第81話:「前夜:3」

 アレクサンデル・ムナール将軍によって率いられている共和国軍の数は、10万。

 それは、この場にいた誰もが、そうだと信じていることだった。


 単純な計算だ。

 アルエット共和国には20万の陸軍がおり、北方、東方、南方にそれぞれ5万、そして首都オルタンシアの防衛に5万と、分散配置されていた。


 その内、北方の5万は国境を越えてきたバ・メール王国軍を奇襲攻撃して逆に敗退し、南方の5万は、その先にあるフルゴル王国と対峙しているから、動けない。

 東方の5万は帝国軍の侵攻に対して戦わずに退いたから、首都に残っていた5万と合流して、合計で10万。


 事前に得ていた情報から推測されたその数値は、アンペール2世自身が、帝国軍の到着を待っている間に実施した偵察によっても、保証されている。


 だが、アントンはその数字に対し、疑問を投げかけていた。


「アントン将軍。

 敵情の偵察はすでに我が軍の騎兵によって実施され、ムナールの手元にある軍勢は10万であるという、確かな報告を受けておる。


 貴公の名は自分も知ってはいるが、私は、自分の部下の報告を信じておるのだ。


 貴公が、敵の数が10万であることを疑う根拠を、まずは聞かせていただこう」


 アントンが投げかけた疑問に、アンペール2世は不満を隠さなかった。

 待ちに待った共和国軍への復讐(ふくしゅう)に待ったをかけられているだけではなく、自軍の情報収集能力を疑われているからだった。


「私(わたくし)が、敵軍の数を疑っておりますのには、2つの理由がございます。


 まず、敵軍がこれまで首都の市街地に駐屯しており、いくら精緻(せいち)な偵察を行ったのだとしても、確実な情報は得られないからです。


 敵の首都、オルタンシアは、内乱によって衰えたとはいえ、人口数十万を誇る、このヘルデン大陸でも有数の大都市でございます。

 木を隠すなら森の中、と申します通り、その数十万の民衆の中に兵士たちをまぎれさせておれば、その正確な数を把握することは難しいでしょう。


 私(わたくし)は、バ・メール王国軍の偵察能力を疑っているわけではございません。

 たとえ我が帝国軍であろうと、他のどんな国家の軍隊であろうと、オルタンシアに集結していた共和国軍の数を明らかにすることは、できないでしょうと申し上げておるのです。


 そうである以上、敵軍が10万であるというのは、事前に我々がつかんでいた情報に基づく推測、希望的観測であると、そう考えられます」

「フム……。

 なるほど、貴公の言うことには、一考の余地はあるようだ。


 しかし、貴公は理由が2つあると、そう申しておったな?

 ぜひ、もう1つの方もうかがっておこう。


 まさか、ムナール将軍には、無限に兵力が湧き出る[魔法の壺]でもあると、そう申されるのか? 」


 表面的にはアントンの言葉を認めつつ、アンペール2世は皮肉も口にする。

 その皮肉に、アンペール2世とは関係の深いズィンゲンガルテン公爵・フランツを始め、幾人かの諸侯が、クスクスと忍ばせた笑い声をあげる。


「敵将、ムナールの性格でございます」


 しかしアントンは少しも気分を害したような様子もなく、大真面目な様子で言葉を続けた。


「ご存じでいらっしゃる諸侯の方々もおられると思いますが、敵将、ムナールは、読めない男でございます。


 かの者は、兵力で劣り、武装で劣り、訓練で劣る、劣弱な革命軍を率いて、精強であったはずのアルエット王国軍を打ち破り、今日の状況を築き上げました。

 今、我々は敵軍が10万であると、そう[推測]をしておりますが、それはあくまで、[常識]の延長線上にあることでございます。


 ムナールは、奇策を用います。

 臆病のそしりを受けようとも、慎重に決を下すべきです。


 敵がオルタンシアの市街地を出たこの機会を生かし、いま一度、詳細な敵情偵察を実施してから、総攻撃をしかけるべきであると、私(わたくし)は考えております。

 1日や2日であれば、補給の苦しい現状でも待つことができるでしょうし、ここまで行軍し、疲労している将兵を休ませるのにも、ちょうど良いかと存じます」

「アントン将軍。

 なるほど、貴殿の申すことは、合理的かもしれぬ。


 しかし、杞憂(きゆう)なのでは?


 ムナールめな奇策を用いるのだとしても、やはり、どこからともなく無限に兵力を生み出すことなど、できはすまい。


 それともアントン将軍は、[魔法の壺]以外に、ムナールめが兵力を用立てる方法があると、そうお考えか? 」


 しかし、アントンの説明を聞いてもなお、アンペール2世は納得していない様子だった。

 敵情を正確に把握することが困難であったことを指摘されてもやはり、自分の部下からあがってきた報告の方を信用しているのだろう。


「そのようなものなどなくとも、ムナールには兵がおります。


 南方の国境線に張りつけておりました、5万の軍がおります。


 それだけでは、ございません。

 先にアンペール2世陛下が、自ら打ち破った北方の兵力、5万の行方は、目下のところつかめておりません。


 バ・メール王国軍の攻撃によって大きな損害を出しておりましょうが、それでも、戦える者が再集結を果たせば、2、3万にもなりましょう。


 もし、それらの兵力がこの決戦の場に集められておれば、ムナール将軍の下には、我が連合軍に匹敵する軍があることになります」


 アントンは、不満そうな様子を隠さないアンペール2世に向かって、本心からそう主張しているようだった。


 そのアントンの言葉に、アンペール2世も、他の諸侯も、呆気にとられたような顔になる。

 ムナールが共和国軍全軍を、他の戦線の守りを捨ててまでこの場に集結させているという可能性を、誰も、想像もしたことがなかったようだった。

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