第91話:「優勢:3」

 戦闘開始から、1時間が経過しようとしていた。

 懐中時計を確認したエドゥアルドは、望遠鏡を使わず、自身の肉眼で戦場を見渡してみる。


 相変わらず、連合軍が押しているようだった。

 硝煙で覆われた中に見え隠れする隊旗が、連合軍のものは前に、共和国軍のものはやや後ろに、じりじりと下がっている。


 しかし、その前進の速度は、緩くなっているように思えた。

 共和国軍が損害を出しながらも、必死に防戦を続けているためだ。


 だが、最後には連合軍が勝利する。

 今のところは、そう思うことができた。


 結局は、数なのだ。

 たとえば、敵も味方もその兵器や兵士の質でまったくの互角であり、1人倒せば1人被害が出るという状況なら、数の多い方が勝利するだろう。

 そして、そのような仮想の状態だけではなく、実際の戦場でも、数が多い方が勝利することが多い。


 敵側が5000人で、味方側が10000人で、仮に、その全軍が攻撃に参加できるのだとして、銃弾が命中する期待値を10パーセントであるとすれば。

 最初の斉射で、敵側には1000人の被害が、味方側には500人の被害が生じる。

 そして、次の斉射では、敵側には950人の損害が、味方側には400人の被害が生じる。


 このシミュレーションを、どちらかが全滅するまで続けるとすると、5000人の敵側が全滅に至ったとしても、10000人いた味方側は、なお、8000以上の兵力が残存している計算になる。

 その損害比率は、1対2以上。

 損害比率は、敵側は100パーセントなのに対し、味方側は20パーセント以下で済み、この数値だけを見ると5倍の開きがあることになる。


 単純で、無意味かもしれない計算だ。

 しかし、往々にして、実戦においては数が多く、その兵力をなるべく生かすことのできた側が勝利するというのは、事実だ。

 歴史上、数の差がひっくり返ったことなど何度もあったが、そういった例が人々の間で良く知られているのは、それが[希少]なことだからなのだ。


 地形や障害物のせいですべてを見通せるわけではないが、エドゥアルドから見ると、共和国軍は連合軍よりも数で劣っていた。

 その上、いくら士気が高くとも、兵士たちの技量が異なり、前線での損害比率も連合軍の側が有利なのだから、その点だけを考えれば、勝利がどちらのものとなるかは明らかなように思えた。


 このまま、都合よく勝利を手にすることができれば。

 自分に出番のないことは惜しかったが、エドゥアルドは本心から、そう願った。


「エドゥアルド公爵殿!

 皇帝陛下が、戦況はいかがであるかと、おたずねであらせられます! 」


 連合軍が戦いを優勢に進める光景を眺めながら、エドゥアルドが険しい表情を浮かべていると、風車小屋の下の方から、皇帝・カール11世の侍従の呼び声がかかった。


 エドゥアルドが下の方を確認すると、日よけの簡易テントの下に用意された皇帝のイスに腰かけたカール11世が、エドゥアルドのことを見上げている。


「我が軍の、優勢であるようです! 」


 エドゥアルドは少し迷ったが、今、目に見えている状況をそのまま、率直に告げることにした。


 敵将、ムナールがなにを考えているのか。

 そのことが不気味で、不安ではあったが、その懸念(けねん)をうったえるためには、エドゥアルドはなんら[根拠]を持っていない。


「我が方の左翼、ヴェストヘルゼン公国軍は、敵右翼を包囲しつつあり、前線を押しているようです!

 また、我が方の右翼のバ・メール王国軍、中央のズィンゲンガルテン公国軍も、共和国軍を攻撃し、前進中であるように見えます! 」


 エドゥアルドは皇帝の耳にも届くよう、声を張り上げてそう報告をした。

 相手が高齢だから、場合によっては聞こえにくいのではないかと、そう思ったのだ。


 すると皇帝は、侍従を自身の近くに呼びよせ、ぼそぼそとなにごとかを伝えた様子だった。


「報告、大儀!


 我が軍優勢とのこと、まことに重畳(ちょうじょう)である!


 皇帝陛下は、そのようにおっしゃっておられます! 」


 皇帝ほどの存在だから、エドゥアルドのように、自分で声を張り上げたりはしない、ということなのだろう。

 エドゥアルドは(皇帝って面倒そうだな)と内心で思いつつも、もう用事は済んだとばかりに、戦況を観察するのを再開しようとする。


「エドゥアルド公爵殿!


 戦況が優勢であることだし、貴殿も、そろそろ下に降りて、休息されてはどうかと、皇帝陛下はおっしゃっております! 」


 しかし、侍従はさらにエドゥアルドに向かってそう言い、最後に少しつけ加える。


「あと、そのように大きな声を出さずとも、まだ耳はちゃんと聞こえる、と、皇帝陛下はおっしゃっております! 」


 その侍従を通じての皇帝からの言葉、実質的な命令に、エドゥアルドは肩をすくめる。

 まだ戦況が気になって、このまま風車の上で見ていたかったが、皇帝の言葉は実質的な命令でもある。

 臣下としては、従わないわけにはいかなかった。


 エドゥアルドは望遠鏡を懐(ふところ)にしまうと、風車小屋の屋内へと引っこみ、そこからハシゴを使ってするすると下まで降りて行った。

 ハシゴを降り切ったエドゥアルドはそこで軽く身だしなみを整え、皇帝に失礼のないようにする。


 わざわざ、皇帝がエドゥアルドを呼びよせたのだ。

 なにか話があるだろうと、そう思われた。


※作者余談

 本文中のシミュレーションですが、実戦だと、普通は全滅する前に「これはマズい」となって退却、となるはずなので、あくまで数の差の影響が大きいことを示すための単純な計算であります。

 しかし、ランチェスターの二次法則などでも説明されている通り、(特に小銃などが主力武器となった)近代戦においては、数の差というのは大きく響いて来ます。


 完全な余談ですが、「どっちかが壊滅するまで戦う」方式の、K〇EI様製作の某有名ゲームシリーズを熊吉が遊ばなくなった理由でもあります(ちょっとゲーム的過ぎますし、売り方も好きではないです)。

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