第82話:「前夜:3」

 軍議の場は、長い沈黙に包まれた。

 アントンが示した、誰もが想像もしていなかった1つの可能性に、その場にいた諸侯は呆気に取られて、なにも言えない様子だった。


 しかし、次の瞬間、軍議の席は、諸侯の笑い声によって包まれていた。


「アントン将軍。

 貴殿が、石橋も叩いて渡るほどの慎重さを持って、万全の作戦を立てて軍を動かすことは知っておったが、それは!


 さすがに、あまりにも、荒唐無稽であろう! 」


 そう言って自身の膝を叩きながら笑っているのは、フランツだ。


「いや、まったく、まったく!


 そんなことをしては、フルゴル王国との国境の守りが、なくなってしまうではないか!


 ましてや、1度敗れて逃げ散った軍が再集結して、戦線に加わるなど、これまで聞いたこともない!

 そのようなこと、心配するに及ばぬぞ! 」


 フランツの隣で、普段はフランツとは犬猿の仲であるベネディクトも、まなじりに涙を浮かべながら笑い転げている。


 笑っている他の諸侯もみな、アントン将軍の「考え過ぎ」だと思っている様子だった。


 エドゥアルドは、他の諸侯と一緒になって笑うこともなく、険しい顔で、アントンの横顔を見上げていた。

 ムナールがもし評判通りの人間であれば、そのくらいのことをしてもおかしくはないと、そう思えたからだ。


 確かに、南方の国境を守っていた軍を呼び寄せては、アルエット共和国は南方のフルゴル王国に対し、まったくの無防備となってしまうだろう。

 1度敗れて敗走した北方の共和国軍が再集結を果たし、戦線に復帰するなどということも、常識的にはあり得ない。


 だが、もしもこれから戦われる決戦で、敗北してしまえば、アルエット共和国は滅亡することとなるのだ。

 そんな状況に置かれたムナールが、もし、あくまで勝利を追求するのなら、どんな手を使ってでも兵力をかき集めようとするだろう。


 本当に、ムナールがそのようなことを行っているかどうかは、わからない。

 しかし、その可能性を一顧もせず、はなから「ありえない」と決めつけている現状は、あまりにも危険なものだとエドゥアルドには思えた。


 諸侯からの嘲笑(ちょうしょう)の中で、アントンは少しも怒ったり、恥じ入ったりしている様子はなかった。


 ただ、言うべきことを言う。

 それが自分の役割であり、断固として実行するべきことであると、そう信じて行動している者の顔だった。


(なかなか、大した人だ)


 エドゥアルドは内心で、そう感心させられていた。


 臣下には、時に、どのような扱いを受けようと諫言(かんげん)するべき時がある。

 アントンは今まさに、皇帝・カール11世に仕える臣として、帝国軍大将という重責を担う者として、その義務を果たしているのだ。


「アントン大将。

 もう、そこまででよかろう」


 やがてカール11世がそう言うと、諸侯はぴたり、と笑うことをやめた。

 皇帝の発言を、一言一句、聞き漏らすまいと、すべての諸侯、将校が注目している。


 その場にいた人々のすべてから注視される中、カール11世は、あまり感情のこもっていない表情でまず、アントンに顔を向けて口を開いた。


「アントン大将、貴殿の意見は、よう、わかった。


 しかし、貴殿の危惧するところは、諸侯の一致するところ、あり得ない、荒唐無稽なものであるようじゃ。


 今は、決戦の前夜であり、度が過ぎる慎重論を唱えては、諸侯の勢いをそぐことにもつながろう。


 貴殿がその職責をまっとうしようとする姿勢は、朕も深く信頼しておる。

 しかし、今は、ひかえよ」


 その言葉は、アントンの忠誠心と責任感を認めつつも、その主張をすべて否定するものだった。


「……ははっ。


 皇帝陛下の、御意のままに」


 しかしアントンは、厳かにそう言い、カール11世に向かって深々と頭を下げただけで、それ以上口答えをしたり、異論を唱えたりしようとはしなかった。


 もはや、なにを言っても無駄だった。

 カール11世の口から直接、自身の意見が不採用であると告げられた以上、アントンの有している帝国軍大将という肩書も、もはや意味をなさない。

 アントンはその事実を、静かに受け入れたようだった。


「他に、意見のある者は、おるか? 」


 アントンが皇帝の言葉に従って引き下がったのを見て取ると、カール11世はその視線を、その場に居並んだ諸侯たちへと向けた。


(このままでは、マズいのではないか? )


 エドゥアルドはそう思い、若輩であろうとアントンに加勢しようとイスから立ち上がりかけたが、その肩を、背後にひかえていたヴィルヘルムがぐっと抑え込んだ。


 振り向かなくとも、その意図はわかる。

 今は、なにも言わない方がいい。

 言えば、ただエドゥアルドに対する諸侯からの心象が悪くなるばかりで、この軍議の結果になんの変化も与えられず、不利益を被るだけだと、そう言っている。


 エドゥアルドは、この場はこらえることにした。


 敵情が明らかとなったところで、連合軍が共和国軍と決戦に及ばなければならないという状況は、同じなのだ。

 それならば、エドゥアルドがやるべきことは、決まっている。


全体の、あらがいがたい大きな動きの中で、いかにしてエドゥアルドとノルトハーフェン公国の存在をアピールするのか。

 ノルトハーフェン公国軍、1万5千の力で、どうやって帝国を勝利に導くか。

 今はとにかく、それを考えるべきだと、エドゥアルドはそう自分に言い聞かせた。


「ならば、この場で長く軍議を続けることも、なかろう。


 我が連合軍は、明日、共和国を名乗る反徒どもと、決戦に及ぶ。


 これより、各々の部署を伝えよう」


 誰も口を開かないことを確認したカール11世は、厳かにそう言って、明日、決戦に及ぶことを決定した。

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