第88話:「号砲」

 ラパン・トルチェ平原に進出したタウゼント帝国軍、そしてバ・メール王国軍、計20万を超える軍勢は、まだ暗い内から小麦畑をかき分けて進み、夜が明ける前には、前日に皇帝から言い渡された配置につき終えていた。


 全軍の統率をとる皇帝の指揮所は、ラパン・トルチェ平原に点在する村の1つを占拠して設営され、粉ひきのための風車小屋を観測所として活用して作られていた。

 そして、その風車の上にのぼって夜が明けるのを待っていたエドゥアルドの視界に、太陽が地平線から顔を出すのと同時に、帝国軍、そして、共和国軍の姿が映し出される。


 朝日に照らし出されて、兵士たちの軍装がキラキラと輝いている。

 整然と隊列を組んだ大軍は、隣の兵士と肩を突き合わせるようにしながら、麦畑の麦のようにぎっしり並んでいる。

無数の軍旗が風を受けてなびき、その勇壮な様子はまるで、巨大な絵画のように思えた。


 しかし、それは熟練の絵師が丹精込めて書き上げた大作の絵画ではなかった。

 生きた人間が、本物の兵器を用い、実弾を用いて戦う、現実の戦場だった。


 兵士たちはその表情をこわばらせていたが、それは、朝の冷たい空気によるものではなさそうだ。


 連合軍は、共和国軍に対して倍する数を持つ。

 自軍は、圧倒的に優位に立っている。


 連合軍の兵士たちはその[事実]を信じ、勝利は確実だと言い合ってはいたが、それでもやはり、どんな戦いでも必ず犠牲は生まれてしまう。

 そして、敵弾が誰に命中するかは、誰にもわからない。

 勝利を信じていても、実戦を前にしては、誰もが緊張せずにはいられないはずだった。


 自分に、弾が当たりませんように。

 エドゥアルドが望遠鏡を使って見ていると、戦いを前にして、兵士たちがそれぞれの信仰する神に対して、そう祈りを捧げているのだと思われる姿を見ることができた。


 敵も、味方も、変わらない。

 エドゥアルドは敵軍の姿も望遠鏡で確認してみたが、やはり、帝国軍の将兵と同じように、様々な祈りを捧げているようだった。


(結局、立場や陣営が違うだけで、同じ、人間どうしか)


 自分に満足のいく活躍の場が与えられなかったことだけではなく、[懲罰を加える]とい理由で起こされたこの戦争に意義を見出せていないエドゥアルドは、改めて、どこか虚しいような感覚を覚えていた。


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 決戦の号砲を撃ち鳴らしたのは、連合軍の方だった。

 連合軍の左翼に展開したヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトは、夜が明けて十分に視界が確保され、敵の姿をはっきりと確認すると、ただちに共和国軍右翼に対する砲撃を開始させた。


 ノルトハーフェン公国軍から砲兵の増強を受けた帝国軍左翼からの砲撃は、苛烈(かれつ)なものだった。

 重厚な砲声が、ラパン・トルチェ平原の地平の彼方まで重なり合いながら轟き、帝国軍左翼に敷かれた放列から、濃密な硝煙が生み出されていく。

 そして共和国軍の陣営には、着弾していることを示す土埃(つちぼこり)が、次々と立ち上った。


 砲撃を加えているのは、ノルトハーフェン公国軍から増強された150ミリ野戦重砲12門、100ミリ野戦砲12門に加え、各諸侯が持ちよった、旧式の青銅製の大砲が十数門。

 加えて、山砲と呼ばれる、小型・軽量に作られた大砲30門の、合計60門以上にもなる火砲たちだった。


 山砲というのは、その名の通り、地形の険しい山岳地帯でも運用できるように作られた大砲だった。

 通常の野戦砲よりも口径や砲身長を抑え、その威力や射程で妥協する代わりに、小型かつ軽量で、しかも分解して運搬できるように作られており、場合によっては人力だけで運搬して運用することのできる、機動力を高くした兵器だった。


 その山砲が30門もあるのは、ヴェストヘルゼン公国軍が保有する火砲はすべて山砲で統一されていたからだ。

 その主な領地が急峻な山岳地帯であるヴェストヘルゼン公国軍では、山岳地域での運用が困難な通常の野砲ではなく、その地形に特化した山砲を重視している。


 連合軍左翼に集められた火砲からの砲撃の効果は、強烈だった。

 発射された砲弾は、次々と共和国軍の陣営へと突き刺さり、共和国軍の兵士たちはバタバタと倒されていった。


 使われている砲弾は、古くから使われている一塊の金属の塊である砲丸と、内部に装備された時限式の信管(この時代は、主に導火線の長さで時間を調整している)で炸裂して爆風と破片で攻撃する、榴弾(りゅうだん)と呼ばれるものだ。

 野戦砲からは砲丸が、山砲からは榴弾が次々と発射され、砲丸は初速が速いためにまっすぐな弾道を描き、榴弾は発砲時の衝撃で砲弾が破壊されるのを防ぐために緩やかな速度で、山なりの弾道を描きながら、敵陣を襲う。


 砲撃の支援を受けながら、ヴェストヘルゼン公国軍は共和国軍の右翼を包囲するべく、前進を開始した。

 ヴェストヘルゼン公国軍を中心に、戦列歩兵たちが銃剣を装着したマスケット銃を手に、笛やドラムによって演奏される勇壮な音楽(作者注:Hohenfriedberger March)に合わせて進んでいく。


 その兵士たちの中には、攻撃の指揮をとるベネディクトの姿もあった。

 さすがに最前列ではなかったものの、馬に乗ったベネディクトは、警護の兵士に守られつつ前進し、盛んに声をあげて、兵士たちを鼓舞しているようだった。


共和国軍を包囲しようとする帝国軍左翼の側面は、皇帝親衛軍と諸侯の騎兵隊が援護している。

 皇帝親衛軍の騎兵はさすがに装備の良い重騎兵で、敵中に突っ込んで白兵戦を戦うためにサーベルと胸甲を装備していたが、他の諸侯の騎兵は軽装で、ほとんどがサーベルだけの装備しか持たない騎兵たちだった。


 装備が不揃いで雑多な印象はあるものの、それでも相応の数が投入された騎兵集団は、歩兵部隊の側面を脅かそうとする敵の騎兵を警戒し、また、チャンスがあれば敵の背後に回り込むべく、油断なく進んでいく。


 砲撃を受けていた共和国軍は、さっそく、後退を開始していた。

 もちろん、それは敗走といった類のものではなく、帝国軍からの砲撃から身を守るために、射線がより通りにくい場所や、畑の境界線を区切る石垣などの障害物の裏に隠れるための陣地転換であって、戦場から逃げ出そうとしているわけではない。


 敵の後退につけこむように、ヴェストヘルゼン公国軍は共和国軍右翼を包囲するべく、どんどん、進んでいく。

 やがてマスケット銃の射程にまで接近すると、ヴェストヘルゼン公国軍の兵士たちは号令に従って射撃を開始し、歩兵同士の戦いも始まった。


 共和国軍は、石垣などに隠れながら、帝国軍に対して反撃してくる。

 両軍の姿は黒色火薬が生み出す濃密な硝煙によって、すぐに見えづらくなっていった。


 エドゥアルドが視線を連合軍の右翼の方面へと向けると、バ・メール王国軍もすでに、共和国軍の左翼に対する攻撃を開始している様子だった。

 戦場には絶え間なく発砲音が轟(とどろ)いており、それがどこの戦闘の音なのかわからず、戦場を覆いつくすように広がる濃密な硝煙は、遠目からではどちらの軍がより戦果をあげているのかを不明瞭にしていた。


 しかし、今のところ、連合軍の優勢であることは、間違いないようだった。

 最初の配置から前に進んで攻撃をかけているのは連合軍の方であり、共和国軍はただ陣地転換しているだけとはいっても、後退しているような印象だ。


(このまま勝てるのなら、それで、いいのだが)


エドゥアルドは、連合軍が優勢である様子を見ても消えることのない不安をいだきながら、食い入るように望遠鏡で戦場を見つめ続ける。

 目が、離せなかった。

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