第69話:「鈍化」

 遠く離れたノルトハーフェン公国から、はるばるマーリアたちがやって来た。

 それは、前線に立つことができず、暇(ひま)を持て余していたエドゥアルドにとっては、素直に嬉しいことだった。

 ルーシェだけではなく、マーリアやシャルロッテという、昔からの信頼のおける者たちが来てくれたおかげで、エドゥアルドにとっては気兼ねのないおしゃべりのできる相手が増えたからだ。


 また、使用人たちは、よく訓練されていた。

 彼ら、彼女らはヴァイスシュネーで働いていた使用人たちの中でも特に精鋭で、ソヴァジヌで他の諸侯が集合してくるのを待っていたノルトハーフェン公国軍の将兵の衣服を、2、3日ですっかり洗濯してきれいにしてしまったのだ。


 戦闘こそ経験しなかったものの、これまでの旅塵ですっかり汚れていたノルトハーフェン公国軍の軍装は、使用人たちのおかげでノルトハーフェン公国を出発した時とすっかり同じ状態になり、その威容は高まった。


 ルーシェはというと、相変わらずエドゥアルドの身の回りの世話を一生懸命にしてくれ、メイドとして頑張って働いてくれてはいたが、これまでの自由で気楽な、この従軍をすっかり楽しんでいた姿は失われていた。

 シャルロッテからの[再教育]という名のおしおきが、よほど効いたのだろう。


 どうやら、機嫌を損ねていたカイとオスカーには、エドゥアルドにねだってわけてもらった特製ソーセージを与えることで和解した様子だったが、ルーシェの様子はなんだかしおらしいものとなっていた。


(まぁ、でも、これで良かったような気もする)


 元気のないルーシェというのも、それはそれで見ていて興味深いと思いつつ、エドゥアルドは少しほっとしてもいた。

 なぜなら、マーリアたちが来なければ、ルーシェはきっと、実戦が始まってもエドゥアルドの側近くを離れようとしなかっただろうと、そう思われるからだ。


 戦闘が始まれば、負傷兵の手当てを行う。

 押しかけて来たマーリアたち使用人はそう取り決めをしており、そして、そのためにノルトハーフェン公国軍の軍医らとともに、戦闘発生時には前線の後方に下がって働くことになっている。


 もう勝手な行動は許さない、と、マーリアたちはルーシェもその監督下に引き戻したから、もし戦闘が始まったらルーシェは強制的に、マーリアたちと共に前線の後方に下がることになる。

 少なくとも、エドゥアルドの近くにとどまり続け、前線にいるよりは、ずっと安全になるはずだった。


 また、マーリアたちはノルトハーフェン公国を出発する際に、エーアリヒが送り出した補給馬車の隊列も引き連れてきていた。

 これは、急遽(きゅうきょ)アルエット共和国内への進撃が決定されたことを受けてヴィルヘルムがエーアリヒに連絡し、もともと予定されていた補給物資の輸送の予定を早めて、送り出されたものだった。


 戦闘を経験しなかったためノルトハーフェン公国軍はまったく消耗してはいなかったが、このエーアリヒからの補給物資を活用して武器・弾薬を充実させ、ソヴァジヌで周囲に散っていた諸侯が再集結するのを待つ間にその戦力をさらに高めることができた。


 皇帝・カール11世の命令によって再集結をはかったタウゼント帝国軍だったが、ソヴァジヌへの集合には数日を要した。

 アルエット共和国軍からの抵抗がまったくないのをいいことに、我先にと進撃を続けていた諸侯は、皇帝の幕僚たちでもその現在位置の把握が困難な状況となっており、皇帝の命令を伝える連絡にも、部隊の移動にも、時間がかかったからだ。


 そうしてソヴァジヌで集結を果たしたタウゼント帝国軍は、再び、総勢13万を数える大兵力となった。

 カール11世の名の下、アントン大将はそこで指揮系統を再結合させ、バラバラになっていた諸侯の軍勢に、帝国軍として連携して戦える態勢を取り戻させた。


 態勢を整えたあとは、いよいよ、アルエット共和国との決戦となる。

 帝国軍との決戦を避け、兵力を首都へと集中させているムナールの共和国軍に向かって進撃し、北方から進んできているバ・メール王国軍と挟み撃ちにして、一撃で粉砕する。

 終結を完了した帝国軍は、カール11世から進撃再開の号令が下るのを、今か今かと待ちわびていた。


 しかし、その号令は、なかなか発せられなかった。

 再集結を果たして帝国軍の現状が把握された結果、アルエット共和国の首都に向かって進撃するのに十分な物資がない、ということが明らかになったからだった。


 ほとんど戦闘を経験していないので、武器弾薬は十分に残っている。

 足りないのは兵士たちの食料、軍馬や駄馬のための飼葉だった。


 帝国本土からの補給は、ソヴァジヌまできちんと届いてはいる。

 アルトクローネ公国軍を中心とした軍勢により、グロースフルスの渡河点は維持されており、毎日輸送の馬車がひっきりなしに往来している。


 しかし、量が足りなかった。

 補給線が、1本しかないためだ。


 帝国軍は共和国軍からの抵抗がないことをいいことに、ひたすら進撃を続けてきていた。

 首都を陥落させ、短期間で戦争の決着をつけようとするあまり、帝国軍はアルエット共和国の中枢に向かってまっすぐに突き進んだ結果、その制圧した地域は細長い紐(ひも)のように、帝国軍が進んできた街道に沿ってのびている。

 複数の街道を並行させた補給路として活用したくとも、制圧地域が狭いため、安全に使える街道が他にない。


 たった1本の街道が、帝国軍の補給路のすべてだった。

 アルエット共和国における主要な街道の1つであったため、きちんと舗装され幅も馬車がすれ違えるほどに十分あったが、数百キロメートル離れた先にいる10万以上の軍勢を維持できるだけの物資を送り込むのには、その交通のキャパシティは不足気味で渋滞しがちであり、しかも、帝国側が用意していた駄馬や馬車の数も不足気味だった。


 必要な補給量を確保するための輸送手段が不足している状態なのに、補給線は渋滞を起こして滞っている。

 帝国からの輸送だけで満足な補給を受けられる見込みは、まったく立たないということだった。


 なにより大きな影響を及ぼしているのは、アントンが事前に予想していた通り、帝国軍はアルエット共和国内で物資の現地調達をほとんどできなかったことだった。

 そもそも天候不順による不作を原因とし、長い内乱を経験して来た共和国では、どの地域でも物資の蓄(たくわ)えが少なく、帝国軍が物資を望んでも得られなかった。


 帝国軍は物資の現地調達のために、多くの軍資金を用意して持ち込んでいた。

 しかし、どんなに金を積んでも、ないものは買うことができない。

 そして、どんなに高価な金銀財宝であっても、それで人間や馬の腹が膨(ふく)れることはない。


 ソヴァジヌで進撃を中断し、帝国軍を再集結させた理由は、そこが交通の要衝(ようしょう)で各部隊の現状の把握と連絡に便利であったことと、都市とその近郊の農村に蓄(たくわ)えられた物資により、補給が可能であるという期待からだった。

 しかし、共和国の首都に向かって進撃するのに必要な物資をソヴァジヌで得られるだろうという目論見は、まったく、叶うことがなかった。


 今まで、帝国は快進撃を続けてきた。

 しかし、ここにきて、その進撃の速度は、急速に鈍化することとなってしまった。

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