第70話:「補給問題:1」
アルエット共和国の奥深くへと侵攻し、国境から数百キロメートルも進んだ帝国軍だったが、その快進撃は、補給不足のために停滞した。
現地で帝国軍が期待していたような物資の調達ができなかったことに加え、補給線も細く貧弱で輸送力が不足し、軍を機能させるために必要な根本的なものである、食料や飼葉などが不足したからだ。
これには、帝国軍の旧態依然とした制度の問題も関わっていた。
タウゼント帝国は、皇帝を頂点とした国家であったが、中央集権的な要素は小さく、実質的にはほぼ独立した諸侯による連合国家という性質が強かった。
このために、帝国軍とひとくくりにしても、その直接の兵権は各諸侯に委ねられている。
皇帝を頂点とした指揮系統は存在するものの、皇帝が各諸侯から兵力を取り上げて勝手に部隊を編成したり、諸侯を介さずにその兵士たちに直接命令を下したりすることは、できない仕組みになっている。
その、諸侯の独立性は、補給の分野においても同様だった。
皇帝がその責任において補給を実施し、物資を諸侯の軍勢に配分するという機能もあったが、その規模はあまり大きくはなく、補給についても諸侯がそれぞれの手配で独自に実施している部分が大きかった。
物資の不足から帝国の侵攻はソヴァジヌを占領したところで停止し、そして、各諸侯はこぞって、それぞれの領地から補給物資を輸送しようとした。
たった1本しかない、補給線。
すでに渋滞を起こしていたその補給線は、諸侯が一斉に補給の馬車を呼びよせたことから、完全にパンクしてしまった。
馬車は一度に多くの物資を運ぶことができるが、その重量のせいで通過することのできない場所も多い。
きちんと舗装された街道であれば一定の速度で走り続けることもできるが、少し街道を外れ、道ですらないようなところを走ろうとすれば、たちどころに立ち往生することになるし、故障の原因にもなった。
帝国軍の補給線は、混乱の坩堝(るつぼ)と化していた。
全体の統制がとれず、調整の行われないまま1本の補給線に交通量が集中した結果、馬車は渋滞し、また、街道を外れて道なき道を行こうとした馬車が数多く事故を起こしてしまっていた。
馬車を使わず、駄馬に直接物資を背負わせて輸送する方法も使われ、故障した馬車から馬を外して荷役させるということも行われたが、輸送効率は馬車で行うよりもはるかに劣り、帝国軍の補給事情は当面、改善することがなさそうだった。
このため、止むを得ず兵士たちに対する食糧の配給を減らす諸侯が続出した。
兵士は、肉体労働だ。
だから多くの食料を配給して、その体力を維持させる必要があるのだが、帝国軍の補給事情の悪化によってそれができなくなりつつあった。
帝国軍全体を覆っていた戦勝ムードは、いつのまにか雲散霧消してしまっていた。
アルエット共和国軍など簡単に制圧できると考えていたのに、帝国軍は実際に共和国軍と戦う機会さえ得られないまま、停滞を余儀(よぎ)なくされている。
帝国軍の戦意は、急速に低下しつつあるようだった。
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補給不足に帝国軍が苦しみ出してから、エドゥアルドの下には頻繁(ひんぱん)に来客があらわれるようになっていた。
まずやってきたのは、ノルトハーフェン公国の近隣の諸侯である、クルト・フォン・フライハイト男爵。
その翌日には、続々と、ノルトハーフェン公国と通商関係を結び、友好的な関係にある帝国諸侯がエドゥアルドのことを訪問して来た。
その目的は、エドゥアルドに、ノルトハーフェン公国軍の物資をわけてもらえないかと要請するためであった。
帝国軍では各諸侯に多くの裁量を与えている。
各諸侯に強い権限があって皇帝でさえ一方的な強権を発動することができないといえば聞こえはいいかもしれなかったが、[なにかあっても、皇帝が面倒を見ることはない]ということでもあった。
与えられた権限を自由に行使するためには、相応の負担や努力がつきまとうものなのだ。
しかし、1本しかない補給線はパンクし、各諸侯がその領地から輸送しようとしている物資が予定通りに届くという見込みはない。
それどころか、物資が届くのはいつになるのか、まったく見通しすら立たない状況に、帝国軍は直面している。
物資を切りつめてしのごうとしても、物資が尽きる前に補給を受けられる確証がない。
そんな見通しの立たない状況では、兵士たちの士気も下がり、脱走者も生じることになりかねなかった。
しかし、エドゥアルド率いるノルトハーフェン公国軍は、手元に豊富な物資があった。
エーアリヒが急遽(きゅうきょ)開始されたアルエット共和国への侵攻に応じ、予定をくりあげて補給物資を送ってくれたからだった。
帝国軍の補給線がパンクしてしまうのと、エーアリヒからの補給が届いたのは、ほとんどタッチの差、わずかにタイミングがズレていれば、ノルトハーフェン公国軍も補給を受けられないところだった。
だが、エドゥアルドは補給を受けることができ、当面の心配はない。
そんなノルトハーフェン公国軍の状況を知って、最初に恥を忍んでエドゥアルドに助けを求めてきたのが、クルトだった。
彼とエドゥアルドは出会ってからそれほど月日は経ってはいないが、鉄道を建設するという目的を同じくする、いわば同志の関係であり、お互いに友好的な関係を築きたいと考えていた。
だからクルトは、エドゥアルドなら、自分とその指揮下にある将兵を助けてくれるだろうと、そう期待したのだ。
エドゥアルドはこころよく物資をクルトのために融通した。
クルトの鉄道に関する知識はこれからも必要な物だったし、エドゥアルドは自分の領地の人々の生活を豊かにしようと必死に知識を身に着けたクルトのことを尊敬し、好意的に見てもいた。
それに、クルトが率いている軍勢は、せいぜい数百。
1万5千を数えるノルトハーフェン公国軍から物資を融通したとしても、大きな影響は出ないだろうという計算もあった。
しかし、ウワサというものは、あっという間に広まるもので。
クルトにエドゥアルドが物資を融通すると約束した翌日、そのことに気づいた他の近隣諸侯も、次々とエドゥアルドに物資をわけてくれと願い出てきた。
クルトが言いふらしたわけではないのだが、すでに食料の配給が制限され始めているのに、クルトの陣営の兵士たちにはそのような制限がないか、あるいはかなり緩いらしいということが帝国軍の兵士たちの間で話題となって、すぐに諸侯は物資の出所がエドゥアルドであると感づいたようだった。
エドゥアルドに物資を融通して欲しいと願い出て来た諸侯の多くは、男爵とか、伯爵たちだった。
1つ1つの諸侯の軍勢はそう大きなものではなかったが、いくつも集まると相応の規模となって、物資を融通するとさすがに大きな影響が出てきてしまう。
しかし、エドゥアルドは、自国の兵士たちに食べさせる食料を減らすことを承知で、諸侯に物資を融通した。
一応、補給が届いたらその時はエドゥアルドに融通してもらった分を返すという約束をしてのことではあったが、このせいでノルトハーフェン公国軍も物資が不足することになってしまった。
だが、エドゥアルドとノルトハーフェン公国軍が抱えている物資を狙っている者は、まだ他にもいたのだ。
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