第89話:「優勢:1」

 戦況は、連合軍にとって優勢に進んでいた。

 しかし、その様子を眺めながら、エドゥアルドは、奇妙だな、とも感じていた。


 連合軍は、その総力を用いて猛攻撃を加えている。

 エドゥアルドのノルトハーフェン公国軍を始め、戦局が急変した時に備え、戦闘に投入されずに温存されている部隊も多かったが、連合軍全体でみればその過半の兵力がすでに攻撃に参加しており、砲撃も盛んに行われている。


 それに対し、共和国軍も応戦し続けているが、なぜか、共和国軍の側は、大砲を使った反撃を行ってきていなかった。


 敵将、アレクサンデル・ムナールは、大砲を巧妙に使うことで有名な将軍だった。

 そのため、共和国軍は規格化された数種類の大砲を数多くそろえ、戦場に投入することが常であった。


 しかし、今のところ、共和国軍の陣営から、連合軍側に向かって発射されている大砲は、あまり見当たらない。

 いくらかは前線に配備されて、猛攻を加えている連合軍の歩兵部隊に対して反撃している姿は見られるものの、ムナールが得意とする、数多くの大砲を集中して圧倒的火力を浴びせる、[大放列]の姿は見受けられなかった。


 もしかすると、ムナール将軍は、自身の手元にある砲兵を温存して、後方に隠しているのかもしれない。


 ラパン・トルチェ平原は平坦な地形ではあったが、緩やかな丘陵が連なっており、また、土地の区画を区切ったり、農夫たちや旅行者に日陰を提供したりするために多くの並木が点在している。

 そのために、風車小屋のような高所にのぼっても、そのすみからすみまでを見渡すことは難しい。


 その、エドゥアルドからは見えない位置に、ムナール将軍は砲兵を隠しているのではないかと、そう思える。

 しかしエドゥアルドには、その目的が読めなかった。


 大砲というのは、金属の塊だ。

 多くの場合、大砲を乗せる土台を兼ねた車輪つきの砲架にのせられてはいるものの、その重量は大きく、簡単には動かせない重量物だ。

 だから普通は運搬に馬を使ったり、数多くの人間を集めたりして、やっと移動させることができるものなのだ。


 だから、流動的に状況が変化する戦場において、大砲はその都度、状況に応じた位置に移動させて射撃するということが、難しい。

 その重量もあるために移動速度が遅く、また、運搬態勢から射撃態勢に切り替えるのにも時間のかかる大砲は、必ずしも流動的な戦況に対応させられるかはわからない。


 このために、エドゥアルドはせっかくここまで苦労して運んできた野戦重砲と野戦砲を、ヴェストヘルゼン公国軍に派遣してしまったのだ。

 予備兵力であるノルトハーフェン公国軍は状況に応じて戦場を移動し、戦うことになるはずで、その際に特に重量のある150ミリと100ミリの野戦砲は、ついてくることができないからだ。


 それならば、会戦が開始される前にあらかじめ射撃に適した位置に配置させ、状況が変化するまではその位置から、その大火力を発揮させた方が有効であると、エドゥアルドはそう考えた。

 手元に、比較的機敏に移動させることのできる75ミリ野戦砲だけは残したが、ノルトハーフェン公国軍の支援火力の大半をエドゥアルドが自ら切り離してしまったのは、こういう理由があるのだ。


 その、[大砲は重い]という常識から考えれば、ムナールが砲兵を前線にあまり配置していないのは、おかしなことだった。

 戦況に応じて有効な射撃位置に自由に展開しようとしても、簡単にはできない。

 つまり、ムナール将軍は実質的に、その指揮下にある砲兵のほとんどを[遊ばせて]いることになってしまうのだ。


 そもそも、この時代の野戦砲というのは、その大半が後方ではなく[前]に出して射撃を行うものだった。


 通信技術が未発達だから、前線に配置した観測員の情報を元に、目視できない敵を間接射撃するということもできないし、そもそも、砲架に仰角をつけるような機構を装備する技術がなく、大砲の射程の長さは発砲時の装薬の量によって調整するのがせいぜいなのだ。

 だから、ほとんどの大砲は直接照準で、砲手から目視できる位置にいる敵しか撃つことはできない。

 丘の上など、見晴らしがよく、戦っている歩兵たちの頭上を飛び越えて射撃できる位置に、戦闘開始前から配置されているのでなければ、砲兵はその火力を十分に発揮できないのが普通だった。


 ヴェストヘルゼン公国軍が使用している山砲のように、榴弾を山なりの弾道で発射する榴弾砲も、そもそも砲身を斜めに取りつけて仰角をつけているだけで、その仰角も固定だし、発砲の衝撃で砲弾が破壊されてしまうことを防ぐために装薬量を抑えて発射しなければならないから、射程は長くはない。

 結局、野戦砲とあまり変わらず、最初から砲撃しやすい位置に陣取るか、前に出て撃つしかないのだ。


 ムナールがその指揮下の砲兵を温存しているのだとしても、こういった事情から、せっかく温存した砲兵を戦場に投入することは、難しいはずだった。


 それなのに、ムナールは、前線にあまり大砲を配置していない。

 この戦場に先に布陣したのはムナールの共和国軍で、先に、砲撃に優位な位置に数多くの大砲を配置しておくことができたはずなのに、それをしていない。


 その、常識破りの用兵が、エドゥアルドには不気味でならなかった。


 単純に、共和国軍が多数の砲兵を用意できなかったというだけなのかもしれない。

 しかし、事前にムナールについての噂をあれこれ聞かされているだけに、どうしても、「なにか、裏があるのでは」と思えてしまうのだ。


 敵の意図は、わからない。

 わからないが、前線に敵の砲兵の姿があまりないことは、連合軍にとっては有利に働いていた。


 硝煙によって見えにくくはなっているが、各歩兵中隊がかかげている隊旗の位置によって、前線の大まかな位置は判別できる。

 軍隊で使用されている軍旗には、それが部隊の伝統や誇りの象徴となるのと同時に、後方で戦況を観察し指揮をとる司令官に、今、どこに前線が形成されているのかをわかりやすくする、そういう実用的な用途もあるのだ。


 共和国軍から強力な砲撃を受けずに戦っている連合軍は、その前線を、押し上げつつあるようだった。

 ヴェストヘルゼン公国軍は共和国軍の右翼を包囲することに成功しつつあるようで、敵を包囲するようにヴェストヘルゼン公国軍の歩兵部隊の隊旗が展開し、その位置が、じりじりと敵陣に向かって接近している。


 このまま、勝ててしまうのではないか。

 今のところ、戦況はエドゥアルドにそんな感慨を抱かせるほど、連合軍にとって優勢だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る