・第7章:「アルエット共和国侵攻」

第65話:「快進撃」

 バ・メール王国軍が、アルエット共和国の北部の国境地域を守っていた共和国軍に勝利したとの報告を受けて急遽(きゅうきょ)開始された帝国軍の渡河は、滞りなく進んだ。

そして、グロースフルスの対岸に橋頭保を築いた帝国軍は、すぐさまアルエット共和国の内部に向かって侵攻を開始した。


 タウゼント帝国によるアルエット共和国に対する[懲罰戦争]は、順調そのものだった。

 帝国軍が国境に集結したということは、アルエット共和国でもすでに承知のことであるはずだったが、彼らは帝国軍が渡河をすることも、共和国の深部に向かって侵攻することも、傍観(ぼうかん)を決め込んで反撃して来なかったからだ。


 帝国軍の諸侯は、なんの抵抗も受けないままに、アルエット共和国の領内を我先にと進んでいった。

 帝国軍の勝利が約束されたようなものである以上、その勝利の中で確実に手柄を立て、皇帝カール11世からの恩賞を受けるために、諸侯は血眼になっている。


 昔からの伝統で、タウゼント帝国では今でも[一番槍]が貴ばれている。

 今時、槍などという武器を用いているのは一部の騎兵だけであって、これはあくまで比喩(ひゆ)でしかなかったが、とにかくもっとも最初に敵と交戦して戦果をあげた者は、他の諸侯よりも重い恩賞を得られるのが常であった。


 同時に、名誉なことでもある。

 一番槍を得た者は、その一生の間ずっと、その出来事を誇ることができるのだ。


 そしてその栄誉の一番槍は、ただ1人にしか与えられない。

 諸侯が血眼になって進むのは、当然のことであった。


(まるで、中世の軍隊のようだな)


 そんな諸侯の一番槍争いには加わらず、比較的帝国軍の隊列の後方の方を、戦地での通常の行軍速度を守りながら進んでいたエドゥアルドは、呆れたような気持だった。


 多くの諸侯は、一番槍争いに熱狂し、我先にと共和国の奥深くを目指して進んでいる。

 しかし、そのせいで帝国軍の行軍の隊列は乱れがちであり、各部隊の間には、すぐには互いに連携できないほどの距離が離れつつあった。


 よく言えば、戦意旺盛(せんいおうせい)で、士気が高い。

 悪く言えば、統率の取れない、烏合の衆。


 エドゥアルドから見たところ、タウゼント帝国軍は後者であった。


(これでは、敵があらわれてもすぐには全軍に命令を行きわたらせることができないではないか。

 敵が攻撃して来ないから、うまく行っているだけじゃないか)


 そのエドゥアルドの感想には、ノルトハーフェン公国軍が一番槍争いに大きく出遅れることを余儀なくされたから、ひがみも少しだけ入っている。


 ノルトハーフェン公国軍がグロースフルスを渡河する順番は、エドゥアルドが予想したとおり、後ろの方だった。

 これは、エドゥアルドが若輩者であり、他の諸侯に遠慮をしなければならなかったということだけではなく、皇帝、カール11世の命令によるものだった。


 カール11世は、エドゥアルドの父親を自身の起こした戦争によって奪ったことを、今でも負い目に感じている。

 そして、この戦いでもし、エドゥアルドまで命を失うことになっては、ノルトハーフェン公爵家が断絶するかもしれないと、そう危惧してもいる。

 だからエドゥアルドには、比較的安全な隊列の後方を進ませようというのが、カール11世の考えであるようだった。


 ありがたいような、余計なお世話のような。

 しかし、皇帝の意向でもあるし、エドゥアルド自身、他の諸侯のように戦況を楽観視できていなかったこともあり、手柄を立てられる機会がないことは不満ではあっても、この立場を甘んじて受け入れている。


 ただ、兵士たちは、あからさまに落胆している様子だった。


 ノルトハーフェン公国軍は、エドゥアルドの親政が行われるようになってから、その編成を大きく改変している。

 エドゥアルドは、これから戦うことになるムナール将軍が共和国軍に導入した編成を取り入れ、各歩兵大隊の編成を戦況に応じて柔軟に対処できるよう、戦列歩兵、擲弾兵、軽歩兵をバランスよく混合させたものに作り変えていた。


 兵士たちにとって、今回がその新しい編成を実戦で試す、初めての機会となるはずだった。

 そして兵士たちは、この時のために訓練に励んできたのだ。


 しかし、どうやらその[お披露目(ひろめ)]の機会は、おとずれないらしい。

 そう思うと、兵士たちからはやや力が抜けてしまうようだった。


 これから戦うのは、実戦。

 戦えば、必ず死傷者が生まれてしまう。


 だから、戦闘をせずに済むのに越したことはないものの、エドゥアルドにも兵士たちの気分はよくわかる。

 エドゥアルドとしても、ノルトハーフェン公国が新しい出発を果たしたことを、生まれ変わったのだということを、諸侯に明らかにしておきたかったのだ。


(まぁ、アルトクローネ公爵よりは、マシかな)


 エドゥアルドは愛馬の青鹿毛の馬にまたがりながら、そう思うことで自分の心をなぐさめていた。

 なぜなら、アルトクローネ公爵と、その1万の軍勢は、カール11世の命令によってグロースフルスの渡河点を守るために残されて来たからだ。


 アルトクローネ公爵家は、カール11世の出身だった。

 そして、現アルトクローネ公爵、デニスは、カール11世の実の息子でもある。

 デニスにはすでに息子もいて、デニスになにかが起こってもアルトクローネ公爵家が断絶することはないはずだったが、それでもやはりカール11世は、自身の血のつながった子供が大切なのだろう。


 デニスは、帝国軍の補給路、そして万が一の時の退路としても重要な渡河点の守りにつくことは同意したものの、防衛に必要な歩兵は残すのにしても、せめて騎兵だけでも率いて従軍させて欲しいと、カール11世に願い出た。

 しかし、カール11世はその願いを拒否して、アルトクローネ公国軍はその全軍で渡河点の守備についていた。


 グロースフルスに作られた浮橋を防備するために、この他に皇帝直属の親衛軍から、2万もの将兵がさかれている。

 補給をになうための支援要員も2万ほどが残っており、渡河点を守るために合計で5万もの人員が向けられていた。


 他の諸侯と共に戦うことが許されなかった、デニスの申し訳なさそうな、そして悔しそうな顔。

 進軍するエドゥアルドたちを見送っていたそのデニスの様子に、エドゥアルドは思わず同情してしまったほどだった。


 デニスは無念そうな様子で、進んでいくエドゥアルドたちの姿をじっと見送り続けていたが、その姿はとうの昔に見えなくなっている。

 帝国軍の進撃は今も順調に進み続け、共和国軍の影も形も見えない。


 エドゥアルドの前方を進む皇帝の下には、先を進む諸侯から、次々と伝令が駆けこんでいる様子だった。

 どこそこを占領した、ここまで前進を果たした、と、その報告はみな、諸侯の戦果を皇帝に伝え、アピールするためのものだ。


 まさに、快進撃であった。

 帝国軍は共和国軍からの一切の反撃を受けないまま、進み続けている。


 しかし、エドゥアルドにはそのことが余計に、不気味だった。

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