグループごとに連続して射撃を行うのだ。
こういった射撃法をとるのは、発砲に、マスケット銃の再装填による隙を生じなくさせるためだった。
Aのグループが発砲するとBのグループが銃をかまえ、Bのグループが射撃している間にAのグループは再装填し、Bのグループに続いてCのグループが発砲する際には、Aのグループは射撃準備を整えている。
こうやって時間差をもうけて発砲することで、あるグループが装填していても別のグループが発砲しているという状態にし、射撃を途切れさせることなく敵に浴びせ続けるのだ。
この射撃法は、心理的な効果も大きい。
なにしろ、撃たれる側からすれば、こちらが装填している間も、敵が次々と銃弾を浴びせてくるのだ。
一方的に攻撃されている時は、人間は誰でも恐ろしいと感じるものだ。
早く装填して反撃しなければと撃たれている側は焦るし、そうやって慌てさせれば、装填動作をミスし、余計な時間がかかったり、装填不良で不発を起こしたりすることにもつながってくる。
戦場で戦う兵士たちは、決して、機械的な動作をくり返すだけの存在ではない。
誰もがみな感情を持っているし、その感情に訴えかけるのも、戦争に勝利するためには必要なことだった。
だが、輪番射撃は、高い練度を持った兵士たちでなければ実行できないことだった。
各グループで発砲のタイミングが合うように装填と射撃の動作をくり返すことは、訓練で行うのだって十分に難しく、練習が必要なことだったし、敵から弾丸が飛んでくることを気にして手元が狂うかもしれないのは、こちらも同じなのだ。
しかし、ヴェストヘルゼン公国軍は、輪番射撃を整然と継続しているようだった。
その射撃は途切れることなく実施され、しかも、一部の精鋭だけが行っているわけではなく、前線に立っているヴェストヘルゼン公国軍のすべてがそれを実施している。
この射撃に対して、共和国軍は押されていた。
彼らの士気も高く、砲撃と、ヴェストヘルゼン公国軍の兵士たちの猛烈な射撃によってバタバタと共和国軍の兵士が倒されていくが、後列から戦友が倒れた穴を埋めるように共和国軍の兵士たちが次々とあらわれては、反撃の射撃を加えてくる。
ヴェストヘルゼン公爵、ベネディクトは、共和国軍は[徴兵制によってできた弱兵の集団である]と、軍議の席で言った。
そしてそれは、事実であるようだった。
兵たちの練度は明らかにヴェストヘルゼン公国軍の方が高く、歩兵同士の射撃戦では、共和国軍を圧倒しつつある。
しかし、共和国軍の兵士たちは、退かない。
その練度は低くとも、その士気だけは、ヴェストヘルゼン公国軍に匹敵するか、それ以上であるようだった。
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